Recollection.31 明日の行方Ⅰ

 翌朝、当直明けの次の日はオフのはずが、当然のようにシフト表には日直と書かれている。
 別に仕事だからではないが、最低の気分で七海は出勤した。
 結局、昨日の客人と明人が本当はどうだなんて言う事は知りようも無かった。
 昨日明人の前から逃げ出して、そのまま連絡も何も取っていないのだから、当然だ。
 また、例え連絡を取ろうとしても取れない状況だったのも確かだ。
 携帯を、落としてしまった。
 おそらく、場所は明人のアパート。
 医局のパソコンにデータを打ち込みつつ、七海は溜息を吐いた。
「あの時だな…」
 階段の下で、鞄を落とした時。
 あの時に携帯を落としていたのだ。
(まあ、携帯に電話入れてくるのなんて、明人だけだから、それほど困らないけど…)
 病院関係の連絡は、ポケベルとPHSが支給されているので、一向に問題が無い。
(全く…真剣に反省して、謝りに行って、オチがこれって言うのは、何て言うか、マヌケ…)
 昨日、ズブ濡れのまま長時間冷房の効いた場所にいたせいで、風邪を引いてしまった。
 泣き面に蜂と言ったところか。
(うー…頭痛い…薬局で薬貰ってこようかな…)
 窓の外は、今日も雨。
 透明な水滴が無数に窓ガラスを濡らして、滑り落ちてゆく。
 昨日のような激しい降りではなく、それはとても静かな雨だった。
 まるで、夏の終わりを告げているかの様だ。
「常盤木先生、血算書忘れてますよ!」
 医局に入ってきたのは、看護師の田島だった。
「えっ、あ、すみません!」
「どうしたんですか。今日は多いですよ? 午前中も伝票出すの忘れてたでしょう」
 まるで息子の宿題忘れを窘めている様な口調で、外科の主任ナースが言った。
「本当に、すみません」
 今日は、朝からケアレスミスが続いている。
(…情けない…)
 セルフコントロールが上手く出来ていない。
 私事の動揺が、ダイレクトに仕事に跳ね返っている。
 同じ様に、仕事で抱えた迷いが、プライベートに反射する。
(まだ、迷ってる…)
 仕事を続ける覚悟が出来ない。
 明人のことも、同じ。
 甘やかしてくれるから、楽。
 好きだという気持ちに嘘は無い。
 でも、それ以上の気持ちを持ちたくない。
(最低…)
 自己嫌悪に陥る。
 吐いた溜息は、白い。


 夜、19時。
 珍しく、規定時間内に勤務が終わった。
「あ、月」
 暮れかかった空に、細い三日月。
 三日月の弦に向かって、一つ白い星。
 まるで対話しているようだ。
 空は葡萄色から藍色へグラデーションを描いている。
 遠く、ビルとビルの隙間には、まだ薄らと残照が覗いていた。
 視線を正面に戻すと、職員用通用門の前に、見慣れた派手な髪を見付けた。
「よかった…。擦れ違いになるかと思った」
 明人が、立っていた。
「……何、してんだよ」
 訳が分からなかった。
「いや、ホラ…昨日、コレ落としていったろ?」
 明人は、七海に向かって携帯電話を差し出した。
「ああ、ありがと」
 七海はそれを受け取った。
 自分で思っていたより、普通の顔が出来た。
「昨日、あの後すぐ携帯掛けたんだけど、そしたら足許で呼び出し音するじゃん? でも、携帯しか連絡先知らないから、どうしようもなくてさ」
 明人が苦笑いした。
「そう」
 そう言えば、お互い連絡先は携帯しか知らない。
(まあ、僕は一方的に明人の家を知ってるけど)
 ただし、彼のような種類の一人暮らしの人間は、明日飛んで消えても不思議が無いので、確かな所在地かと問われると疑問が残るが。
「ちょっと歩かない? いつもの公園まででも  

 そう言った彼は、いつもの強引な口調ではなかった。


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