scene.2 ニアミス

 午前四時、ERの面々はようやく居酒屋を後にした。
 タクシー乗り場までの道のりを、酔い覚まし半分に歩いていた。
 いつもの面子、いつもの飲み会。
 そして、いつも通りの帰り道だった。
 七海たちにとっては、見慣れている赤いランプが目に飛び込んできた。
「あれ…? 事故かな」
 この場所で事故と言う事になれば、間違いなく搬送先第一候補は桜川病院だろう。
 思わず七海も、傍にいた他の人間もポケットの中のベルを取り出していた。
 観察するには少々距離があったが、目を凝らしてみてみると、救急隊員と共に患者を取り巻いているのは、先程居酒屋でも居合わせた内科の連中だった。
「ありゃりゃ…。連中、トバしてたからなぁ…やっちゃったか」
 小沢は、あの中の誰かが急性アルコール中毒でも起こしたのだと思ったようだ。
「小沢先生、倒れているのは普通のサラリーマンみたいですよ?」
 田島が小沢の言葉を訂正した。
 彼女の台詞に、七海は更に目を凝らしてその集団を見詰めた。
 確かに、患者らしき人物に見覚えは無い。
 他の人間は、そこそこ職員食堂や症例検討会などで顔を合わせている人物ばかりだ。
(…あれ? もう一人見覚えの無いのがいるな)
 倒れている患者を、支え起こしている人物。
 他の連中に比べて、少し若いようだ。
 必要であれば、救急車に同乗する事も念頭に置きつつ、七海たちは少しずつその集団に近付いていった。
(まぁ、既に医者と看護師が囲んでいて救急車も到着してるんだから、必要無さそうだけど…)
 患者は、見る限り自発呼吸しており、急性アルコール中毒まではいっていないようだ。
 しかし、呼びかけに応答できない程度には泥酔していた。
 救急車の真傍まで来ると、アルコール臭と嘔吐物の入り混じった異臭が立ち込めている。
 ERでは、結構な頻度でお目にかかる類の患者である。
 勿論、放置すれば命に関わる訳だが、そこに至る要因を思うと、何とも言えない溜息が洩れるのも確かだった。
 患者を抱えているのは、どうやら内科の研修医の様だ。
 そして、積極的に救急隊員に状況説明しているのも、その研修医だった。
 彼は説明しながら、抱え起こした患者の口にペットボトルの水を少しずつ流し込んでいた。
 血中のアルコール濃度を下げるためだ。
(おいおい…周りの連中、ちょっとくらい手助けしてやれよ。一般人に混じってんじゃないよ)
 あまりにも周りの上級医や看護師が動かないので、七海は思わず内科の連中を押し退けて手を出しかけた。
 しかし、当の本人はその事に焦っている様子も無く、実に冷静に対応していたので、七海もわざわざ駆け寄って、更によその科の上級医を退けて手を出すところまでは至らなかった。
(へぇ…)
 なかなかどうしてその研修医は頑張っている。
 普通は、酔っ払いが吐いているだけでも慣れていないとなかなか触れなかったりするものだが、臨床経験に乏しい研修医にしては、迅速な対応をしていると言えるだろう。
(なかなか)
 自らの衣服や身体が患者の吐物に汚れる事に躊躇う様子も無い。
 彼は、ごく自然に患者に同乗し、そのまま救急車の搬入口は閉められた。
 どうやら搬送先まで付き添うつもりのようだ。
(対処の仕方は一般人と大差ないけど、まぁ冷静な方だな)
 そして、誠実だ。
 しかし、内科の連中の中には、研修医の青臭いとも取れる行動に少々鼻白んだ視線を向けている者もいた。
 こと大学病院の医局において、スタンドプレーは忌み嫌われる。
 桜川病院は、名称こそ違えど城聖大学の系列病院なのだ。
 当然、学閥もあれば、縦の繋がりも強い。
(気の毒だけど、これで内科には入れないだろうな、今のヤツ)
 患者と研修医を乗せた救急車は、桜川病院の方へ走り去っていった。
(でも  
 それを見送った七海は、ERに確認の電話を入れた。
 搬送されていった患者が受け入れられたのかどうか、確かめるために。
 幸い、先刻の患者は断られずに済んだ様だ。
 一番怖いのは、受け入れ先が決まらない事。
 救急車に乗った時点では命に関わるような症状ではなかった患者が、受け入れ先の病院が決まらないまま、悪化してしまう  最悪は、死に至る事態を招く事。
「どうしたの、七海ちゃん」
 いつまでも七海が動かないので、小沢が不思議そうに七海に声を掛けた。
「何でもないです。とりあえず帰りましょうか。明日も当直だし」
 再び七海たちはタクシー乗り場に向かって歩き始めた。

 14歳の冬、七海の父親は交通事故で死んだ。
 13軒の病院に受け入れを拒否され、手遅れになった。
 2時間以上救急車に乗せられたまま、山と山の間を走り続け、そのまま眠ってしまった。

 それがきっかけで医師を目指した訳ではない。
 むしろ、父親の一件以来、医師という職業は信用していない。
 しかし、母親が頼った先の親戚が、たまたま医者一家だったのだ。
 何となく、流されるまま医大に進み、医師になっただけだ。
 特に母の従兄とやらは実に熱心に七海に医師になるように勧めた。
 世話になっている手前、断りづらい。
 それだけだった。
 それだけのことだった。


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