scene.5 小さな情け。
遠藤がERに入局して2週間。
経験上、大概の研修医がこのあたりで音を上げる。
大体、休みを入れてくれ、と上級医に直談判しにくるのがこの頃なのだ。
七海は、この期間を一つの目安にしていた。
日直通し当直のシフトを、3日に一度の割合で、10日から2週間ほど休み無しのシフトを組み、様子を見る。
人間、そのくらいの期間徹夜しながらハードな仕事を続けると、本性が見えてくるからだ。
いくら最初お行儀良くしていても、人間は追い込まれれば馬脚を露すものである。
同僚や上司に八つ当たりし始める者。
患者への対応が杜撰になる者。
耐え切れず逃げ出す者。
だから、敢えて一番最初にハードなシフトを組むようにしているのだ。
「おはよう…ございます」
懸命に欠伸を噛み殺しながら、新人研修医は仮眠室から這い出してきた。
彼は、体育会系を通り越して軍隊志向に片足入っているのか、勤務体制に対して一切不平を言わない。
七海の指示には全て"YES"を返した。
他のスタッフに八つ当たりする様子も無く、愚痴を洩らす気配も無い。
不完全ながらも、患者には丁寧に接している。
当然、逃げ出す様子は全く無い。
(相変わらずナース受け良いし)
気付くと、遠藤の看護師受けを妙に気にしている七海であった。
(でもさすがに、こんだけ大きいのがへろへろ床を這ってると、邪魔だなぁ……)
そんな理由で七海は、そろそろ半日くらい休みにしてやるか、とうっすら仏心を持ち始めていた。
(もしかして、まあまあ拾い物だったかな? コレ)
床に這ったまま、半分眠り掛かっている研修医の襟首を、七海は軽く引っ張ってみた。
「おーい、研修医。風邪引くぞ」
「すみません…おき…ます」
答える声も既に、寝言の域に入っていた。
その様子があまりに情けなかったので、七海は思わず笑ってしまった。
(しょーがない。情けを掛けてやるか)
「いいよ、もう。そのまま仮眠室で寝てな。当直になったらまた起こすから」
過去に、一人だけやはり音を上げずに最後まで付いてきた研修医がいるが、彼の場合はこういうがむしゃら感は無かった。
終始サラッとこなされてしまったので、全く可愛げを感じない研修医だったのを憶えている。
しかし、この新しい研修医…遠藤は、とにかく限界超えても食付いてくるので、さすがの七海もそろそろほだされそうになっていた。
そのまま床で眠ってしまった遠藤を仮眠室に引き摺り戻し、七海は勤務に入った。
「アレ? 遠藤は?」
ERに入ってきたのが七海一人だったので、医局長が一瞬不穏な顔を見せた。
「そろそろ限界みたいなんで、仮眠室に置いてきました」
七海の答えに、居合わせたスタッフが一様に胸を撫で下ろしている。
明らかに、何か不穏当な事を考えた様子だ。
「って、ちょっと! 僕が研修医を追い出すとでも!?」
あんまりな反応だ、と七海が抗議すると、スタッフは皆困った顔で笑った。
「追い出すとは思ってないけど…」
田島が苦笑いを浮かべながら言葉を濁した。
「ツブしかねない、と心配はしている」
彼女の言葉を繋いだ医局長が、意地悪な笑みをを浮かべた。
「そういうこと言うんだったら、二度と指導医なんて引き受けませんからね!」
全く、揃いも揃ってひどい認識だ。
七海は別に研修医をいびるのが趣味なのではない。
ただ、学生気分でふわふわ雲の上を歩いている様な奴が、医師面しているのが嫌いなだけである。