Recollection.6 明るい人
本当は、即座に断る予定だった。
そのつもりで、気構えていたはずだった。
ところが。
「カット、モデル? …って、何?」
どうやって断るか思案を巡らせていた七海の耳に、聞き慣れない単語が飛び込んできた。
意外な言葉に虚を突かれ、またもや七海はタイミングを逃してしまった。
カットモデル。
(何それ……)
モデルと言われて即座に思い浮かべるのは、やはりファッション誌を飾っていたり、エプロンステージをポーズつけて歩いている様な人物だ。
七海にとっては最も縁遠い世界である。
「簡単に言うと、カットモデルっつのは、美容師がオリジナルで考えた髪型を作らせてくれる人。報酬は払う時もあるし、払わないでいい時もあるね」
モデルという単語から七海が連想したものとは、完全に別物のようだ。
要するに、実験台というところか。
(僕らの世界で言う新薬の治験みたいなもんか?)
さすがにそこまで物騒なものではないだろうが。
「何でまた、僕?」
全く、初対面だと言うのに。
「いやぁ、当初頼んでたモデルに逃げられちゃって、困ってんだわ。そういうコンテストみたいなのがあるんだけどね、俺、それに参加したいんだけど、肝心のモデルがいないんじゃねぇ…。仲間内はお互い参加するもんで、手近な人間の取り合いなのよ。要するに、切羽詰まってんのね」
(あんまり切羽詰まった顔に見えないんだけど)
七海は明人のを眺めつつ、心の中で呟いた。
「残念ながら、時間無いから 」
臨床研修。
論文。
家の中の諸事情。
申し訳無いが、初対面の赤の他人の頼み事まで引き受けている余裕は無い。
「そこを何とか! やっぱ誰でもいい訳でもないのよ、これが。今日、たまたま飛び込んだ病院にいたのが七海だったのは、俺的に奇跡なの。これもさすがに、切らせてくれれば誰でもいいやって訳にはいかなくてね。髪質とか、イメージとか、まぁいろいろあんのあんのね。これも人助けだと思って!」
彼の方も本当に切羽詰まっているらしい。
芝居っ気抜きで、両手を合わせて深々と頭を下げる明人に、七海は嘆息せざるを得ない。
「…別に、僕はボランティア精神で医師になった訳じゃないんだけどね…」
家庭内の諸事情で、たまたまそういう進路になっただけなのだ。
「わかった! 礼はちゃんとするから!」
「いや、別に金品が欲しい訳でも…。
あ、そうだ。 じゃあ、条件を一つ飲んでくれたら、切られてやるよ」
七海は、髪を切られることに、ある条件を思い付いた。
「何でも聞こう! さぁ、言って言って!」
明人は無条件に喜んだ。
「その傷の詳細、教えて。それが条件」
どうも彼の過剰な演技は、どこか行き過ぎの感を否めない。
何か、隠しているような気がしてならないのだ。
七海の言葉に、彼は一瞬驚いた顔を見せた。
「リョーカイ。 ただし、今日は言わない。切らせてもらう時に話す。ただし、あくまで個人として話すだけ。それでいい?」
次いで、芝居っ気の抜けた素の顔でそう答えた。
「オッケー。それでいいよ。診療記録にも書かない。僕自身が、それを症例の一つとして納得出来ればそれでいい」
「じゃあ、契約成立だな。連絡先教えてよ。俺のも教えるから」
明人がポケットから携帯電話を取り出した。
「番号言って。掛けるから」
七海は自分の個人用の携帯の電源を入れた。
普段、個人携帯のスイッチはほとんど入れない。
院内にいる時間が長いことと、院内の連絡以外に人から連絡が来ないのがそうなった理由だ。
病院からの呼び出しはポケベルが中心で、緊急連絡は病院用のPHSを使う。
電源が立ち上がると、七海は明人の示した番号をコールした。
「よし、キタ」
手早く明人は携帯に七海の電話番号を登録し、ポケットにしまった。
気付けば、駅はもう目と鼻の先だった。
「もう、ここでいいよ。駅見えてるから」
いくら見知らぬ町でも、駅の見える場所から迷ったりはしないだろう。
「ここらへんってあんまし治安良くないから、改札までは送る。引き留めたの俺だからさぁ、何かあったらイヤじゃん」
彼は妙に神妙な顔でそう言った。
(よっぽどガラ悪いのか? この辺りって…)
「まぁ、じゃあ、ありがたく…」
住人がそう言うのなら、と、七海は大人しく送られることにした。
治安の善し悪しはともかく、駅までの僅かな道のりはやたら入り組んでいた。
頭上にプラットホームの明りが見えているというのに、その場所へはなかなか近づかない。
細い路地を縫うように歩き、ようやく改札の前に辿り着いた。
「じゃあ後で連絡するから、よろしくね。シカトしたら病院まで押しかけちゃうよー」
語尾にハートマークでもついていそうな、軽い調子で彼は恐ろしいことを言い放った。
「冗談だろ!?」
「七海がちゃんと約束守ってくれたら、冗談で終わるよ」
そう答えた彼の顔は、今日一日ですっかり見慣れてしまった軽薄な笑顔だった。
(……本気でやりそう)
早まったのではないか。
そんな気持ちが、早くも七海の脳裏を掠める。
どうしてこんな方向に話が転がっていったのだか。
全く彼は宇宙人だった。
明人と話していると、まるで暗示に掛けられたように、容易く彼のペースに飲み込まれてしまう。
見知らぬ町の、薄暗いプラットホーム。
宇宙人に見送られながら、七海を乗せた電車は、都心に向かって滑りだした。
電車の窓に額をくっつけ、七海は目を閉じた。
四次元ポケットに滑り落ちてしまったような日。
それが、津守明人との出会いだった。
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出会った頃、明人は、自分のことをよく"明るい人"だと言って笑った。
初めは確かに七海もそう思っていた。
けれど。
明人は、"明るい人"ではなく
"明るくしていたい人"なのだと知るのに、そう長い時間はかからなかった。