しばらくの間、志月は長倉の話に対して彼に返す言葉を見つけられないでいた。
その様子に、彼は苦笑いを浮かべる。
「確かに僕はこれが商売で、稼ぎたいですし、スクープだって取りたい。名も上げたい。それは本音です。
それでも僕なりにジャーナリズムに則ってペンを取ってるんだ。
人が暴かれたくない様な現実を無理矢理太陽の下に引きずり出しては、時には恨まれたり憎まれたりしながらね。
理解してくれとは言いませんが、そう化け物を見る様な目で見るのは止めて下さい」
「す、すみません」
自分は一体どのような顔をしていたのだろうか、志月は思わず左の掌で頬を擦った。
「良いですけど。ただ、これだけは信じて下さい。僕だって、救えるものは救いたいんです。
あなたの話と僕の話が同じ線上で繋がっていたら、忍君とそして、彼と同時期に捕われた子達は救出できるかもしれない。
そして、その時は是非、その凄惨な現実を当事者の肉声で伝えて欲しい。
さっきは些か表現が拙かったのかもしれず、ある種の嫌悪感をあなたに抱かせてしまったかもしれないけれど、普通に生活している人達をある日突然闇の底へ引きずり落とす、そんな世界がある事を白日の下に晒したい。それが僕の一番の望みです」
長倉はこれまでの駆け引きめいた態度から打って変わって、真摯な表情で志月の、そして宏幸の顔を真っ直ぐ見据えた。
その態度には、同期入社で付き合いの長い宏幸ですら意外そうな反応を見せた。
彼がこういう態度を示すのは珍しい事のようだ。
「…忍君の場合、姿を消してまだ一日。まだ生存している可能性が高い。そして、この天候 どうやら、台風が上陸しそうです。空路であれ、海路であれ、少なくとも今日明日出国することは出来ないでしょう」
激しく雨が吹き付ける窓を見遣り、長倉は呟いた。そして、更に言葉を続けた。
「さっきも言った通り、救えるものが有るなら救いたい。忍君の事は、僕なりに尽くせる手を尽くします。だから、もし彼を無事救出する事が出来たら、今度はあなた方にも真実を伝える そのお手伝いをして頂きたい。改めてお願いします」
長倉は、頭を深々と下げた。
初対面の印象とは真逆の、とても真摯な表情であった。
「分かりました。
私は忍本人ではないので、絶対の約束は出来ません。
ですが、彼の了承を得られるように努める事をお約束します」
志月は、長倉を信じてみようと思った。
彼のジャーナリズムというものを、信じてみても良いと思った。
横で成り行きを見守っていた宏幸も、それに対してもう何も言わなかった。
「ありがとうございます!」
志月の返答を聞くや否や、パッと顔を上げ、長倉は満面の笑顔を見せる。
あまりの表情の変化に、もしかして、嵌められたのだろうか、と一抹の不安が過るでも無かったが、とりあえずそこには触れないでおく事にした。
「長倉、これだけややこしい話になってきたら、警察にも報せた方が良いのかな」
それまでずっと成り行きを静観していた宏幸が、ようやく口を開いた。
「今の段階では、どうかな。組対課の刑事でも動いてもらえればいいけど、せいぜい家出人扱として、生安課で書類書かされて終わるだけだと思うけどねぇ。何せ、忍君の失踪に関してはまだ何の事件にもなってない訳だし」
眼鏡のつるを弄りながら、長倉は溜息混じりに答えた。
「そうか」
今度こそ万事休すだろうか。
志月と宏幸はお互いの顔を見合わせた。
「でも、僕らは動きますよ」
沈鬱な空気が流れそうになった瞬間、長倉が宣言した。
「お役所さんと違って、僕らは僅かな可能性でも動きます。
まあ、一種のバクチ打ちみたいなもんですからねぇ、僕ら。
今回はもし大当たりだったら、生存者の救出が出来るかもしれないんですから、ここは一発、賭けてみる価値アリです」
にこっと笑って、彼は手帳のページを捲り、何カ所かに付箋を張り付ける。
長く追い続けた獲物の匂いを嗅ぎ付けた、肉食獣さながらの目である。
「一つ、お伺いしても良いですか?」
話している間ずっと、志月は不思議に感じている事があった。
「何ですかー?」
彼の目は手帳の上をひたすら移動しおり、間延びした声だけが返ってきた。
「根拠が弱い、確証が無い、可能性が低い、あなたが言う条件が合っている状態には程遠いと思うのですが 随分詳しくお話して下さいましたね。どうしてなのですか?」
そう問われた長倉はきょとんとした顔で、志月の方へ視線を向けた。
「言ったじゃないですか、大バクチだって。
生存者を独占取材出来るかもしれない、大チャンスですよ。動かないでどうするんです?
