scene.5

 今回の一連の出来事が、この為にあったかの様だった。
  千里…? もしかして俺はひどい事を言ったのかな」
 忍が、少し戸惑った顔で首を傾げている。
 不思議に思いながら頬に手を遣って気付いた。
 知らない間に涙が出ていたのだ。
「何言ってるの!? オレはたった今君の言葉に救われたんだ!」
 そう、ずっと引きずっていた疑問の答えを貰った。
「君には不本意かもしれないけどね!」
 右手の袖で涙を拭いつつ、それでも憎まれ口を叩くのだけは忘れなかった。
「何が…? え?」
 千里が何を言ったのか分からないらしく、忍がますます首を捻っている。
「そか、今度はオレが順番に話す番かな。こっちもそんなに短い話でもないけどいい?」
 千里自身もまた、誰かに話したかったのだ。
 北尾にすら話した事のない話を。
  ? 構わないけど…?」
 先刻と逆の遣り取りを交わし、今度は千里が話し始めた。
「まずは、ヴァイオリンを始めたとこからかな」
 本人は全く憶えていないが、楽育研究所を営む母方の叔母から強制的に楽器を握らせられたのが二歳頃  話はその辺りからだ。
「最初に最初に言っとくけど!! 今からすんのは決して自慢話じゃないからね!?」
 そう断りを一言挟み、千里は話を再開した。
「叔母曰く  素質があったんだって、オレ。でね、三歳にはもう天才少年とか言われてさ。
 テレビなんかでよく聞くでしょ? 天才ナントカ少年みたいなの。叔母さんも、自分とこの研究所の宣伝になるって進んで広めたしね。  ちっちゃいうちはさ、それで良かったんだよね。やっぱオレ自身も子供だし、注目浴びてちやほやされてれば気持ちいいし…。
 でも、そのうち気付くじゃん? ああ、単純にメディアに踊らされてるなーとかさ」
 一度言葉を切り、千里は口惜しげに目を伏せた。
「…他の人と同じ音楽の徒のつもりでいたのに、気付いたら自分だけ全然違う土俵の上に立ってたんだ」

