Scene.6 共 鳴 振 動
1.小田原厚木道路/車内 12月19日 AM11:30
二泊目の朝は生憎の雨で、旅の締め括りは些か静かなものとなった。
しかし要にとってはそれほど残念な天気でもなかった。
日常に戻るには、最後まで晴々しいよりもこのくらいの方が熱も冷めてちょうど良い。
旅館をチェックアウトしたのは午後2時頃。
往路に比べ、眠っているのかと思うほど、七海は静かだった。
「この季節だから降るなら雪かと思ったけど、そうでもないんだな」
窓の外を眺めていた七海が、唐突に言った。
「あー、太平洋側ですしね。
これでも今年は初雪早い方らしいですよ」
「そうなのか」
意外そうな顔で、七海は窓を流れる景色に見入っていた。
「長野はこの季節はもうかなりの雪じゃないですか?」
日本海側は太平洋側に比べ、さぞや雪深い事だろう。
「かなりどころか、一部地域は春まで通行止めだよ」
問に対する七海の回答は、平地育ちの要の予想を遥かに上回った。
「通行止め!? 冬登山とか、スキー場と多そうなのに?」
それが通行止めとは。
「野麦峠。除雪しないから冬場は通行止めになるんだ。もっとも、今あまり使われてない道だけどな」
「あ、地名は聞いたことありますね、野麦峠」
歴史の教科書だったか、地理の教科書だったか、はっきりとは覚えていないが。
「古い映画にあるみたいだぞ? 僕ですらよく知らないけど」
「へえ」
さすがに、それは知らなかった。
「なぁ、今度さ 」
「はい?」
「前にも誘ったかもれないけど、一度長野に遊びに来ないか?」
七海は、窓の外に目線を遣ったままぽつりと呟いた。
まるで独り言のようだった。
「え? あの、七海さんの実家に ですか?」
聞き逃してしまいそうなそれを、要は慌てて拾い上げる。
「そうそう。母さんも会いたがってたし」
そう答えた七海が、やっと要の顔を振り返った。
「え 」
まさか既に実家で公認かと要が目を丸くしていると、七海がそれを打ち消し、補足した。
「あ、いや…最近仲の良い後輩がいる、くらいしか言ってないよ。 まだ」
「あ、そうですか…」
まあ、そうだろう。
ホッとしたような、肩すかしのような。
「あーでも、今まで職場…と言うか、東京で親しい人間の話とかしたことないし、色々勘ぐってくるかもな〜?」
少々芝居がかった口調で、七海が要の顔を覗き込む。
「ぅえ!?」
それは困る。
いや、困らないが焦る。
「赤くなったり青くなったり、忙しい奴だなー」
動揺を隠せない要の様子を、七海がおかしそうに眺めている。
「え、だってこの場合どう挨拶したらいんすか。
息子さんを下さい、ですか。
ふつつかものですがよろしくお願いします、ですか」
この時、要は結構な真剣さでそう言ったのだが、聞いた七海の方は一周回って冗談にしか聞こえなかったらしく、腹を抱えての大笑いを返してくれた。
「お前、それは飛躍し過ぎ!
いいんだよ、もっと気楽で。
そうだな、僕としてはカミングアウトしておくいい機会?
そのぐらいにしか考えてないんだから」
と言うことは、実家の誰も彼の現状をまだ何も知らされていないと言うことだ。
「…それは更に大変そうなんすけど」
彼女が来るはずが彼が来た 的なところから始めなければならない訳なのだから。
「まあ…薄々勘付いているとは思うけどね。この歳まで一度もそういう話題無かったから、流石にね」
そう付け足して、七海は苦笑した。
それが親と言うものだろう、とでも言わんばかりに。
「あー、まあ…」
それに、新卒の要にはまだ実感の湧かない話だが、七海位の年齢であれば家族や親戚から『恋人は?』、『結婚は?』などと頻繁に訊かれるのだろう。
いずれ遠くない未来、要自身もまた同じように訊かれるのだろう。
「まあ、だからさ、僕もいい加減腹括ろうかと思って。
付き合ってくれる よな?」
最後の最後に遠慮がちになる語尾が、何とも七海らしい。
が。
同時に、その遠慮が何とももどかしい。
「ああ、もう、どうしてそこで自信無くなっちゃうんですか」
あれほど昨日一昨日と説いたのに、それでも彼はどこか確信を持ち切れずにいるらしい。
「いや、…何かやっぱり慣れないと言うか 」
要の言葉に対して、七海は落ち着きなさげに柔らかく癖のある前髪をかきあげた。
(でも )
こんな話題が出たと言うことは、驚いたことに、彼なりに要の話を真面目に考えてくれていたと言うことだ。
しかし、いざ話が現実味を帯びてくると、さしもの要も全く心配しない訳ではない。
(彼女が来るはずが彼が来た とか、家族にしてみたら心臓に悪いだろうなぁ…)
まして彼には他に兄弟もいないのだから、やはり家族としては色んな部分でショックを受けるのではないだろうか。
要にしたところで、そう遠くない先に家族に話さなければならない時が来るだろう。
母親と義兄は動揺しつつも、何とか顔に出さないように努め、そして父親と姉は
(あー……)
二人の反応を想像すると、うんざりした気持ちになった。
(必要以上に面白がられそうで、嫌だ…)
特に、姉の反応を想像すると頭が痛い。
医局長よりタチの悪い姉の顔を思い浮かべ、要は溜息を吐いた。
「別に、無理することはないんだぞ?」
溜息に反応した七海が、心配そうに運転席の要を覗き込んだ。
「あ、すみません。今、ちょっと別のこと考えてて 七海さんの実家は是非遊びに行きたいです」
反省。
自分から相手の不安感を倍増させてどうする。
「別のことっていうのは、家族の話になったんで、ふと自分ちのこと想像しちまいまして…。 うちには、医局長以上に人を揶揄うのが好きな姉が一人いるんですが、容赦なく弄ってくるだろうなぁ、と思うと…つい」
説明する口から、やはり溜息が洩れた。
「何も、僕が実家に招んだからって、お前にも家族に紹介しろとか言う訳じゃ無し、何でそんな想像するのかな」
精一杯呆れ返った顔で七海が要を見ている。
「俺だってやっぱり紹介したいからですよ。 ただ、姉は満遍なく人を揶揄う人間なので、七海さんに何を言うやら想像もつかないところが怖いんです」
「医局長で慣れてるよ」
「…あんな程々常識を計ってくれるようなレベルじゃないです…」
知らないとは恐ろしい。
かつて、高校生の頃に数度ガールフレンドを自宅に招いたことがあるが、あの姉ときたら、その度に弟もその彼女も等しく平等に弄り倒しては、御破算にしてくれたのだ。
具体的なあれこれは思い出したくもない。
(あいつは遠藤家の悪魔だ…!)
