Recollection.12 銀色のハサミ

「そっか、なるほどねぇ…。まぁ、わかんないでもねぇわ。うち、父親が高校で国語教えてんのね。やっぱ勧められるんだよね。コームインとか、センセイとか、そーいうおカタイ仕事」
 恭介に対する七海の複雑な憧憬を知らないまま、耳に届けられた言葉だけを拾って、明人は溜息を吐いた。
「へぇ…」
 とてもそんなお堅い家で育ったように見えない。
 しかし、明人が時々妙に古臭い言葉を口にする理由が分かった気がした。
「まぁ、生真面目な父親から見たら、このテの職業ってどうも軽薄に見えるんだろうな。えらい反対されてさ…まぁ、実家出たのは、それだけが理由でもないけど」
 僅か一瞬、明人は皮肉な笑みを浮かべた。
 彼なりに色々あったのだろうことを、垣間見せた一瞬だった。
「あ、ちょっと首、左に傾けて」
 急に、明人が元の顔に戻った。
「え? こう?」
「…うん、そんな感じ」
 細かく分けながら髪を摘み上げては、刃先で弾く。
 襟足の髪を何度も梳き上げては、跳ね具合を確認してる。
 時々首筋に触れる掌は、妙に熱っぽく、湿気を含んでいた。
「今度、反対向けて」
 同じように毛先を散らかしながら、細かく刃を滑らせる。
 何度も同じ動きを繰り返す。
 ハサミが、一瞬首に触った。
 掌と対象的に、それは、冷たくて硬い感触。
 反射的に、七海の肩が跳ねた。
「あ、ゴメン。失敗」
 慌てた様子で明人が七海の首を擦る。
「もしかして、切り間違えた?」
「いや、ハサミ…触ったろ、今」
「まぁ…ちょっと」
「お客さんの身体にハサミが触っちゃダメなんだ」
「へえ…」
(ハサミが顔に触ってしまう人って意外と多い気がするけど…本当は駄目なのか)

 それより。

 耳の後ろを触っている指の方が、よほど気になる。
 美容師に髪を切られるとは、こんなものだろうか。
 普段使っている理容店の合理的な切り方に比べて、触り方が妙に柔らかい。
(…ちょっと、くすぐったい…んだよ、な…)
 こそばゆい感触に七海は、思わず身体が逃げそうになるのを何とか抑えていた。

 一通り毛先を落として、明人はハサミを止めた。
 掌と、大きな刷毛のようなもので、七海の身体に付いた髪の毛を払い落とした。
(あ、終わったのかな)
 七海は伏せていた目を上げた。
 鏡の中に映っている自分は、多少すっきりしているが、さほど変わり栄えは無かった。 
「ちょっとベランダで細かいの払い落とすから、立って」
 腕を引き上げられ、立ち上がった。
 肌に触れた掌が汗ばんでいる。
 導かれるままベランダに出ると、僅かでも風が通る分、室内よりは幾分マシだった。
(これで、今日は帰れるのかな)
 背後では、明人が切り落とした髪を下敷きの紙ごと片付け、掃除機をかけている。
 室内を綺麗に片付けた明人が、ドライヤーを手に持ってベランダへ出てきた。
「身体にくっついた髪の毛払っちゃうから、目、瞑っててね」
 そう言って明人がドライヤーのスイッチを入れた。
 さすがに、熱風ではなかった。
 外気同様に生温い風と、真夏特有の湿気を含んだ風が、入り混じって皮膚の表面を撫でている。
 そして、時折風で飛ばせなかった髪の屑を、指先が払う。
 タオルだ、ケープだ、と、あれだけ厳重に巻かれていたにも係らず、髪の毛は身体の至る所に付着していた。
 明人が、それを丁寧に落としていく。
 触れるか触れないか。
 それを繰り返している。
 服の上から、風に紛れて掌が、掠めるみたいに身体を撫でている。
 散髪屋と違って女性客が中心と思われる美容院では、極力客の肌に触れないように指導されるのであろうが  
(その半端な触り方が、余計…変な感じ…なんだけど……)

 閉じた目の奥は真っ暗。
 生温い風と、湿気を帯びた肌触り。
 鼻腔をくすぐっているのは、真夏の夜気の淀んだ匂いと、馴染みの無い部屋の匂い。

 全てが、不可思議な浮遊感を伴って七海を取り巻いていた。
 
 それは、とても奇妙な居心地だった。


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