  注目されるのも小さいうちだけだ。

  天才の名は単なる宣伝による虚構じゃないか。

  二十歳過ぎればただの人ってね。

  英才教育で、年齢の割りに技術が身に付いただけだろう。

 千里の脳裏に、今まで浴びせられた数々の言葉が過ぎった。
 小学校の三年生にもなれば、それらの言葉を正確に捉えないまでも、どんな事を言われているかは何となく分かった。
 しかし、その頃の千里はそれらを跳ね飛ばす程の自信は持っていなかった。
「小学校の四年生くらいまでは結構テレビにも出てたんだけど、君は見てなさそう」
 千里はくすっと笑った。
「…全然見てない。というより、多分見ていたとしても気付いてない」
「だよねー」
 千里はそんな忍の様子に小さく笑うと、更にこう続けた。
「君がオレのこと嫌いでも、オレは多分結構君のこと好きだな」
「…え、…う……」
 そんな風に言われる事に慣れてないらしい。
 照れるのだか戸惑うのだか、忍が顰め面をして千里から目を逸らした。
 千里は、その反応が面白いと思った。
「さて、続きを話すね。  とにかく、ものの分かる年齢になればなるほど、オレはホントにヴァイオリンが好きなんだかどうだか分からなくなってった。惰性で続けてきただけで、実はちっとも好きじゃないのかなって思ったりしたよ。
 そこへ、叔母が城聖学園の推薦枠に申し込むとか言い出してさ。芸術関係では天下の城聖だもん。とても受かるとは思わなかったし、その中で生存競争に加わるほどの意欲もオレには持てない気がしたし。
 結局、今こうしている通り受験には奇跡的に受かったんだけど、案の定と言うかなんと言うか…入学した後も一般の連中に言われたワケ。
 話題づくりの合格とかね。裏金とかね。城聖も堕ちたとかねー。裏金が出るほどうち金持ちじゃないのにねぇ。
 今思えば、やっかみやらひがみやらいろいろあったんだろうけど  学校来てもそんなんだから、ますますやる気が萎えてってさ。
 その辺りからもー、サボり放題サボったサボった!
 その頃なんだよね、北尾さんと知り合ったのって。
 あの人何気に小等部から城聖なんだ。所帯じみててさ、どー見ても庶民にしか見えないくせに、このおぼっちゃまめって感じ?
 で、中等部のときにちょっとした事件があってね、オレ実はそのときに左手の中指の神経切っちゃったんだ。
 それで、その事件に北尾さんを巻き込んじゃってね…」
 授業サボって、禁止されている部活動に無断参加したり、その為に怪我したり  その経緯を忍に説明した。
 同級生の神経を逆撫でしていたり、本当は単なるとばっちりの北尾がやたら責任を感じていたりした事も。
 それでも尚、自分が"推薦枠"に残り続けている事の違和感や疑問を感じている事も。
 こんな話を  北尾にさえ話せなかった事を、さらりと話す事が出来ている自分に少し驚きながら、千里は話し続けた。
「自画自賛になっちゃうけどさ、多分今でも技術的にはあまり問題ないと思うんだ、実際。神経切ったっていっても、全く動かないわけじゃなし。処置早かったし、リハビリとかしたしね。以前に較べてすこし反射が鈍いくらいかな。その辺はあらかじめ計算して動かせばいいんだもの」
 千里は溜息を吐いた。
「…よく分からないけど、そういう計算が出来るのって…すごい事なんじゃ…」
 遠慮がちに、忍が言葉を挟んできた。
「だーかーらー、最初に言ったじゃん! 自慢話じゃないからねって!! 最後まで聞くの!」
 自分は散々嘴を挟んでおきながら抜け抜けと言う。
 我ながら良い根性だ、と千里は心の中で舌を出した。
「計算とか、そういうのって技術的な問題じゃん?
 はっきり言って、技術なら誰でも身に付くよ。オレなんか、箸を持つより早く弓握ったんだから、そりゃ、早く始めた分技術が先んじたって当たり前でしょ?
 ま、その環境が整ってて羨ましいと言われちゃうとどうしようもないけどね。
 そのかわりこれ、もともとオレの意思とは関わり無く始まってる強制ロードだって言わせてもらうけど。
 だからとにかくさ、技量の話じゃないの。オレが悩んでたのは」
 千里は大きな溜息を吐いた。
「果たして、オレは自分の演奏の中にちゃんと血液を送れているのかな? って、ずっと考えてた。小器用なだけじゃ、先は無いもの」
 語る声が、少し小さくなった。
「さっきも言ったけど、技術は練習量でカバーできるの」
 千里は、忍の両肩に手を置き、頭をその胸に軽くくっつけた。
 一瞬、忍の身体が後ろへ引きかけたのを無視して、更に話を続ける。
「あんな事件が起こるまで、オレは級友の葛藤にも気付かなかった。
 そりゃ、仲は良くなかったけど、あれだけの悪意を持たれてりゃ気付くべきでしょ。
 その程度の感性しかないオレに、音楽を続ける資格はあるのかな。
 音楽に限らず芸術っていうのは、あらゆる感性の具現であるべきだとオレは思ってる。
 決して技術をひけらかす場であってはいけないんだ。
 だから、足の引っ張り合いに汲々としている級友達を軽蔑してたよ。
 だけど、そんなオレだからこそ、気付かないうちに誰よりも傲慢になってたんじゃないかな。
 オレは、嫌々ここにいるんだというポーズをとりながら、ね」
 忍の胸に頭を付けたまま、千里は固く目を瞑った。
「そんなオレの音楽の中に、果たして血は通っているのかな?
 そう感じたときから、オレは立ち止まってしまった」
 千里の口調が、いつもの軽いノリが抜けた。
 千里の憎まれ口と軽口は、自分自身を保つ為の仮面だ。
 今、千里はその仮面を取り払った。
  君が、その答えをくれた」
「え?」
 忍が驚いた顔で千里の顔を見た。
「俺が?」
「意外でしょ?」
「意外  と言うか、いつ?」
「さっき」
 良くも悪くも、彼は正直だ。
 気を遣って、嘘を吐いたりしない。
 そして、彼の中には千里に対するいかなる先入観も無い。
 その忍が、千里の演奏に風景を感じてくれた事。
 そして、彼の固く閉じられた扉を開き、その心を引き寄せる事が出来た事。
 それらは、何よりの賞賛。
 上手だと、幾ら言われても嬉しくなかった。
 誰だって上手にはなれるからだ。

  その音の中に、体温はあるのだろうか。

 千里が自問し続けてきたその答えを忍がくれた。
「ありがとう」
 胸に押し当てていた頭を上げて、千里は笑った。
「君に会えてよかった」
 心からそう思った。
 忍が、耳まで赤くしながら、千里から目を逸らした。
 どう応えて良いのか分からず、困惑している様だ。 「君は、そのままでいいんじゃない?」
 忍の反応が面白かったので、千里は笑ってしまった。
「…うるさいな」
 千里があまりにも笑うので、彼は少しムッとしたらしい。
 眉間に皺を寄せ、千里に背を向けた。
 そして、何かに気付いたらしく、ドアの方へ歩いていく。
「?? 忍、どうしたの?」
 千里が問い掛けると、彼はドアの横に置かれた数個の荷物を手に取った。
 そして、千里の前までそれを運んできた。
「これ、千里の荷物。一応制服は洗濯してあるから」
 戸惑いながらも、彼は懸命に平静を装い、紙袋を一つと通学鞄、そして楽器ケースを差し出した。
 紙袋の中身はあの日身に付けていた制服一式とコートだった。
 ご丁寧にも、制服はプレスされた上、きちんと別の袋に仕舞われていた。
 彼らしいな、と千里はこっそり笑った。
「あ、そうだ! 服、このまま借りてっていい? せっかく制服キレイにしてもらったみたいだし」
 千里は、ふと思いついた。
 彼にまた会う為の口実だ。
 クラスも学科も違う忍と、このままここで別れたら  この特殊な状況で別れたら、日常の生活に戻った時にはもう会えないのではないかと感じていた。
 だからこれは、その為のささやかな布石だった。
「良いよ」
 千里の思惑を知ってか知らずか、忍はあっさり了承した。
「ありがと」
 少し安堵する。
 三学期になって学校に行けば、三年A組に、この非現実的な生徒は確かにいるのだ。


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