数少ない経験の中で学んだ要は、大学生になる頃には、彼女はおろか友人を家に招くのも控えるようになっていた。
「…何を言い出すか分からない身内なら、うちの方が一枚上手じゃないかなぁ…」
「え?」
そんなパンチの効いたお母さん? と、要が訝し気に首を捻っていると、違う違う、と七海が首を横に振った。
「母さんは大丈夫。そうじゃなくて、お前、すごいややこしい人間一人忘れてる」
「えー? 誰っすか??」
母一人、子一人と聞いていたのだが、他に誰かいるのだろうか。
ますます首を捻る要に、七海がやれやれと溜息を吐いた。
「渡辺教授」
「あ…!」
「恭介さんの方が、この際よっぽどややこしい」
職場絡みの親戚 確かに一番難しい相手かもしれない。
まして上司となると尚更。
「…忘れてました。
けど、それで七海さんちのお母さんとか会っちゃって大丈夫っすかね?」
渡辺教授と、七海の母親は従姉弟関係であるらしい。
「まあ、その辺は…しばらく母さんの方を口止めしとくよ。
少なくとも、お前が研修終わるまでは職場ではオープンに出来ないだろ」
大学病院と言うところは、何かの節目でないと結婚だとか、何だとか、そういう行動が起こせない場所である。
それどころか、職場内でのお付き合いなどは結婚に到るまでに全力で潰されること請け合いなので、皆、具体的なお式の日取りが決まるほどになるまでは公表を控えるのが一般的である。
この場合は結婚ではないが、研修すら終えてない身で私事が華やかになることは、当然ながら喜ばれない。
(俺らの場合は節目とかって問題でも無い気がするけど )
そもそも、ごく親しい身内はともかく、職場で報告する日などは永久に来ないような気もする。
だからこそ、渡辺教授は二人にとって微妙なポジションなのだ。
「確かに、職場は難しいですよね。色々」
医局長にバレてしまっているのは、仕方がないとして。
「まあ、そもそも職場でまでカミングアウトするかと訊かれたら、さすがに微妙だな。
大体、お前の修行が終わるのだって5〜6年は先の話だし、今考えることでもないだろ。
そこら辺も含めて、母さんにはよく言い含めておくよ。
さて、いつにしようかな。年明け? 2月あたりに冬休み貰って 」
七海が真面目な顔でスケジュールを組み始めた。
「えっ? えええっ?!」
何だ、その急展開は。
「思い立ったら即行動、基本だろ?」
基本 だろうか。
今更ながら唐突な企画を立てる恋人に、要は面食らい、返事が詰まった。
「お前が嫌なら、別にいいけど。また別の機会で。てか、むしろ来なくてもいいけど」
その沈黙にやや興を削がれた様子で、七海が頬を膨らましている。
「行きます! むしろ行きたいですってば!
グダグダ悩んでた割に、行動起こすとなったらやたら早いなと感心しただけですよ!」
「グダグダはお互い様だろぉ?
まあいいや。じゃあ、冬休みは長野で雪遊びと温泉ツアーで決定な」
そして、やはり温泉は譲れないらしい。
「あー、もう。はいはい。決定です」
「投げ遣りだなー、減点1!」
呆れ気味の声で七海が要の左頬を抓った。
「ちょ…! うんへんひゅーれすっへば!」
要は慌てて七海の手を剥がした。
「運転中です! 危ないんで止めて下さい!
大体、減点って何ですか。
投げ遣りなんじゃなくて、誰かさんが急にせっかちになったもんで、熟考するとか、テンション上げるとか、そういう諸々のタイミング見失っただけです」
「あ、そう。まあそういうことなら、このまま話進めて問題ないな。よし、帰ったらちゃんとプランをたてよう」
県境を越え、雑音が強くなったラジオを七海はCDに切り替えた。
前から入れっぱなしになっていたのだろう。
流れてきたのは少し前のヒット曲だった。
七海から鼻歌が洩れている。
好きな曲なのだろうか、その鼻歌は間奏含め、正確にフルコーラス歌いきりそうな調子である。
相当ご機嫌の様だ。
正に、雨降って地固まると言いたいところだが、要は大きな問題を残していた。
大事な話を一つ、七海に言いそびれている。
それを伝えた後、果たして彼は同じことを言ってくれるだろうか。
(余計言いにくくなったな…)
今度こそ七海に気付かれないよう溜息を吐いた要の目に飛び込んできたのは、首都高入口を示す道路標示。
東京までの帰路は後少し。
現実に戻るまで、後少し。
傾き始めた太陽の黄色味を帯びた光に背に車は東へ、東へと、ひた走るのであった。