scene.2 スクエア
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
要は大きく溜息を吐いた。
(こんな時に限って、救急も入って来ないし )
搬送さえ来てくれれば、すんなりここから抜け出せると言うのに。
しかも、要は出入り口から最も遠い椅子に座らされてしまった。
逃走防止が目的だろうかなどと、つい疑ってしまう。
「ねえ、せっかく四人に増えたんだし、『スクエア』やらない?」
そんな事を言い出したのは、事の主犯の女医。
(そう言えば名前も訊いてないな)
要は、彼女の首から提げられたネームプレートをちらっと覗いた。
しかし、残念ながらそれは裏返っていて名前を読み取る事は適わなかった。
(ストラップの色からすると、放射線科なんだろうな。まあ、放科の先生とはあまり直接顔合わさないし、知らなくても当然か)
画像診断を専門に行う放射線科の医師は、電子カルテを通して名前だけを知っている仲、という人物が割合に多い。
「スクエアって何ですか?」
検査技師が首を傾げている。
「あ、俺も知らないですけど」
要も『スクエア』が何か知らなかった。
それに答えたのは、女医ではなく看護師の方だった。
「えー、知らないんですかぁ?
『スクエア』っていうのはですねぇ、四人で部屋の角に一人ずつ立つんです。
それで、順番に一人ずつ怪談をして隣に立つ人のところまで歩いて行って、肩を叩きます。
四人全員が話し終えると、一番最初の人が立っていたはずの場所って、空いてるはずですよね?
そこに、知らない五人目の誰かが現れるって言う……」
ここまで聞いて、要の身体から血の気が引いた。
(まさか、それって…)
「一種の降霊術ね」
さらっと結論を告げたのは、女医。
「ああ、こっくりさんとか、キューピッド様とか、いっとき流行りましたね。僕はやった事無いですけどね」
検査技師が、ぽんと手を打つ。
(やっぱり…!)
「あの、俺やっぱり抜けます。
時間掛かりそうですし、搬送入ってきたら困りますし 」
要はそれらしい理由を探しながら、じりじりと出入り口へ移動し始める。
「あら、怖いの?」
女医が、意地悪く微笑みながら要の進路を塞いだ。
「遠藤先生、幽霊怖いんですかぁ?」
看護師が意外そうに目を丸くしている。
「まっさか!
ERには幽霊なんかよりよっぽど怖い先生がいるじゃないですか。ね、遠藤先生?」
悪気は無さそうだが、検査技師の発した一言は要から逃げ場を奪うには十分だった。
「あー、そうですよねぇ。常盤木先生のカミナリに較べたら、幽霊くらいなんてことないですよねぇ」
看護師が検査技師の言葉に呼応して、強く頷いた。
ERの常盤木先生と言えば、関わったスタッフの9割が一度は怒鳴られている。
「ははは…」
笑うしか無い。
(その怖い先生と付き合ってるんすけど…)
いやいや、そんな話ではない。
実は、要は心霊関係が心底苦手なのである。
「そもそも、医者が幽霊怖いなんてナンセンスね。
幽霊なんかいたりしたら、病院なんて満員御礼で歩く隙間も無くなってるわ。
所詮、ただの暇潰しじゃない」
女医はきっぱりと言い切り、要を元の位置へ押し戻した。
退路は断たれた。
絶体絶命。
(こんな部屋、覗いたりするんじゃなかった…!!)
