scene.2

 水の底に降りたような夢の中で、志月は高校生だった。

 都立高校に通う二年生  二学期半ばの十月。
 今は教室でLHRの時間だ。
 今日の議題は、後期委員会の役員決め。
 クラスの半分は何らかの役に付かなくてはならないとあって、楽そうな委員から次々に売れていった。
 残っているのは、男子の園芸委員  時々早朝当番がある  と、男女学級委員だ。
 志月も、何かに立候補する気はさらさら無く、ただ成り行きを見守っているだけだった。
「もう立候補者はいませんか?」
 前期の学級委員長が呼びかける。
 返事は無かった。
「それでは、推薦に移りたいと思います。誰かないですか?」
 女子グループの一つが、委員長の呼びかけに答えた。
「背尾さんがいいと思いまーす」
 最初に発言したのはグループのリーダー、金井という名の女子だ。
「さんせー」
 金井に続いて、同じグループの女子が何人か続いた。
 彼女らは、くすくす笑っていた。
 クラスの中では、主導権を握っているグループだ。
 女子はもちろん、男子から見てもあまり逆らいたくない連中である。
 ある種の権力を持った集団には  特に女の集団には、あまり誰も逆らいたくないものだ。
 背尾篠舞は、別に彼女らと直接もめた訳ではないのだが、気付くとすっかり彼女らグループの標的になっていた。
 そんな彼女は、当然クラスの女子達の中では浮き立っている。
 背尾篠舞という生徒は、服にも、化粧品にも、芸能人にも、普通の女子高生が興味を示す様な事柄にはあまり関心が無い様子で、休み時間はいつも一人、小難しそうな本を読んでいた。
 そういう処がうまく集団に馴染めない原因なのだろうが、当の本人はその事で変に卑屈になったりはしていなかった。
 常に飄々と『私は私』という顔をしていた。
 彼女の視線は、自分達とは全く違う所を見つめている様に見えた。
 しかし、先刻彼女を名指しにした連中にとっては、その態度が更に癪に触ったらしい。
 だから、時々こうやって嫌がらせを仕掛けるのだろう。
「反対の人、いませんか?」
 委員長もその辺りはよく察していて、触らぬ神に祟りなしで話を進めていく。
 別に彼女でなくても良いのだろうが、どちらにしても閉鎖された社会の中で、こう言った生贄の羊は常に存在し続けるのだ。
 結局誰も  当の本人さえも反対しなかったので、女子の後期学級委員長は背尾篠舞に決定した。
「それでは、男子の推薦はありませんか?」
 教室の中が忍び笑いでさざめいた。
 そのとき、何となく  本当に何となく、志月は手を挙げてしまった。
「はい、誰ですか?」
 委員長が、志月の方を振り向いた。
「自薦で…今から俺が立候補しても良いか?」
 気付けば口から飛び出していた。
 志月の立候補に、今度は教室の中がどよめいた。
 当然だ。
 この嫌がらせは、誰も彼女と一緒に委員会に出るのは嫌だ、と言う事を証明して初めて完成なのだから。
 立候補者が出ては失敗なのだ。
「え…? あ、はい。  それじゃあ、男子は東条君でいいですか?」
 委員長も動揺している。
 みんな躊躇いがちに賛成の拍手をし、何となく妙なムードのまま、LHRは終わった。
 普段、志月はあまり目立つ行動はしない様に心掛けている。
 家庭環境が派手過ぎるからだ。
 父や祖父が時々ニュース番組を騒がせたり、その取材現場として自宅が映ってしまったり、気を付けないとすぐに悪目立ちしてしまうのだ。
 公立高校に入学すると決めた時から、極力目立つ行動は避けてきた。
 しかし、二年生の半ばにして、クラスの中というささやかな範囲の中ながら、一番目立つ行動をしてしまった気がする。
 案の定、休み時間に入った途端、あっという間に級友達に取り囲まれてしまった。
「何で!? 何で東条君立候補したりしたの!?」
   彼女を指した女子達と同じグループの子達が、まず詰め寄ってきた。
「そーよぅ! 何で!?」
 自分達のお楽しみを邪魔され、志月に対して口々に不平を鳴らした。
「ってゆーか、後期は行事多いから面倒だぜぇ? 物好きだなー、志月」
 呆れ声でこう言ったのが、一年生のときも同じクラスで仲の良い川島宏幸。
「そうそう! 文化祭だろ、修学旅行だろ、耐寒遠足だろ、マラソン大会だろ、卒業式だろ  
 枚挙すれば暇が無い程、後期は学校行事が目白押しだ。
 だから、内申点狙いの者は主に前期に立候補する。
「んー、たまには委員会にでも入っとかないと、三学期に履かせてもらう下駄の高さが足りなくなるかなと思って」
 志月はわざとらしく肩を竦めて笑った。
「うそつけ! お前の成績でどこに履く下駄が要るんだよ!」
 もちろん、咄嗟に思いついた方便だ。
 別に志月自身は正義感の塊でも何でもないが、あまり露骨過ぎるやり方は傍目にも見苦しい。
 本当に気に喰わないと思ってる連中が個人的に攻撃してるくらいなら、当事者同士で解決すれば良い。
 その他大勢を巻き込んで孤立させる様ななやり口は卑劣だと感じた。
 それに、数々の嫌がらせに対してそよ風に吹かれた様な顔で受け流している背尾篠舞が、志月は嫌いではなかった。
 むしろ、感心していた。
 だから手を挙げた。
『この程度の助け舟なら出してもいいか』と。
 そう言えば、彼女は自分が名乗りを上げた事をどう思っているのかと気になって、人垣の向こうで自分の席に座っている背尾篠舞を覗き見た。
 すると、彼女もこちらを見ていた為、目が合ってしまい、志月は慌てて目を逸らした。
 何秒か後、もう一度そっと彼女の方へ目を遣った。
 彼女の俯いた横顔は、長く伸ばした髪で顔が隠れてしまっていて、表情を読み取る事が出来なかった。


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