
scene.3
千里の心は、鮮やかな夏の思い出の中にあった。
その鮮烈なイメージが彼の周りから暗闇を払った。
(ホントに、お人好しなんだから)
千里は小さく笑った。
そして、すっかり依存している事を自覚した。
いや、再確認した。
いつも心の何処かで頼りにしている。
一方的に依存している自分が嫌で だから、彼のお節介が時に辛く感じていたのに。
けれど結局の処自分は彼に頼りっきりなのだ。
千里はそれを認めざるを得ない。
(ま、ちょっと悔しいけどね)
開き直りで自らの闇から逃れる事が出来た千里は、もう一度忍の事を考え始めた。
昨日彼を激怒させてしまったのは、千里自身がわざと挑発したからだ。
いろんな意味で、その方が本音を引き出せると思ったから。
(でも、それにしたってちょっと…)
度を越した反応じゃないかと思った。
拳の一発くらい喰らうか覚悟は出来ていたが、まさか首を絞められるとは思っても見なかった。
そしてずっと感じている、彼の自分に対する異常なまでの固執。
気付かない所で、それを抱かせるに至る何かがあったのだろうが
しかし、昨日の忍は、その事を差し引いてもかなり不安定だった様に感じる。
(キレるタイプなのかな。ううん、アイツはそういう短絡思考型じゃない)
元々親しかった訳ではないのだから、忍が元々どの様な性格なのか千里は知らない。
それでもこの短い期間の中で、彼は感情の起伏の平坦な性格だと感じていた。
或いは、感情を押し殺しているのかもしれない。
そんな彼が自分の感情を露にしたとしたら、それは瀬戸際に追い込まれたという事なのだろう。
(だとしたら、昨日アイツはそこまで追い込まれてたってこと? たったあれだけのことで?)
表面張力でぎりぎり保たれたグラスの水が溢れ出した様に、零れ落ちた彼の感情の一部。
(どうして)
囚われの身の千里より張り詰めた忍の精神状態が、千里には不思議でならなかった。
頑なな暗闇の中にいる彼。
五感を全て奪い去られた様な、閉じられた空間。
そんな場所に、彼はいるらしい。
(その理由は、わからないけど )
少なくとも、その暗闇を払ってくれる様な『誰か』が、彼にはいないのだろう。
その孤独感だけが、この暗闇を伝って身体に染み込む。
千里は、自分が今置かれている状態をすっかり忘れていた。
千里自身だって、北尾の事を笑えないお人好しだ。
(だって、あんなとこ見ちゃったら、気になるよ)
昨日、忍は怯えていた。
制御する事の出来ない自分自身の衝動に。
握り締めた彼の手は、あんなにも震えていた。
(……バカみたい。嫌いとか言われてんのに )
千里は溜息を吐いた。
彼の、自分に対する理不尽な行いを責める気持ちは、すっかり形を潜めていた。
もし、こんな形ではなく彼と接する機会があったのなら、少しは出来る事もあっただろうに、とさえ考えていた。