scene.3 第一印象
2ヶ月後。
年明けて、1月。
桜川救命救急室。
正月の狂乱が終わり、一息吐いた頃。
遂に七海が最も忌み嫌う季節がやってきてしまった。
必修科目のために強制的に送り込まれてくる前期研修医を受け入れる季節だ。
(レジデントはまだいいんだ、レジデントは! 奴らは少なくとも選択科目の中から選んでくるんだから、前期よりはやる気がある)
しかし、後期研修医に比べて格段にやる気もなければ戦力外の前期研修医は、七海にとっては邪魔以外の何者でもなかった。
午後8時。
勤務時間までまだ少々時間があったが、七海は早めに医局に入っていた。
夕方、七海が起き上がる頃合を見計らって医局長からの電話が鳴った為だ。
明日から来るという研修医について、医局長と話し合わねばならず、また当の本人との顔合わせをしなければならない。
これで、誰が指導医に付くかはともかく、七海のチームに配属されることは確定だ。
「悪いな、早く出てもらったのにバタバタしてて」
どうも日直から手術適用者が続発している様で、医局内は落ち着きが無く、また疲弊の色も濃かった。
「僕、少し早い目に入った方がいいですか?」
どうせ出勤しているのだ。
七海は腰を上げかけた。
「必要無い。今はまだ回ってる。どうしても人手が足りなくなったら呼ぶから休んどけ。退屈だったら、明日から入る研修医の資料に目を通していてくれ」
そう言って医局長は慌ただしく医局を出ていった。
やれやれの気持ちで、七海は机の上に鎮座まします書類を手に取った。
(さて、今度の新人は何日もつかな)
溜息を吐きながら、薄っぺらい紙を捲る。
特別何が書かれている訳でもない。
履歴書の親戚の様なものだ。
「遠藤 要、二十四才…現役合格組か。嫌味な秀才タイプじゃなきゃいいな」
溜息混じりに七海は書類を指で弾いた。
瞬間、書類の隙間からスタッフカードが滑り落ちた。
所属と姓名を明らかにする為に、全スタッフが首からさげているものだ。
「とと、しまった」
七海は慌てて名刺より一回り大きい紙片を拾い上げた。
「…ぁれ? こいつ」
スタッフカードには顔写真が貼られている。
その顔に、七海は見覚えがあった。
しかもその記憶は比較的新しい。
(あの時の、内科の研修医だ…)
2ヶ月前、小沢と田島と3人で飲んだ帰り道に見かけた人物。
酔っ払いを懸命に介抱していた、内科の研修医。
「そうなんだ。へぇ…今日から、うちに入るのか。ふぅん…」
興味深げに、七海はスタッフカードを振った。
そうして、程なく医局長が戻ってきた。
「目は通したか?」
彼は七海の真向かいに腰を下ろした。
「一応、一通り」
城聖大学医学部卒業。
第一希望は第一外科。
明らかに執刀医希望だ。
ERもひっきりなしに執刀はするが、さて、最先端医療に一早く触れることが出来る第一外科と、彼にとってどちらが魅力的だろうか。
(必修期間が終わったら、専門選択で外科へ戻る…かな)
と言うことは、彼のER在籍期間は最短なら、必修と定められた2ヶ月。
それを考えたら、彼がそれなりに使えたとしても、あまり長居は望めなそうもないな、と思った。
望めそうも無いのだが、2ヶ月前の彼の顔が妙に印象に残っている。
「どうせお前は指導医に付きたくないんだろう? 誰を付けるか、候補を挙げてみてくれ」
医局長は最初から七海を指導医に付けるのは諦めているらしい。
だが
「いいですよ、僕が付いても」
七海は、まだ顔合わせをしていない研修医に少々興味を抱いていた。
外科は、医師というより学士の集団に近い。
過日見掛けた彼のなりふりを構わない様子は、意外と外科よりERみたいな現場向きかも と思う気持ちもあるのだ。
「ほぉ、そうかお前が って、何だって!? どうした、何か悪いものでも食べたのか!? お前が自分から指導医を引き受けるなんて、晴天の霹靂だな」
