scene.5

 屋敷の二階  南西の角部屋。
 ドアを開くと、正面の寝台に、その人は確かに眠っていた。
 とても静かで、呼吸する気配すら感じない程だった。
(死んでるみたいだ…)
 いや、本当に死んでいるのだ。
 今ここに残っているのは、身体だけ。
 心はとうに失われている。
 寝台の横に跪き、彼の左手をそっと握った。
 初めて手を触れた日と同じ、温かい手だ。
 その甲に忍は頬を摺り寄せた。
「…何してる?」
 掠れた声が、忍に問い掛けた。
「ごめん、起こした…?」
 起きるとは思っていなかったので、少し驚いた。
「眠れないのか?」
 問う志月の声は、半分夢の中に意識を置いてきてる様子だ。
「少し…」
 答える忍の声も、少し掠れていた。
 本当は今帰ってきたばかりなのだが、そんな事は言えない。
「怖い夢でも見たのか?」
 小さな子供にでもする様に、彼は忍の頭を撫でた。
(怖い夢…?)
 忍は、今更疑問に思った。
 自分自身にとって何が一番の恐怖だろうか。
(この人と一緒に居られなくなるのは、怖いな…)
 忍は小さく笑った。
 彼にとって必要の無い人間になってしまうくらいなら、いっそ壊れてしまう方が良い。
 そんな黒い欲望が胸中を巡る。
 そして、慌ててそれを振り払った。
(違うだろ? 壊れてしまう前に終わらせるんだ)
 その為の種は、もう仕掛けた。
「一緒に、眠っても良い?」
 忍の問いに、志月は夢現ながらも意外そうな顔をした。
 そして、少し呆れた顔をして、小さく笑った。
「…おいで」
 彼は身体を奥へずらして、忍を寝台に手招いた。
 思えば、忍が自分から彼の寝床へ入るのは、これが初めてだ。
 いつも、済し崩しに、混乱したまま転がり込むばかりで  
 それが今夜は、自分から潜り込む。
 とても不思議な気分だ。
 既に温まった布団の中で、忍は志月の胸に額を付けた。
 彼は何も問わず、忍の首に下に腕を入れた。
「お前と眠るのは…悪くないな」
 額に、ただ触れるだけの優しいキスが降ってきた。
「…え…?」
 思わず見上げた顔は、出会った頃の顔とよく似ていた。
 穏やかで、優しげで、それでいて、とても哀しげな、顔  
(もしかして、気付いて…?)
 今から、忍が何をしようとしているのか。
 忍の視線に気付いた志月が、困った様に一瞬笑った。
 彼が笑う顔を見たのは、随分久しぶりだ。
「…疲れたな。とりあえず、眠ろう」
 そう言って、彼は再び目を閉じる。
 それきり、彼はもう一言も喋らなかった。
 もう眠ってしまったらしい。
 忍も、志月が作った腕の輪の中で固く目を閉じた。
 生温い人肌は、どちらかと言うと苦手だったけれど、この場所だけは別だった。
 特別な温度だ。
 身体の力が抜けてゆくのが分かる。
 神経が昂ぶっているはずなのに、意外な程容易く睡魔に囚われた。
(仕掛けは…働くだろうか)
 忍は、最後の選択を運に任せた。
 厨房のフライヤーに火を入れ、その側に可燃性の高いものを置いただけの、ごく単純な時限発火装置だ。
 彼女しか彼を救う事が出来ないなら、見えざる手が彼をその場所へ送るだろう。
(色々たくさん考えたけど、結局こんな答えしか出なかった)
 彼の望みは、彼女と共に在る事。
 それは最早、こんな方法でしか叶わない。
(本当は…生きて、欲しいよ)
 どんな形であっても、傍に居て欲しい。
(でも、それは…あなたの望みじゃない)
 だからせめて、最期の瞬間だけは傍に居る。
 生の時間を共有する事が出来ないなら、死の瞬間だけでも共有したい。
 それだけが忍自身の、今は唯一となってしまった望みだった。

 でも、もしそれ以外の  

 僅かの可能性が、あるのなら  

 二人で歩いてゆく、そんな未来が  

 細く長い呼吸を繰り返す。
 そして、自分の身体を包んでいる体温に、意識を集中させた。
 固く閉じた目の奥で、懐かしい光景が映る。
 出会った頃の記憶が目蓋の裏に再生される。
 そうしているうちに、緩やかな螺旋を滑る様にして、忍は深い眠りに落ちていった。


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