
scene.5
月明かりの下を二人で歩く。
その時間は意外に短く、ほんの十分ほどだった。
気付けば、学生寮の前だ。
するりと篠舞の腕が解けた。
放された腕にひやりと冷気が触れる。
簡素な造りの門扉は所々塗装が剥げ落ちて、その箇所に赤い錆が浮かんでいた。
篠舞は、その錆びて軋む門扉を、成るだけ静かにそうっと開いた。
「じゃあ 」
彼女が寮の敷地に踏み入れるのを確認して、志月はその場を立ち去ろうとした。
「寄ってく? お茶くらい出すよ」
そう言って篠舞は志月のシャツの裾を掴んだ。
「まぁ、そりゃ、寄って行きたいけど…女子寮だろ、いいのか?」
「そんなに煩くないよ。結構みんな自分の彼氏呼んだりしてるし。それに、今は休暇中だから寮内、人も疎らだしね」
服の裾を掴んでいた篠舞の手が、志月を屋内へと引き入れる。
寮の中は本当に人が疎らで、偶に他の寮生とすれ違う事もあったが、寮内を異性が歩いている姿を見ても、篠舞の言う様に誰も気にしていない様だった。
招き入れられた篠舞の部屋は、四畳程の広さだった。
家具は、作り付けの小さな寝台と、チェストだけだ。
薄暗いレトロな照明。
小さな月が部屋の中を照らしている様に、その灯りは、ゆらゆらと揺れていた。
女の子の部屋にしては、飾り気の無い部屋だった。
けれど素気ないと言う訳でも無く、どこか懐かしい匂いがする。
(篠舞の部屋らしいな)
日本から持ち込んだであろう、藺草のラグを撫でながら志月は少し安堵する。
やがてお茶を淹れたトレイを片手に、篠舞が自室に戻ってきた。
「お待たせ。インスタントだけど、どうぞ」
折りたたみの小さい卓袱台を立てて、そこに湯呑みを二つ並べた。
そして篠舞はすとんと志月の横に腰を下ろした。
二人してお茶を啜る、その間にじんわりと静寂が降りてくる。
電球の頼りない灯りに、二人の影がゆらゆらと揺れる。
注がれた異国のお茶の名前は、志月には分からなかったが、そこからは、花の芳香のような甘い香りが湯気と絡み合いながら立ち上っていた。
くたびれた木枠の窓から見える下弦の月が、庭に咲く、見た事も無い鮮やかな色の花々を照らしている。
無意識のうちに、志月は篠舞の長い髪の先を弄っていた。
それは志月の余り良くない癖で、高校時代はよく篠舞に咎められたが、何故だか今日に限って、彼女はそれを咎めようとはしなかった。
ただ、為されるがままにそれを見ているだけ。
その日、二人は多くを語らなかった。
言葉ではない何かをお互いに埋めていたのかもしれない。
花の香のお茶と、白銀の月光。
例え、それが夢幻であろうとも。
二人は確かに、お互いから何かを受け取った。
明くる朝、篠舞は今日からまたフィールドワークでいない、と言うので、志月はそのまま日本へ帰る事にした。
別れ際、彼女は申し訳なさそうに『クリスマスには帰るからね』と言った。
突貫工事のような短い旅行の手土産は、五本のフィルムと小さな約束。
しかし、その約束は永久に守られなかった。
志月の許に訃報が届いたのは、帰国から僅か十日後の事だった。