あ、僕ら空振りするのが主な仕事ですから、外れクジだったからって八つ当たりしたりしないんで、そこら辺は安心して下さい」
長倉はひらひらと手を振った。
「大バクチだとしても、勝算が無ければあなたは賭けないタイプじゃないか、と私は感じるのですが。本当は、確証に近い何かがあるんじゃないんですか?」
更に切り込むと、この会話の中で初めて長倉が言葉を詰まらせた。
ここまで突っ込まれるのは、彼にとっても意外だったようだ。
しかし、やがて諦めた様に嘆息した。
「……仕方ないな。白状しましょう。
ここでまた隠し立てをして、そちらの翻意を招くのはこちらも回避したいですしね」
そこでひと呼吸置き、長倉は先へ繋いだ。
「実は、不動と言う名前に聞き覚えがあるんです。関係者の中にそんな名字があった気がするんですよ。ちょっと珍しい名字ですよね。これは偶然とは言い難いかなと思いまして、賭けてみようって気になった訳です」
飄々と言って退けた長倉に、宏幸が苦い声で咬み付く。
「何だ、じゃあ話始めから結構食い付いてたって事じゃねぇか!
肝心なとこ隠したままどこが信用第一だよ!」
「ごめんごめん、でも薄ら憶えが有る程度で、確信がある訳でもなかったんでね。資料確認して、ハッキリしてからでも良いかと思って。悪気は無かったんだよ」
白々しい、と宏幸は舌打ちする。
「もう隠してる事はないだろうな!?」
宏幸が長倉の胸ぐらに掴みに掛かる。
「ないないない! もう逆さに振っても何も出ない!」
助けてくれと、長倉が志月に目線を寄越す。
「宏幸、そのくらいで止めておいた方がいいんじゃないか。本当に全部のようだ」
こうしていると、まるで高校の教室で級友達と雑談しているようだ。
妙な既視感に、思わず苦笑してしまった。
「さ、こうなったら一秒も無駄にはできませんね!」
長倉は手帳をポケットに仕舞うと、素早く立ち上がった。
そして、心はもう事件の事で一杯になってしまったのか、志月と宏幸の存在を忘れて会議室を出ようとしている。
扉に手を掛けた処で、やっと二人を振り返った。
「あ、そうそう!
東条さん、生徒名簿の様なものがあれば名刺のアドレスに送って頂けますか?
連絡網のようなもので構いませんので」
結局、それだけ言い残して早々に出て行ってしまった。
後には切れかけた蛍光灯の頼りない明滅が残るばかりである。
「…何と言うか、スマン」
取り残された会議室で、申し訳なさそうに宏幸が志月の方を振り返った。
「何がだ?」
「いや、とんでもないのを紹介しちまって、悪かったかなと思ってな」
バツが悪そうに頭を掻く姿に、思わず笑いが洩れる。
「いや、これで幾らか前に進んだんだし、助かったよ。ありがとう」
「そうか? …まあ、記者としての嗅覚は確かなヤツだから、持ってくる情報の信頼性は高いと思うが…」
ただ、お前のお家の事情が心配だ、と宏幸は言葉を付け足した。
「この際、それは考えない事にしたんだ。
そんなものに振り回されて、大事なものを失くしてしまうなんて馬鹿げてるだろう?」
志月がそう答えると、旧友は少し驚いた顔をして、こう言った。
「 迷わないんだな」
前と違って そんな言葉が言外に含まれているのを感じた。
宏幸の知る志月と、今の自分は少し違う人間らしい。
「迷っていたら大事なものを見失った。それも、二回もだ」
最早断片と化してしまった記憶の中の少女と、忍と
「これ以上は、もう御免だ」
その為に必要だと言うなら、他のものは幾らでもくれてやる。
志月は口唇を引き結んで、長倉が消えた方向を見据えた。
「そうか」
宏幸が短く答えた。
「ああ。朝、お前に答えを出してやれと言われただろう? 移動しながら、それをずっと考えていた」
「結論が出たのか?」
その問いに対して、志月は小さく頷く。
「 手放したくない。相手がどう思ってるかじゃない。俺が忍を手放したくないんだ。
もう十分過ぎるくらい傷付けてしまった後だから、今更遅いかもしれないけど、それでもせめて面と向かって振られたいんだ」
そんな事を言った自分は、少し情けない顔をしていたのかもしれない。
「その為にも、まず無事に帰ってきてもらわないとな」
宏幸が励ます様に肩を叩いてくれた。
「まあ、それにしても今は、とりあえず長倉さんの勘を信じてみるしかない。だから、俺は長倉さんの読みに従って動いてみようと思う」
飽くまで長倉の説は、可能性が上げられる中で、最悪のシナリオだ。
「逆に、本当にただの家出なら…そう危険な目に遭う事もないだろう。その線は普通の興信所からあたらせる事にする」
嫌気の差した忍がただ単に失踪 その方が客観的には現実的だ。だから、そちらのシナリオにも備えは用意しておく。
「そして俺は、長倉さんの情報に従って別の手を打とうと思う」
しかし志月の直感は、これが『当たり』だと告げている。
(不動 )
長倉も聞き憶えがあると言ったこの名前
随所に現れるこの名前が、志月に確信を与えている。
この糸の先に、間違いなく忍はいる。
「動いてみようと思うって、どうすんだ。相手は暴力団だぞ」
宏幸が怪訝な顔をして志月の方を見た。
「後で話す。長倉さんに名簿も送らなければならないし、宏幸の家に一旦戻ろう」
言うが早いか、志月は出口へ足を向けた。
頭に沢山の疑問符を並べたまま、宏幸が後を追ってくる。
社屋の外に一歩出れば、そこは夏の嵐の真っ只中であった。
大粒の雨と、何かの塊をぶつけられている様な夏特有の生温い湿気を多量に含んだ風に煽られながら、二人は宏幸の自宅へ向かう駅を目指した。