Recollection.5 業務用
レストランを出た後、明人は七海を駅まで送ると言いだした。
確かに運転を代行する時に駅まで送れと言った気もするが、こんな終電間際に患者に送らせられる訳が無い。
「家帰って、痛み止めと化膿止め飲んで早く寝ろ」
だから七海は、その一言で彼の言葉を一蹴した。
「すぐそこだから、いいじゃん。アンタ送ったら後はホントに大人しくしてるからさ」
「そんなに体動かしたら、傷口に熱持つだろ。痛み止めは5時間に1回しか服めないんだから、熱で疼いたら大変なのは自分なんだぞ」
「大丈夫、大丈夫。ホントに七海を駅まで送ったら、後は大人しくしてる。だから、ちょっと喋りながら歩こうや」
何を言っても無駄のようだ。
明人は本当に強引だった。
諦めて七海は明人のしたいようにさせることにした。
下町の薄暗いガード下を、二人でゆっくり歩いていく。
ことさら歩速度を落としたのは、なるべく明人の循環を活発にさせない為。
頭上を走る道路の、等間隔に並ぶコンクリートの柱を、3本ほど通り過ぎた頃だったろうか。
ふと、七海は診察中に訊きそびれたことがあったのを思い出した。
「そう言えば津守さん 」
「ダメだなぁ、七海。明人でしょ? 一緒に晩メシ食った仲じゃん。もっとフランクに行こうよフランクに!」
明人は芝居がかった仕草で大きく肩を竦めた。
(もう勘弁してくれよ…)
いい加減、彼の悪ふざけが過ぎる小芝居に辟易してきた七海であった。
明人、と呼ぶことでそれが解決するなら、この際どうでもいいと思えてきた。
早く本題に入りたい。
「じゃあ明人、普通のハサミにしちゃ、やけに切れ味よさげな傷口で気になってたんだけど、一体何バサミ?」
普通、家庭内にあるハサミで動脈まで切るのはなかなか難しい。
「アレ? そう言えばそんな話しなかったっけか? フツーお医者さんってそういうの真っ先に訊かない?」
ごもっとも。
(焦ってて、訊き忘れたんだよ…)
へらへらへらへらしながら、彼は時々妙に鋭い事を言う。
「まあいいや。あれは、美容師用のハサミ。あれってチタン鋼で出来てんだけど、さすがにすっげぇ切れ味いいんだわ。ちょうど刃先砥いだばっかだったしね」
「美容師用?」
「あっれぇ? それも言ってなかった? 俺、美容師なんだけど」
明人が首を傾げた。
「美容師…だったんだ」
つくづく動転していた自分が、情けない。
業務用。
それはさぞかしよく切れるだろう。
そして同時に、この男のやたら派手な格好と行き過ぎのパフォーマンスも、納得した。
(そっちも業務用、ね)
「まぁ、何で切ったかは分かったけど、何してたらそんな場所にハサミ刺さったんだよ。大体、明人はハサミで切ったって言いながら診察室に入ってきたけど、どっちかって言うと、それ…刺し傷だと思うけど」
これも、本来は診察室で確認して診療記録に残さなければならない内容だ。
明人に関して七海は、全くと言っていいほど、医療面接が出来ていなかった。
「あれ? これ刺さってる? 切ったと思ったんだけどなぁ。あんな血がドクドク出たんじゃ傷口も見えないし、わかんねぇわ。ま、事故よ事故」
明人はすっとぼけた顔で笑った。
「事故って、どんな?」
「事故は事故だって。手が滑ったの。つるーん、ってね」
彼はあまり本気で答える気が無いようだ。
(まさか、誰かに刺されたとか言うんじゃないだろうな)
一瞬、そんな疑問が脳裏を過った。
「明人、その事故ってもしかして 」
七海が更に追求しようとした時、明人が突然突拍子もない事を言い出した。
「…で、実はさ。ダメモトで七海に頼みたいことがあったんだよね、俺。だから声掛けたんだけど」
そのタイミングはまるで、故意に七海の台詞を遮ったようでもあった。
「へ…っ!?」
初対面の赤の他人の一期一会の救急患者。
頼み事をされるほど親しいとは思えない。
一体何を頼もうと言うのか。
厚かましいにも程がある。
帰路の代行運転を引き受けただけでも破格の対応だと言うのに。
半ば呆れ気味に、七海は明人の顔を凝視した。
しかし、七海の心中などお構いなしに、彼はその本題を口にした。
「カットモデル、頼まれてくんない?」
は?
今、何て言った?