しかし、時既に遅し。
それぞれが部屋の角に移動し、すっかり準備万端。万事休す。
「それじゃあ、電気消しますよー」
検査技師が部屋の灯りを消した。
「え!? 真っ暗にするんですか!?」
ますます怖い。
「そうですよぉ〜。『スクエア』って、ホントはローソク点けてやるんです。
そんで、一人話し終わるたびに一本ずつローソク吹き消してくんです〜」
心無しか、看護師の声が弾んできている。
とてもではないが、ついさっき要の声に驚いて点滴棒を手に飛んで出てきた人物と同じ人間とは思えない。
「霊安室に行けば蠟燭は幾らでもあるでしょうけど、さすがにそこまでは、ね。
懐中電灯4つも点けちゃ明る過ぎるから、瞳孔鏡で代用しましょ」
さすがに、そのくらいの良識は残っていたようだ。
女医は、胸ポケットから自分の瞳孔鏡を取り出し、スイッチを入れた。
細い灯りがぽぅっと点り、彼女の目が闇に映る。
釣られるように、全員が瞳孔鏡を取り出した。
「始めましょう。じゃあ、あなたから」
女医の目が、看護師を見遣る。
「はぁい。一番手ですのでぇ、ちょっとソフトなお話でいきますね〜」
看護師はそう前置きして話し始めたのは、鏡の中の悪魔の話だった。
真夜中指定された時刻に鏡を見ると、自分の死に顔が映し出されると言うものである。
しかもその死に様はすべて、幸福とはほど遠く、悲惨なものであるという。
「これは、呪いなのです。
覗いた者を地獄へ落とす、鏡の中の悪魔を使った呪いなのです」
看護師は微かな間を置いて瞳孔鏡を消した。
(どこがソフトだ。既に怖い、十分怖い)
彼女が足音を忍ばせて移動する音を感じながら、要の後悔は一層深まっていった。
そして、足音が停まる。
「定番だなぁ。それでは、次は僕の番ですね」
検査技師の声は妙に弾んでいて、それが余計怖い。
「これはね、僕が中学校の時に体育の先生から聞いた話なんですけど
先生の生まれ育ったとのは、田舎の小さな山村だったそうです。」
彼は、その後怪談とほど遠い長閑な田園風景と、その体育教師がいかに好奇心旺盛な腕白小僧であったかを、まず語った。
「 その日は川遊びをしていて、淀んだ水の中に彼はゴム長が浮いてるのを見つけ、級友数人とそれを棒で突ついたり叩いたりして遊んでいました。
ところが、その夜から彼は、誰かに水の中へ引きずり込まれる夢に唸されるようになってしまったのです。
その時、頭に思い浮かんだのは、川遊びで見つけたゴム長でした。かくして、彼はそのゴム長を探しに川へ行きました。
まだ、ゴム長は同じ場所にゆらゆら浮かんでいました。彼は、今度はそれを手に取って持ち上げました。
その時です。逆さにしたゴム長から、ずるりと何かが滑り落ちた。
………それは何と、切断された人の足……だったのです」
終わります、と言って検査技師は灯りを消した。
(これはこれで、本当にありそうで怖い…)
ひたひたと彼の足音が近づいてくる。
要の隣で停まった足音。
ぽん、と肩を叩かれた。
「次は遠藤先生の番ですよ」
「 っ!」
分かっていたのに、もう少しで悲鳴を上げそうだった。
(勘弁してくれーっ!)
肩に手を置いたまま検査技師は、早く初めて下さいよ、と小声で急かした。
この場の異様な空気に気圧されつつ、何か提供しなければ終わらない、と覚悟を決めて要も乏しい知識を絞り出した。
ところが
「学校のトイレの3番目に…」
「それ、トイレの花子さんですね!」
看護師の突っ込み。
「えー、それじゃ理科室の…」
「人体模型が走るヤツですか? それとも、ホルマリン付けのカエルが動くヤツですか?」
検査技師の突っ込み。
「音楽室の……」
「ベートーベンの目が動くか、勝手に鳴るピアノね」
女医の溜息。
全て秒殺。
「遠藤先生〜っ、全部『学校七不思議』じゃないですかぁ」
不服そうな看護師の声。
「後は夜中に校庭を走る、二宮金次郎ぐらいですか」
隣で、面白そうに検査技師が言った。
(その通り…)
図星を指された要は、次の言葉 ネタが見つけられなかった。
「今時の小学校に二宮金次郎って、あまり無いんじゃないかしら?」
女医の追撃が、更に追い打ちを掛けた。
