scene.2

 それは、十二月も半ばに差し掛かろうかというある日の事だった。
 六時限目の終了を告げる鐘の音が鳴り響いた。
 大抵の学校ではチャイムと呼ばれているのであろうが、千里の通っている城聖学園のそれは教会などで見かけるものと同じ  まさに鐘であった。
 今でこそ機械仕掛けで自動的に鳴るようになったが、創立された明治の昔からほんの二十年前までは、人力で鳴らされていたと言う筋金入りの年代物だ。
「では、今日の授業はこれまで」
 壇上の教師は教科書を閉じ、日直に黒板を消しておくよう声を掛け、教室を出て行った。
 入れ違う様に、この一年F組の担任  小笠原教諭が入室する。
 彼は初老の国語教師で、細身で小柄だが指導者然とした凛たる威厳が漂っている。
 この教師を千里は中々気に入っていた。
 小笠原教諭は静かに教卓の前に進み、手に持っていた数冊のファイルを揃えた。
「それでは、日直起立。本日の連絡事項」
 少々しわ枯れてはいるものの、それでも良く通る声が短く用件のみを告げる。
 指された日直はすぐに起立し、各科目の宿題や提出物、明日の行事予定などが書かれた日誌を音読し始めた。
「おい、水野」
 終礼のさなか、後ろの席の城野光聖が話しかけてきた。
 良家の御子息とやらが多いこの学校で、珍しく髪を長く伸ばしたり赤っぽく染めたりしている彼は、入学式以来割と仲の良い級友の一人だ。
 小笠原教諭に気づかれない様に、千里は前を向いたまま返事した。
「何、城野?」
「今日さぁ、ヒマ?」
「え…、今日?」
 一瞬どう答えるか迷ったが、結局「ヒマだよ」と答えた。
「じゃあさ、センター街行かねえ? 大滝と佐々も行くんだけど」
「うん、いーよ。オレも行く」
 本当は、今日は音楽科の特別講習がある日だった。
 城聖学園は私立大学の付属校だ。
 上の大学へ進むと音大に並ぶレベルの音楽科があり、初等科の頃から既に普通科と音楽科に分けられている。
 素質のある者は主に中等部までに選抜される。
 そしてそこで選抜された者だけが、高等部では国際コンクールを視野に入れた特別講習  通称、特講と呼ばれるものを受講する資格を得るのである。
 特講は週に4回  自主参加形式だ。
 そして、千里はヴァイオリン科の受講資格保持者だが、入学以来この講習にただの一度も出席した事はなかった。  そうかと言って参加しない事に吹っ切れていた訳ではなく、この八ヶ月間講習の日が来る度に迷ってもいた。
  行くのか?

  行かないのか?

 その日が来る度、毎回飽きもせず迷い続けていた。

 千里は、中等部の推薦枠に外部から見事合格したという大変輝かしい経歴の持ち主だ。
 しかし、中等部二年の時に遭遇したある事件が引鉄になって、音楽に対してすっかり嫌気が差してしまっていたのだ。
 それでも結局千里は、この城聖学園の高等部進んだ。
 大きな流れに身を任せる様に音楽科へ進んだ。
 心の中にわだかまる大きなしこりを抱きながら。
(こういうのも、スランプっていうのかなー?)
 そんな千里に、最初は熱心に受講を勧めていた教師達も、時が移るにつれ諦めの色が濃くなっていった。
 受講は必修ではないし、成績にも直接関係ない事になっている為、特講そのものには何の強制力もないからだ。
 飽くまで『生徒の自主性に任せる』と言う建前そのものが肝要らしい。
 城野と大滝や佐々は外部受験で高等部から城聖に入ってきた事もあり、どちらかと言うとそういう情報に疎く、また興味も薄い。
 何故なら、高等部から音楽部に進んでくる生徒は、その半数以上の受験理由が『普通科の偏差値が高いから』だ。
 つまり、彼らは千里が特講をサボリ続けている事など全く気付いていないのである。
 だから今の千里にとって付き合い易い友人なのだ。
(今までが音楽漬けの人生だったんだし、こういう時間があるのも、いーよね。うん。青春は短いのだ!   なんつってね)
 今日もまた、頭の中でぐるぐると自分自身にサボリの言い訳をしつつ、三人の級友たちと共に校門をくぐった時、千里は突然背後から腕を掴まれた。
「わっ!」
 後ろ向きに転びそうになり、「誰だよ!?」と千里は後ろを振り向いた。
  北尾さん」
 そこには、中等部からの付き合いで今も千里にとっては最も親しい友人である二年生の北尾智史が立っていた。
「千里、大事な話があるんだ」
 いつも穏やかな北尾が、いつになく厳しい顔をしていた。
「……。でも、オレ今日は約束があるから…」
 千里には、北尾の『話したい事』が何なのか大体予想が付いていた。
「水野、何か深刻そうだし  俺ら別にかまわないからさぁ、今日は先輩んとこ行けば? じゃあ、先輩もまた今度!」
 他の級友たちを促して、城野はその場を去った。
 こういう時の城野は、勘が良いと言うのか、場の空気を読むのが上手かった。
 去っていく三人の内大滝と佐々が、何やら冷やかしめいた事を千里に言っているのが聞こえた。
 単学の哀しさか千里の外見も手伝ってか、千里とこの二年生の北尾は仲間内でよく『公認』扱いをされる。
 しかし、飽くまでそれは冗談の範囲だと当人達は思っているし、少なくとも今、現時点の用事とやらが色事ではない事は、本人が一番よく識っていた。
「それじゃあ、サ店でも行って話す?」
 級友達に妙な気を利かされ一人残されてしまった千里は、観念して北尾の話を聞く事にした。


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