
scene.2
しかし、その翌日、事態は一変した。
この事件の『犯人』が見つかったからだ。
そもそも平常から点検を怠らなかった北尾の弓の弦が切れた事に疑問を持った平池が、生活指導の教師に立ち会ってもらい、弓と弦を調べ直したのだ。
すると、やはり不審な箇所が見つかった。
切れた弦をよく調べてみると、元々誰かが切れ目を入れた跡があったのだ。
念の為に北尾の予備の弦も調べてみると、御丁寧にそれらの弦にも切れ目が入れてあったらしい。
明らかに作為的に事故を起こさせたという証拠だった。
そうなると早いもので、事件のあった日、千里以外で洋弓場に出入りした生徒
特に、一人で出入りした生徒を捜し出し、問い詰めた処、あっさりと自分がやった事を認めたと言う。
犯人は、千里と同じクラスの生徒だった。
すんなり自分がやったと認めたのは、彼が音楽クラスの生徒だったからかもしれない。
本来なら音楽科の生徒が洋弓場などには出入りする機会は無い。
それが、そんな場所に立ち入る処を目撃された事で、逃げ切れないと考えた様だ。
その生徒とは、再び呼び出された園長室で対面する事になった。
「一年F組の水野千里です、失礼します」
犯人とやらは、先に来ていて園長の前に姿勢を正して立っていた。
「大崎…?」
それは本当に同じクラスの生徒だった。
親しくしていた生徒ではないが、やはり見知った人間が犯人だったと言うのはそれなりに衝撃だった。
「 さて、大崎君だったね。君は、何故こんなことをしたのかね」
園長が、ずっしりと響く声でゆっくり問いかけた。
「…腹立たしかったからです」
彼は開き直っているのか、堂々と胸を張ってそう言った。
「ふむ…。しかし、腹立たしいでこんなことをしていたのでは、キリが無いのではないかね? 何に対して腹を立てていたのか話してみなさい」
どうやら園長は話し合いで全てを明らかにし、和解させて後にしこりを残さないようにしたいらしい。
「……。俺たちは、プロの演奏家になるために、この学園を受験したんです。俺は推薦枠から外れました。今現在も、特別レッスンを受けることは出来ません」
彼は淡々とした口調で答えた。
「それでは理由にはならないだろう」
大崎の答えに、学園長が険しい顔になる。
「はい。それは、俺の問題です。けど、水野は俺の 俺たちの、必死で手に入れようと頑張って、叶わなかったものを持っているのに、何一つ努力をしない! レッスンはサボるし、授業では手を抜くし、挙句に隠れて洋弓部で遊んでいる! 許せなかった…八つ当たりでも、許せなかったんです!」
初めて彼が声を荒げた。
彼は俯き、拳を硬く握って一息に吐き捨てた。
混乱した気持ちのまま、千里は目の前で事態が進んでいくのをただ呆然と眺めていた。
自分がした事は、それ程までの仕打ちを級友から受けねばならない程の事だったのか。
千里の胸に、疑問が湧いてくる。
(別に、特別レッスンも推薦も、何一つオレが望んだことじゃないのに、それが攻撃されるようなこと?)
分からない。
或いは、望んでもいないのに、この場所にいる事が罪悪なのか。
ただ分かっていたのは、これまでと同じ様にヴァイオリンは弾けない出来ないと言う事。
そして、もう一つ。
「大崎、君に一つだけ言いたいことがあるんだけど」
千里の言葉に、彼は全くこちらを見なかった。
構わずに千里は話を続けた。
「今回は、たまたま本当にオレが直接喰らったけどさ、君の仕掛けは、下手したら北尾さんに 無関係の人に向かって働いたかもしれない」
その弓を引いたのは、確かに彼の狙い通り千里だった。
しかし、もしかしたら北尾がその弓を引いたかもしれない。
そう思うと、背筋が冷たくなった。
全く自分に非が無いとは言わない。
「そんなに羨ましいの? 人を傷付けてまで欲しいものなの?」
それは、入学してから二年間、千里の溜め続けてきた苛々が、頂点に達した瞬間だった。
「オレはいらない。望んでなんかいない。停学も退学も、オレがなればいい!」
大崎が、驚いた顔で一瞬千里を振り返った。
教師は皆一様に押し黙っている。
長い沈黙。
千里には、もうどうでも良かった。
「…話が終わりなら、オレはもう教室に戻ります」
そう言い残して、千里は園長室を出て行った。
長い廊下を、気付けば千里は全力疾走していた。
(やめる?)
ヴァイオリンを。
音楽を。
自ら宣言したものの、実感は無かった。
ずっと迷っていたのだから、別にいいじゃないか。
心の何処からか、甘い囁きが聞こえる。
それなのに、まだ千里は迷っている。
途方に暮れている。
心に何か、大きな穴が空いている。
これは、何なの?
今はただ悔しい。
翌日、大崎は登校してこなかった。
昨日のうちに、本人から自主退学届けが提出されたらしい。
そして千里には、学園長から改めてリハビリ終了後の実技試験の実施が申し渡された。
結局、千里は停学にも退学にもならなかった。
唯一の救いは、一度はスケープゴートとなった北尾が、何とか高等部へ予定通り進学出来る様になった事だけだ。