(そうだよな、俺の通ってた小学校にも既に無かったよ。…二宮金次郎)
がっくりと肩を落とす。
「ま、嫌がってるのを無理に引っ張り込んじゃったんだから、しょうがないわね。
今ので勘弁してあげる。灯り消してこっちに歩いてきなさい」
瞳孔鏡の小さな灯りの前で、女医が要に手招きをした。
要は、スイッチを切って女医の横まで移動すると、ルールの通り彼女の肩を叩いた。
「私の番ね」
どこかひやりとした彼女の声。
「病院にいるんだし、せっかくだから病院で起こった話をしましょうか…」
思い出す様な語り口で、女医は話し始めた。
「友達の友達に聞いた話よ。
ある医学生が、不運にもインフルエンザにかかってしまって、医師国家試験を受けられなかったの。
国試って、9割の医学生が合格するんだけれど、一度失敗すると何故か、そこから抜け出せない無限ループに嵌まっちゃうようにできてるのよね。
彼女も最初の年は、不運だった、仕方ないと思えたのだけど、翌年、やっと受けれた国試は不合格だった…。
2度目の国試浪人が決まってしまって、想い描いていた理想も、気力が全て無くなってしまったわ。
それでも、家族の期待もあったし、引くに引けなかった。
ほとんど惰性で大学の図書室に通い続けた。
そこで、『彼』と再会したの。
彼は、彼女と同期で先に研修医になっていた。大学時代はほとんど喋らなかった人だったけど、それをきっかけによく話すようになった。
図書室で顔を合わせては、いろんな話をしたり、勉強を教えてもらったり…。
どん底に落ち込んでいた分、彼の優しい態度にどっぷり依存してしまった。
いつの間にか、医師免許ではなく、彼と肩を並べる事に、目標がすり替わっていた…。
医師免許が取れたら、告白してみようと思った。
そんな矢先、彼には恋人がいる事を知ってしまった。
優しかったのは、まるで恋愛対象にされてなかったからだと思い知らされた。
今度こそ、彼女は目標を無くしてしまった。
絶望した彼女は、彼がいる病院の窓から洩れる明かりを、近くのビルの屋上から見詰めて飛び降りた。
それ以来、その彼 今じゃ中堅のドクターでしょうね
彼の恋人の前に、必ず彼女は現れるそうよ。恋敵の顔を拝む為にね」
今でもね、と女医は話を締めくくり、最後の灯りを消した。
部屋が真っ暗になる。
彼女のヒールが、ゆっくり床を打つ音が微かに響く。
足音は、もともと要が立っていた場所へ移動してゆく。
正直、どれほど怖い話を聞かされるのか、と思っていた要だが、女医の話は思ったより怖くなかった。
(怖い、と言うより 寂しい、つか…)
女性ならば、切ないと言ったかもしれない。
「先生〜?」
看護師の声で、要は我に返った。
「何か出ましたか? 間を取るにしても、ちょっと長いですよ」
検査技師も、訝しげな声を出した。
「…………」
二人の問いかけにも、彼女は応えない。
「……電気点けますよぉ〜?」
看護師はそう言ってから数秒間を置いて、休憩室の電気を点けた。
「え……」
「嘘…」
「(声にならない)」
その場にいた全員が、言葉を失った。
立っているべきその位置に、女医の姿は無かった。
一つしか無い出入り口の両脇に、看護師と検査技師。
奥の窓際に、要と女医が立っている はずだった。
「だ、誰かの仕掛け…ですよね?」
そう言い出したのは、検査技師だった。
「ねぇ、それより、誰だったの? あの先生〜」
半べそになりながら、看護師が言った。
「え? 誰か知ってる人じゃないんですか?」
要が問い返した。
「私は病棟ですから当直バイトの先生なんて知りません〜」
看護師が、要と検査技師の顔を睨んだ。
「僕も知らないですよ。ふらっと検査室に入ってきて、『暇だから話しでもしてっていいかしら』って…。遠藤先生こそ、顔くらい見た事無いんですか?
ER、いろんなドクター出入りするでしょう?」
検査技師が要の顔を見る。
「俺は、全く初対面だよっ! 名札も見えなかったし 」
3人はお互いの顔を見合わせる。
そして、『知らない』と否定の意を込めて、全員が改めて大きく首を横に振った。
「で…っ」
それは、誰の声だっただろう。
「出たあぁぁっ!!!」
誰ともつかない 或いは全員の悲鳴が、休憩室に響き渡った。