scene.15 葛藤の行方
考えてみれば、一緒に風呂に入るなどというのは初めてだ。
温泉に行くような機会も無ければ、そもそも二人で遠出をした事も無い。
改めて、その事実に要は気付いた。
当然、銭湯に行く用事も無い。
大人が二人、ゆうに足を伸ばせる浴槽。
浴槽の倍の広さの浴室。
七海の言うとおり、確かにこの風呂はやたら広い。
「ムダに広い分、声がすごい反響するんだよ、この風呂。ホラ、こんな感じ」
こんな感じ、と言った声にエコーが掛かる。
「何を小学生みたいな…」
さっきまでのムードはどこに行ったのだか。
すっかり七海は素に戻っている。
今は、二人してただ浴槽に浸かっているだけだ。
少し期待していただけに、残念感が漂うのを否定出来ない。
「遠藤の声、低い」
要の心中など係りない様に、七海が言った。
そして、浴槽の湯を揺らせてその背中を要に預けてくる。
無邪気と言うか、無頓着というか、無防備と言うか。
そんな身体を、要は両腕で支えた。
そして、脇腹の横に腕を通して、前で結ぶ。
その限られた輪の中に、七海を入れて。
「そう、ですかね? あんまり自分の声なんて気にしたことが無いですけど」
「なんか、安心する。落ち着いてて」
湯の中に散る七海の髪が、要の鎖骨に掛かって、皮膚をくすぐっている。
「安心?」
「ホッとする。何て言うか…お前はいつも安定してて、グラついたりしないから」
思いがけない言葉に恐縮しつつも、あまりにも現実とかけ離れたその評価を、要は慌てて訂正した。
「何言ってんですか。いつだってグラついてます。今回だって…」
「 朝日に乗り換えようかな、って?」
要の言葉を途中で掠め取って、七海はおよそ冗談らしからぬ声で続きを作った。
「何をバカなこと言ってるんですか! 傷付きますよ、ホントに」
思わず腕に力が入ってしまった。
その手を、七海が掴んだ。
「怒るんじゃなくて、傷付くところが遠藤らしい」
「そんなこっちゃなくて…。でも、俺は、朝日はてっきり七海さんを好きなんだって思ってましたから」
「はは。そりゃ、朝日も救いが無いな」
「茶化さないで聞いてくださいね。…そん時、俺は俺で考えてたんです。七海さんが許してくれるのをいい事に、好き放題してるのはどうなのか? 本当は七海さんだって男なのに、俺は女の子みたいに扱ってる。それは、どうなんだろうって、 」
要の言葉を切るように、七海が指先を甘噛みした。
「いまさら?」
口を離した七海が、おかしそうに言った。
「だって…朝日が七海さんを好きで、七海さんがそれを受け入れるなら、その方が…世間的にはスタンダードじゃないですか」
ずっと抱えていた、要の迷い。
「ほんっとに、今更…」
七海は、掴んだ要の手の指と指の間に舌先を這わせた。
柔らかく濡れた感触に、その場所が熱くなる。
濃い色のインクが滲む様なその感覚は、ダイレクトに中枢に響いた。
「今更、ですか…?」
心中の葛藤とは裏腹に、肌と肌は吸い寄せられてゆく。
抗いがたい衝動に、身体の半分を支配されてゆく。
「でも、スタンダードって物言いがお前らしいな。……でも、僕は別にスタンダードじゃなくて、いい」
いつもの、妙に迷いの無い声がきっぱりと答えた。
その声こそが、安定している。
いや、要を安定させている。
要は、空いている方の手で、ゆっくり七海の下腹部を撫でた。
七海の身体が一瞬固くなる。
約1ヶ月ぶりに触れる肌。
それは、今やすっかり要の手に馴染んだ肌触りだ。
輪を解いた手を、静かに七海の身体に滑らせる。
余すところ無く、そのカタチを確かめるように。
「…俺も、ズルイですね。七海さんは多分そう言ってくれるだろうって、計算してる」
相手の答えは分かっていて、それを言わせたい なんて。
どれだけ子供じみているのか。
「…それで、い 」
詰まった息の隙間から、短い答えが返ってきた。
"答え"と、"応え"を感じながら、先へ進める。