医局長が目を丸くしている。
当たり前と言えば、当たり前だ。
今まで七海は、自分から進んで指導医を引き受けたことは1度も無いのだから。
(指導医やるのが憂鬱なんて、大概の上級医がそうだと思うけどなぁ)
「本人を前に言いますか…」
七海は憮然とした表情で医局長を睨んだ。
「いや、まぁ引き受けてくれりゃ、こっちも助かるけどもな…」
まだ彼は狸に化かされたような顔をしている。
「まぁ、ちょっと興味があって。どう育つかな、みたいな」
患者に対して"症例"としてではなく、"人間"として当たる事が出来るヤツなら、それはこの部署に向いている。
それなら、ここで育ててみるのも面白いのではないだろうか。
本人が希望すればの話だが。
「おい…もしかして、ソレ、お前のタイプなのか?」
真顔で医局長が七海の顔を覗き込んだ。
「いくら何でもそんな理由じゃないですよっ!」
気になるの意味が違う、と七海は抗議した。
七海が全く女性に興味の無いことを、医局内で彼だけが知っている。
別に七海はそれを隠してはいないが、言いふらしてもいないので、結局何となく勘付いた医局長だけが知っているのだ。
「悪い悪い、半分は冗談だ。第一、今まで付き合ってたのとかなり違うタイプだもんな。コレ」
彼はそう言って、スタッフカードを手に取った。
「半分って何ですか、半分って」
七海は溜息を吐いた。
「まんまだよ。半分は本気だ。まぁ、俺は職場恋愛には寛容な方だから、安心しろ」
医局長が意地悪く笑った。
「余計なお世話です!」
基本的に医局長は気の合う上司で、頼り甲斐もあるが、時々冗談の過ぎるところが玉に瑕だ。
写真の人物も、よもや自分がそんな事で話題に上っているなど、思いも寄らない事だろう。
(ナースの噂話に上るならともかくね)
七海が苦笑いを零した時、医局のドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します。本日からERに入局致します、遠藤要です。よろしくお願いします」
一歩室内に足を入れ、彼は深々と頭を下げた。
昨夜はしゃがんでいるところしか見なかったので気付かなかったが、結構背が高い。
スポーツでもしているのか、それなりに体格も良かった。
(よし、これからしばらく力仕事は、こいつにさせよう)
ぼんやり不埒な事を考えていると、医局長が七海の腕を引っ張り上げた。
「ようこそ。俺は医局長の小田切だ。コッチは一班のチームリーダーの常盤木。うちはかなりハードだけど、頑張ってくれよ。
この常盤木が今日からお前の指導医だ。分からん事はコイツに訊いてくれ。人間的にはやや問題があるが、医師としてはそれなりに優秀だからな」
にやりと笑いつつ、医局長が一応の顔合わせを仕切った。
「は、はあ…」
今までの科に、こんな砕け切った医局長はいなかったのだろう。
彼は、唖然として、固まってしまった。
「ま、そういう事でよろしくやってくれ」
そう言い残すと、医局長はさっさと現場に戻ってしまった。
(ったく、どういう顔合わせだよ)
いつもの事だが、余りにも適当過ぎる医局長の応対に少々ムッとしつつも、七海は研修医を振り返った。
「そういうわけで、これからしばらく指導医を務める常盤木だ。まぁどんくらいの期間になるか分からないけど、とりあえずよろしく」
七海にしては珍しく挨拶などしてみたのだが、何故だか相手は戸惑っているようだ。
(う…もしかして、医局長にムカきたのが、カオに出てるかな)
自らの頬を擦り、普通の顔に戻そうと試みる。
「 よろしく」
無理矢理笑顔など浮かべて、再度声を掛けた。
「よ、よろしくおねがいします!!」
相手も、我に返った様に慌てて頭を下げた。
そんな彼の第一印象は、"やたら大きな仔犬" だった。