scene.3

 翌、十二月二十日。
 授業の間ずっと、忍は昨日と同じ様に保護者からの手紙を眺めていた。

 十二月二十一日、帰国

 彼は、毎年この時期に、冬期休暇として二週間ほど休みを取っていた。
 今年に限って  今回に限って、忍は彼の帰国に言い表せられない緊張を感じていた。
(千里の事があるからかな…)
 二週間もの間人一人を隠し続ける事は、確かに容易ではない。
 だから気が張って当たり前ではあった。
 けれども、この緊張はそれとはまた別のものだと感じていた。
 その正体が何なのか忍にはまだ解らないが。
(最近おかしい。何で、こんなにも胸がざわついて落ち着かないのかな)
(今まで、こんな風になった事は一度も無かったのに)
(千里と会ってからだ)
(思うように感情を制御できない)
 早くなる鼓動が余計何かを急きたてる。
 危ない、と思った。
 昨日の様になる、と。
 無意識のうちに、忍は自分の左胸を掴んでいた。
 そんな処に、心なんて在りはしないのに。

左の胸に在るのは、ただの心臓。
    そんな処に、心なんて在りはしないのに。

(感情なんて、持っていない)
 忍は何度も繰り返し呟いた。
(心なんて、在りはしない)
 呪文の様に、何度も呟いた。
 手に力が入って、気づいた時には便箋が皺くちゃに握りつぶされていた。
 その指を解こうとしたが、また昨夜と同じ  硬直したまま震えたそれは、なかなか解く事が出来なかった。
(落ち着かないと)
 目を瞑り、ゆっくり深呼吸をする。
 一度、二度、三度…。
  昨夜の事を思い出しながら、何度か繰り返した。
 徐々に鼓動は静まり、手の震えも治まってきた。
「…治まった」
 けれど、一人きりの手には、昨日の様に仄かな暖かさを感じる事はなかった。
 一息吐くと、くしゃくしゃになってしまった便箋をもう一度広げた。
 そこには、ひんやりとした文字の羅列だけがあった。
 窓から外を見ると、予報よりやや早く雪が降り始めていた。

 その時、左胸のずっと奥の方で小さく鈴が鳴るのを聴いた。

(だけど本当に心が無いというのなら、この身の内で確かに揺れ動くものは、何なのだろう?)


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