Recollection.14 熱帯夜

 七海が言葉を詰まらせている間に、明人は手慣れた様子で衣服の中に手を滑り込ませた。
 膝を離れた明人の右手が、今度は七海の上体を固定する。
 どちらかと言えば軟弱な外見の割に、強い力だった。
「…動かないでね」
 短く一回、ハサミの動く音。
 最初は、右。
 もう一回。
 次は、左。
「あ…明人…っ」
 塞がれた視界の外で、肩留めの襟が外れるのを感じた。
 ボタンを留めていたループを切られたようだ。
 微かに触れた、冷たい刃の感触に身が竦む。
「…やっぱダメだなぁ、俺。今度は絶対モデルには手ェ付けない、って誓ったつもりだったのにな」
 耳許で洩れ聞こえたのは、自嘲する声。
 低く抑え込まれた呟き。
(『今度は』…?)
 どういうことだろうか。
「ついこの間、モメたばっかなのに懲りねぇや、俺も」
 肩の布を静かに引き下げる、明人の右腕。
 ボタンを留めていたループを切り離され、襟は既にその役割を失っている。
 ただの筒になり果ててしまったシャツは容易く滑り落ちていった。
 痺れたように動けなくなってしまった身体。
 その身体から、快楽のカケラを拾い集めている明人の指。
「…は…っ、…ぁ…」
 慣れない感覚に、息が上がる。
「シッ」
「んん…!」
 その口を、明人の掌が塞いだ。
 反射的に身体が逃げようとする、その動きを逆手に取られて、浮いた身体はそのまま畳の上に投げ出されてしまった。
 口は塞がれたまま。
「ごめん。ここ、壁薄いからさ、ちょっと声出すの我慢な。…噛み付いてもいいから」
 身体の上から覆い被さる明人は笑っていた。
 やはりそれはとても軽薄な笑顔で、この場面に、異様さを感じさせた。

 薄ら寒い恐怖が七海の身体に沁み込んできた。
 自分が、どこかとてつもないところへ連れて行かれるような錯覚。
 気づけば、引き下されたシャツの襟と呼ばれていた場所を、無意識に掴んでいた。
「それ、邪魔だよね。…もう、全部切っちゃおっか」
 七海に覆い被さっている身体を少し浮かせて、明人は再びハサミを手に取る。
 腰に巻きつく、先刻まではシャツの形をしていたはずの布切れを、明人が手に持ったハサミの刃先で軽く引っ掛けた。
 皮膚に触れる冷たい金属の肌触り。
「ん、う…」
 冷たさに、七海の身体が一瞬跳ね上がった。
 ニット地の薄い布は一瞬で左右に切り離された。
 晒けだされた肌に手を這わせながら、快楽の中心を探っている。
 やがて七海の口を塞いでいた掌が離れ、同じ場所を今度は口唇が塞いだ。
 身体を強く押しつけられた畳から、微かに古い藺草の匂いがしている。
 怖い。
(怖い…?)
 これは、恐怖だろうか。
 恐怖だけ、だろうか。
 身体を取り巻く浮遊感は、恐怖と快楽を飲み込んで、より増幅してゆく。
 せめて音に変えて吐き出してしまいたいのに、出口を塞がれ、逃げ場が無い。
 重なり合った肌は、互いの汗に濡れている。

 真夏特有のじっとり身体に纏わりつくような熱気。
 動かない車から垂れ流される、軽薄な流行歌。
 窓の外から響く、酔漢の笑い声。
 蒸し風呂のような部屋の中。

(暑い…)
 
 熱い。
 
 押し殺された息の下で、何かが死んだ。
  外は、熱帯夜。


前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++

PAGE TOP▲