Recollection.11 鈍色のハサミ

 10分ほど歩いて、先日は足を踏み入れなかった明人のアパートに到着した。
 外観に劣らず、屋内も相当な年代ものだ。
 しかし、彼のちゃらちゃらした印象とはかけ離れて、室内は綺麗に整理整頓されていた。
 七海とは正反対だ。
 七海の部屋がそれほど散らかって見えないのは、単に物が少ないだけで、七海自身は整理整頓が非常に苦手なのである。
「七海、コレに着替えて。でないと、細かい毛が散って服に絡み付くからさ。アレ、洗濯してもなかなか取れないし、肌に触るとチクチク痒いんだよね」
 雑多に服が放り込まれている籐のカゴの中から、明人は適当な服を取り出した。
 薄手のシャツとハーフパンツだ。
 手渡された服に着替えながら、七海はふと疑問を抱く。
「これ、女物?」
 スクエアカットの襟は肩から脇にスリットが入っていて、ワンポイントのくるみボタンをループのボタンホールで留めている。
 どう見ても、あまり男物のデザインには見えない。
「いやぁ? 確かソレはメンズだったと思うけどなぁ。何、小さいの? 俺が着てたヤツだから入るはずだけど」
 七海は明人の言葉を噛み下しつつ、改めてそのシャツを見つめた。
(この…どう見てもフェミニンなデザインの、露骨に身体の線が出そうな、肩の大きく開いたシャツが、明人本人のものな訳?)
 七海は首を捻ってしまった。
 明人は、がっしりしている訳ではないが、中性的という種類の線の細さはない。
(おしゃれ業界の人のセンスって、凡人には到底理解できないな)
 シャツの袖に腕を通しながら、七海は溜息を吐いた。
(そう言えば、恭介さんはあれで意外とブランド物好きみたいだけど。  僕は、どうでもいいかな)
 はっきり言ってファッションには興味が無い。
 服なんか、適当な値段で買えて、肌触りが好ければそれでいい。
「着替えたけど」
 七海は与えられた服に着替えた。
「んじゃ、ここ座って」
 6畳1Kのアパート。
 その部屋のど真ん中にドレッサーらしきものが鎮座している。
 どう見ても、部屋の中でそれだけが浮いている。
 そのぽっかり浮き立った異空間に、七海は腰を下ろす。
 七海が座るのを確認して、明人はその首にフェイスタオルを巻いた。
 その上から更にナイロン製のケープが巻かれる。
(散髪屋じゃ平気だけど、クーラー無しのアパートでこんなの巻かれたら、蒸し暑……)
 どこでもいいよ、と答えたものの、室内の蒸し暑さに七海は、早くもげんなりしつつあった。
「今日切るのはホントに先だけね。あんまし切ると本番に間に合わなくなるしね」
 そう言いながら、明人は七海の髪をぱさぱさと弾いた。
 強引なんだか、小心者何だか。
 真面目なんだか、不真面目なんだか。
 くるくると明人は印象を変えるので、七海は、未だに彼がどんな人間なのか掴みきれないでいる。
 とりあえず今分かるのは、鏡の中の明人がとても楽しそうだと言うことだけだ。
(今に鼻歌の一つでも歌いだしそうな雰囲気だな)
 あまりにも楽しそうなので、七海は思わず笑ってしまいそうになった。
(仕事って、こんな風に楽しみながらする人間もいるんだ)
 仕事をしている時、七海はいつも緊張している。
 と言うか、緊張感を保つようにしている。
 そうしていないと、とんでもない見過ごしをしてしまいそうだから。
 それは、就いている職業の性質の違いかもしれない。
 けれど、趣味を楽しむような雰囲気で仕事に向かう明人の姿は、七海の目に、妙に新鮮に映った。
「仕事、楽しいんだな」
 そんな言葉が、七海の口から自然に零れた。
「まーねー。髪触るのはスキだな。なんかこー、気持ちいいんだ。俺、寂しがり屋だからさ、スキンシップ的なもんが好きなんだよね」
 どこまで冗談か分からない言葉が返ってきた。
(もしかして、まるまる本気だったりして…)
 明人なら、有り得る気がする。
 しかし、寂しがり屋と言われて妙に納得した。
 このやたらな馴れ馴れしさは、そういう一面の裏返しなのかもしれない。
「七海こそ。お医者さんって、なるのもなってからも大変じゃん? 何でなろうと思ったの?」
 鼻歌に近い口調で問い掛けられた。
「きっかけ? 特には…」
「家が病院?」
「いや、間借りしてる親戚の家が、そういう家系で…、何となく勧められるままって言うか、断れないムードもあったし、他に、ものすごくやりたいこともなかったし」
 相手の軽口に乗せられたのか、それとも彼が病院関係者では無いからか、つい、私的な事情を洩らしてしまった。

 強引に七海を引っ張ったのは、恭介ただ一人だ。
 大叔父も大叔母も、むしろその強引さを心配していた。
 だから、実際には口で言うほど断れないムードでもなかった。
 それでも断れなかったのは、心のどこかで憧れていたのかもしれない。
 恭介の、あの傲慢なまでの力強さに。

 彼に付き従うことで、自分も強くなれると、勘違いしてしまったのかもしれない  


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