
scene.3
いよいよ、三年生の学年末試験が始まった。
彼らの試験期間は、一…二年生よりも一ヶ月程早く行う。
高校の外部受験より早く、内部からの持ち上がる生徒の人数を把握する為だ。
試験期間中の学生は、クラブハウス棟への立ち入りが禁止になる。
本来なら、千里も暫くアーチェリーはお預けになるはずだった。
ところが、部室の鍵を持たない千里の為に、部室の鍵と自分のロッカーの鍵を、北尾が予め貸してくれた。
ただし、一人で打つのは危ないから、必ず現部長の平池に声を掛ける様に、と一言釘を刺された。
どうしても飛来ケガ捉まらなかったら、自分を呼んでくれても構わない、とも。
最初二日間は平池が部活に出ていたので、彼に頼んで打たせてもらった。
ところが、三日目の今日は、平池が風邪で学校を休んでいて頼む相手がいない。
いくら北尾が呼んでくれて構わない、と言ってくれていたにしても
(だって、ねえ…。あの人今試験真っ只中だしー。うーん…)
それならば、諦めると言う選択肢も確かにあった。
しかし、諦めたくない理由があった。
その頃、千里がちょくちょくこうやって規則破りをして弓を引いている事が、クラスの中でじわじわ噂になっていた。
その事に対する、クラスの連中の皮肉や嫌味が洩れ聞こえてくるのだ。
千里が腹を立てていたのは、誰も面と向かって文句を言って来ない事。
その癖、陰口だけはご立派な事。
(気に入らなきゃ、直接言いにくりゃいいんだよ)
そんなクラスの連中に対して、千里の方も意地になっていた。
今更止めるもんか、と洋弓部に通い続けたのである。
(しょーがない…今日は一人でやるか)
洋弓部の二年生は、平池以外ほとんど幽霊部員だ。
まさか一年生に頼る訳にもいかない。
第一、主将の平池が休んでいるのだ。
幽霊部員ばかりの二年生には、まともに後輩に指導出来る者がいない。
だから、今日はもう部活動自体が休みになってしまっていた。
もうここまで来たら、諦めて帰るべきである。
千里も、本当はそうすべきと分かっている。
しかし、ついさっき教室を出る時に投げかけられた級友の嫌味に、半ば意固地になっていたのだ。
「ま、だいじょーぶでしょ! オレだって部員じゃないけど半年くらいしょっちゅう打ってたわけだし」
しかし、弦を張ったり、弓の固さを調節したりした事は一度も無い。
いつも、ちゃんとセッティングされたものを打たせてもらっていただけだ。
昨日も一昨日も、弓の調整は平池にやってもらった。
「いやいや、何回も見てたしね、できるでしょ」
自分にそう言い聞かせて、弓をケースから取り出した。
当然、これは北尾の弓だ。
千里は、北尾以外の人間の弓を借りた事は無い。
見様見真似で弦を張る。
いつも引いてる固さと差異が無いか、確認する。
それなりにセッティング出来た様だ。
「よーし、やればできるじゃん、オレ! まー、考えたら弦張るのは慣れてるからね!」
ただし、ヴァイオリンの弦だが。
「さー、いってみよー」
矢を番え、弓を引き絞った。
北尾に幾度となく教わった様に、矢を放つ。
放たれた矢は、的から外れてその左下に刺さった。
「あーあ、全然ダメだぁ…。的にも当たってないや」
北尾に打たせてもらうと、本当によく当たるのだ。
しかし千里も最近は、一人で打っても何とか的には当てられる様になっていたのに。
やはり、苛々しているのが表れているのかもしれない。
(平池だっけ、北尾さんは人に打たせるのが上手いって言ってたの)
それでいて、本人の成績は中庸だと言うのだから、何とも彼らしい。
「もいっかい」
再び弓を構える。
( ?)
二本目の矢を放つ時、少し違和感を感じた。
「あれ…?」
(なんか、弦緩んじゃった? たかが二本打っただけで?)
まさかな、と思い直し、千里は三本目の矢を番え、今までより強く弓を引いた。
その瞬間の事だ。
鈍く低い音を響かせ、弦が切れた。
「あっ! 」
番えていた矢は弾かれ、千里の足許に落ちた。
弦が切れた反動で、弓本体が撥ね上がった。
それが、千里の左半身を強打した。
千里の体が、地面に派手に転がる。
「…いった~」
千里は、身体を起こす為、地面に手を衝いた。
その瞬間、左手に強い電気が走った。
「 !!」
声も出せない程の激痛が、千里の左腕に拡がる。
(何これ!?)
恐る恐る痛みの中心へ目を遣ると、左手が血塗れになっている事に気付いた。
「…うそ…っ」
切れた弦が大きく弾かれ、左手を直撃したらしい。
混乱する気持ちを抑えて、どこが傷口なのかを確認する。
何箇所かに細かい裂傷が出来たのを見留めた。 そして…
「やば…」
中指が一番ひどく切れていた。
いや、それはただ切れているだけではなかった。
「何で…っ」
その指が、動かそうとしても動かない。
激痛の根源は中指だ。
「どうして!?」
痛みを堪えつつ、何度も動かそうと試みた。
しかし、とうとうその指を動かす事は出来なかった。