scene.11 指導医の仕事
午前7時、医局長と学会組の医師が早朝帯で出勤し、長い長い当直が終わった。
これで晴れてオフだ。
「明け方、大変だったんだって?」
医局長が七海の肩を叩いた。
「ちょっと、この連勤の〆としてはヘビーでしたね」
七海は凝り固まった右肩をゆっくりと回しながら答えた。
あの後、付き添ってきた家族にいろいろ説明をしなければならなかったのだが、当然のことながらなかなか納得してもらえなかった。
救急車に乗せられたまま受け入れ先が決まらず彷往し続けたことへの憤懣。
やっと受け入れ先が決まったと思ったら、何の処置も出来ず終わってしまったことへの不満。
医療機関そのものに対する不信感。
それら全てを現時点で払拭するのは不可能だった。
「アレ、タクシーにでものっけた方が良さそうだな」
親指で彼は医局の隅っこでぼんやりしている遠藤を指し示す。
彼は、今までに見た事の無い空ろな顔をしていた。
そのまま外を歩かせたら、瞬く間に車にはねられそうだ。
「 初めてだったんだろ、患者を亡くすのは いや、おそらく人の死に際に直面すること自体初めてだろうな」
医局長が溜息を吐いた。
「まぁ、この商売やってると、否応無くブチあたるんですけど ウチの場合、病状を観察しながら徐々に覚悟を決めるってのが出来ませんから、初めてでウチみたいなのは、ちょっとクるかもしれませんね」
「あいつ、妙に生真面目だから余計にな」
「とりあえず、途中までは一緒に帰ります。その後は様子見て、ヤバそうだったらタクシーにでも放り込みますよ」
七海は持ち帰り用のデータをフラッシュメモリに落とし、立ち上がった。
ここ1ヶ月分の症例の中で、早急に対処法を改善すべきものを集めたものだ。
もちろん、今朝方の患者のデータも入っている。
「そうしてやれ。俺のチケット一枚譲ってやる。 つか、お前休日に仕事持って帰るなよ。もちっと遊んだ方がいいぞ。若いのに枯れすぎだ」
医局長にフラッシュメモリを取り上げられてしまった。
「あ、ちょ…! 医局長!」
「駄ー目! いつも言ってるだろ、オフはオフ。そんなに仕事したきゃ、研修医のフォローアップでもしてやれよ」
「それとこれは関係ないです。返してください」
憤懣露に抗議するも、全く聞き入れてもらえない。
「ハイハイ、また明後日な」
そう言うと医局長はメモリを自らの白衣のポケットに突っ込んでしまった。
「 あの、お話中失礼します…。申し訳無いですが、そろそろ退勤させていただいてよろしいでしょうか」
気付くと背後に遠藤が立っていた。
既に退勤時刻を30分近く過ぎていた。
遠藤の顔色はあまり良いとは言えず、普段の快活さも無かった。
本当に、かなり参っているようだ。
「ああ、ごめん。上がって良いよ。
そうだ。僕ももう帰るから、途中まで一緒に行こうか」
なるべく自然な雰囲気を心掛けながら、七海は声を掛けた。
「あ はい」
今まで一緒に帰ろうなど言ったことが無かったので、言われた遠藤は不思議そうな顔をしていた。
「それじゃ、医局長お先です」
「はいよ。なんかあったらベル鳴らすんでよろしくなー」
彼はニヤリと笑って、右手を振った。
「今日はオフコールですよ。電源切っちゃいますから、残念ですねぇ」
負けじと七海も笑顔で答えた。
「へぇへぇ。そりゃ失礼」
医局長に見送られつつ、七海は研修医の背中を医局から押し出した。