
scene.3
彼女の死から一年半が過ぎた。
大学に通う志月は、二回生になっていた。
まるで液体の中で漂っている様な時間が流れた。
視界はぼんやりとして、音はどこかくぐもった様で聴こえにくく
目の前の事象は、全てただ滑り落ちてゆく。
足許に大地は無く、頭上にあるのは、ただ虚空。
それだけしか感じられなかった。
なし崩しにただ大学へ通い、可能な限り身の回りを忙しくした。
必要の無い単位。
強いて要らない資格。
興味の無いサークル。
疲れるだけの人付き合い。
力メラには一指も触れず、ただ闇雲に忙しいだけの日々を程過ごした。
そんな志月の様子を心配した実家の兄が、病院へ行くように促した。
促されるままにしばらく通院を試みるも、それ程改善されたとは感じられない。
ただ、処方された薬の効果で、どうにか睡眠を確保する事は出来るようになった。
その頃の志月は、自分自身に残された時間の長さ 未来そのものを持て余していた。
いっその事、自分の時計も止まらないだろうか。
そんな事ばかりを考え続けていた。
その年の夏。
お世辞にも性質が良いとは言えないサークルの上級生の発案で、ある合宿が実施された。
合宿と言っても、本当に真面目に何らかの研究活動をする為のものではない。
各々、地元の者や実家の目を逃れて羽根を伸ばそうという目的のものだ。
下らない。
志月は溜息を吐いた。
もともと家同士の付き合いのある上級生に誘われ、あまり強く断れずに入ってしまったサークルだ。
それなりに名のある家の者ばかりを選んで声を掛けている、と言う誘い文句だったが、そこが実に下らないと思った。
彼らの行動の隙間からは歪んだ選民意識が常に見え隠れしていた。
彼らは、多少無茶をしても、道徳から外れていても、自分達なら許されると思っている処があった。
志月は、自分が何故その中にいるのか分からなかった。
それでも付き合い上断りきれず、志月は実の無いサークルの、虚しい合宿とやらに参加せざるを得なかった。
旅行気分を味わいたいという意見が出て、合宿先への移動はわざわざ新幹線を使った。
西の方へ旅をするのは、高校時代、修学旅行で京都へ行って以来だった。
リーダー格の上級生、木ノ内は関西の出身らしく、宿の手配から全て取り仕切っていた。
「まぁ、宿の方はうちの親父がらみやから、遠慮なく寛いでな」
彼は、一人一人に部屋の鍵を渡した。
「部屋は一応ダブルにしといたから、まあ好きに使てくれや」
要するに『適当に女性を連れ込んでも構わない』ということだ。
(下らない)
それが今回の合宿の主な目的らしい。
だからわざわざ地元を離れてこんな遠くまで来たのだ。
「いいのか?地元だろ?」
木ノ内の友人の一人が言った。
「うちは成金やからな。別に今更お行儀良くしたところで、たいして変わらんわ」
宿を提供しているこの上級生は、あまりこういう場面を地元で見咎められても気にならないと言っていた。
「そうや、解散前に言うとくで。
今日はとりあえずゆっくり休んで、明日は夕方から行くとこ決まってるからな。身体、空けといてや」
解散直前に彼はそう言った。
ほとんどの人間が、夜の街へ繰り出していく。
志月は、初日にして既に重い徒労感に苛まれつつ、早々に与えられた部屋に引っ込んだ。
その日の夜は、なかなか寝付かれなかった。
いや、あれ以来、薬の助けを無くしてまともに眠れた日は無いのだ。
しかし、今夜は特に神経が尖っている。
眠剤の効果も望めない程に、神経がささくれ立っている。
嵌め殺しの大きな窓からは、細い三日月が見えた。
灼ける様な痛みが、喉の奥を焼いている。
息苦しい。
空調は寒いくらいに効いているのに、身体はやけに汗ばんでいる。
見上げた空には、三日月。
こんな月を、いつも見上げていた様な気がする。
そう、篠舞と最後に会ったあの夜も。
三日月 夜空を薄く切り取った、その鋭利な切っ先で今また何を切ろうと言うのだろう。
志月は、無理矢理にもう一度目を閉じた。
明日もおそらく、酷く疲れる一日になるに違いない。