scene.5

 志月が通されたのは、二階の最奥の間だった。
 押し込まれた部屋の中には、自分とそう歳の変わらない様な女が一人  もの憂げに窓際に座っていた。
 くっきりとした朱色の襦袢の織り模様は曼珠沙華。
 白い襟より尚白い項が、夕日の橙色に染まる。
 崩して座っている着物の裾から、白い膝が覗いている。
 無造作に束ねられた髪は傷んで毛先が茶けていた。
「何してはるのん? 早よぅ入りはったら?」
 女はゆったりと手招きをした。
 尚も入り口に立ち往生している志月を見遣り、女は苦笑した。
「…とりあえず、お茶でも淹れましょか」
 裾を合わせて立ち上がり、今度は座布団の上にでも座るように促した。
 手早く急須にお茶の葉とお湯を注ぎ、湯呑みにそれを注いだ。
「上から見えてたわ。さっき、入り口で随分渋ってた人やね」
 呆れた様に微笑み、茶菓子の入った入れ物を、志月の方へ押し遣った。
 志月は湯呑みに口を付け、一つ溜息を吐いた。
 この場を、どうやり過ごすか思案していた。
「どこから見ても、いいとこの坊んやもんね。こんな場末の女抱く気にはならんてとこ?」
 女はさらりとそう言ってのけた。
 その言葉に不思議と皮肉めいた響きは無く、寧ろ微笑ましげな表情をしている。
 彼女は彼女で、何処か掴み処が無く、志月は受け答えするのに困惑した。
  いや、そう言う訳じゃない。相手が何処の誰だからという訳ではなくて…」
 更に一呼吸置いて続けた。
「とてもそんな気分になれない。  それだけなんだ」
 嘘偽り無く、本当の気持ちだ。
 志月は、特別潔癖でも無ければ、小説の中の主人公の様に一途なロマンティストでもない。
 ただ、痛覚さえ麻痺してしまった様な無気力に苛まれながら、到底そんな処にまで神経を遣う余裕が無いだけだ。
  そぉ…。うちはラクでええけどね」
 女は薄く微笑んでそう言うと、それ以上は追及せず、また窓際に座り直した。
 しばらく沈黙が続く。
「…そう言えば、入り口に子供が座っていた  あんな小さな子も?」
 何気ない風を装って、入り口の子供の事を訊ねてみた。
 それこそ、沈黙に負けて口火を切った様な振りで。
「ああ、あの子…? お客さん、そういう趣味なん?」
 初めて興味ありげに、彼女はこちらを向いた。
「いや、そうじゃなくて  その…あんな小さな子供まで客を取らされてるのかと思って…」
 女は一瞬こちらを向いて、また暗くなり始めた窓の外に視線を戻した。
「お客さん、こんなトコ来たんが間違いなくらいほんまマトモなんやね。
 あの子は、うちが面倒見てる子なんよ。だから、ここでうちが仕事しとる間、ああやって待ってるん。
 商売もんちゃうから安心して」
 そのまましばらく押し黙っていたかと思うと、ぽつりとこう続けた。
「…もっとも、いつまでもこんな町におったら何れは、うちらと同じになるんかもしれへんけど…。
 この町じゃ、男も女も、ロクなモンになれんもん。
  それでも、身体全部揃ったまま売られる子はまだましな方」
 親の無い子は、外国へ『部品』として売られる事も珍しくないのだと言った。
「この辺の子らは、ほとんど戸籍なんか無いし親も居ぃへんから…仕方ないんよ」
 寂しげに女が微笑んだ。
 何でも無い風を装いながら、志月は掌に汗が滲むのを感じた。

  『部品』……。

(切り分けて…?)

  篠舞 ミタイ ニ…?

 否応無く、一年の事件が頭に浮かんだ。
 あんな事がこの町では、狂気からではなく、金銭の為に行われるのか。
 俄かに信じ難い世界が、そこに在った。
「お客さんには、縁が無い話やろね」
 凄惨な話をする間にも、女は笑っている。
 女は、朱実と名乗った。
 その後、自分と子供の関係について、ぽつぽつと志月の沈黙の隙間を縫う様に話し続けた。
 子供は「ゆき」と呼ばれていて、この置屋に売られた頃に、一番人気だった芸者の子供である事。
 父親はチンピラ紛いのヤクザ者だった事。
 その二人が、ある日突然姿を消してしまった事。
 そして後に残された子供の面倒を、朱実が見ている事。
「お姐さんには、随分お世話になってねぇ…身体弱くて、ちっとも商売モンにはならんかったうちの妹の面倒まで見てもろて。
そやから…うちはあの子の事はちゃんと見てやりたいんや」
 そう言って朱実は、寂しそうに笑った。そして消え入りそうな声でこう続けた。
「ほんま…こんなとこにおって、何も言えへんなぁ…。
 ああ、ごめんねぇ…お客さん相手に、こんな愚痴みたいなことゆうて…」
 我に返った様に朱実が呟いた。
 そして、それきり彼女はロを噤んでしまった。
 夏の陽はすっかり落ちて、建ち並ぶ古びた屋根屋根の向こうに残照が映っていた。


前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++

PAGE TOP▲