scene.4

「あの、それは本当に  
 躊躇いながら、忍が何か言いかけた。
 しかし、北尾はそれを遮ってしまった。
「いいよ、フォローしなくて」
 こんな風に、人の言葉を遮ったり、普段の北尾なら決してしない。
 しかし、この時はそんな余裕が無かった。
 北尾の反応に、少し忍は困惑しているのが分かる。
 おそらく彼は、千里がどうしているのか知っているのだろう。
 もしかしたらあの広い家のどこかに隠れているかもしれない。
 けれど、北尾はそれを追求する事に、躊躇いを感じずにはいられなかった。
「…おれが下手にしゃしゃり出たら余計おかしなことになるかもしれないから。
 二年前みたいに  
 二年前の事件が北尾の頭を過る。
 それは、自分の性格が人生で一番裏目に出たケースだ。
 北尾は今でもそう思っている。
「どうして、そんな風に? 二年前の事件って…?」
 忍の無機質な瞳が北尾を捉えた。
 どうやら、千里は彼に何も話していないらしい。
「俺は、この通りだから…前にも余計なくちばし挟んで、それが元で千里は指を一本駄目にしたんだ」
 自嘲の笑みが浮かんだ。北尾には似合わない皮肉な表情だった。
「簡単に一本て言ってもさ、俺たちだって今使ってる指が一本駄目になっても結構困るよな。  まして、あいつは演奏家なんだ。それなのに…」
 北尾は大きく溜息を吐いた。
 長い間、口にした事の無かった過去だった。
 千里が、北尾を責めようともしないので、口に出す事すら出来なかった事件。
 何故、全くの第三者にこんな話をしているのだろう。
(俺も酔っ払ってるのか  
 泣きたかったのに、泣けなかった。
 謝罪さえさせて貰えない。
 酷く、苦しい。
 そんな塊を、ずっと心の中に仕舞っていた。
 その時、不意に忍の腕が伸びてきて、北尾の首に絡み付いてきた。
「な、何?」
 驚いた。
 北尾は、忍が人に触れたり触れらるのを苦手に思うタイプだと感じていたからだ。
「でも、今も一緒にいるのでしょう?」
 それは、相変わらず淡々とした口調だった。
「それが彼の、水野千里の答えなのだと思いますけど」
 思いの外低い体温の腕の中で、北尾は目を見張る一言を聞いた。
 そう、あれからもう二年経っている。
 学年も違う。
 科も違う。
 会えば進路の事で言い合いになる。
 それでも、あの千里が離れずにいる。
 それが彼の答えではないのか、と目の前の後輩は言ったのだ。
「ああ…そうか  もな」
 そうなのかもしれない。
 まさか、その事を忍に言われるとは思ってもみなかったが  
「初めて会ったとき、何て無愛想でヤな奴かと思ったけど、意外と他人に気遣うよな、お前って」
 意外だが、実際そう感じていた。
 今日だって、飲み慣れない酒を断りきれず、潰れるまで付き合っていたし  まあ、あっという間に潰れたのだが  今だって同じだ。
 慰めてくれたのだ。
 北尾が、傷ついていたから。
 それは猫が傷口を舐める様な、とても不器用な慰め方ではあったが  寧ろ下手に言葉を繕われるより、受け容れ易かった。


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