scene.3

 千里と北尾が川島家の最寄り駅、F駅に到着したのは午後二時半を少し過ぎた頃だった。
「午前中はいい天気だったのにね」
 千里は大げさに溜息を吐いた。
「台風が近付いてたからな」
 北尾がそれに応えた。
「えっ!? ホント!?」
「何だ、知らなかったのか。
 今夜から明日午前中にかけて上陸の可能性、って昨日から天気予報でやってるのに」
「そっか…。何だか、やだねぇ、こういう天気って。
 人の顔が何だか青白く見えるし、こう、生気が無いってかさー」
 千里が深々と溜息を吐くと、北尾は苦笑いして、改札口の真向かいの電気屋が看板代わりに設置している巨大モニターを指差した。
「そんな事言ったって、季節だからな。
 ああ、ほら。ちょうど台風情報映ってる」
 言われて目を向けると、お馴染みのブルースクリーンに日本列島、そして、関東域をぐるりと囲む予報円が映し出されていた。
「うっわー、マジ直撃だぁ。
 電車停まらなきゃいいけど…」
 げんなりした顔で千里はモニターを睨んだ。
 瞬間、一面に表示されていた台風情報は縮小表示に切り替わり、右隅に移動した。
 替わって画面には横浜港の様子が大映しになっている。黄色いレインコートを纏い、吹き飛ばされそうになりながらリポートしている新人リポーターの姿が何とも涙ぐましい。
 海岸沿いはここら辺より遥かに風が強いらしく、出歩く人の姿もほとんど無く、停泊中の船がその巨体を揺られている様が水煙の向こうにぼんやり映っていた。
 音声が入らないので分からないが、どうやら夕方のワイドショーが流れているようだ。
「電車停まったら俺の家に停まれば良いだろ。
 海の上で足止め食らうより遥かにマシだって」
 同じくモニターに眺めていた北尾が、背景の船を指して言った。
「でも、今横浜港に入ってる船ってアレでしょ?
 カジノから病院やら教会まで揃っちゃってる豪華客船でしょ、少々の嵐じゃ沈まないし、退屈もしないんじゃない?」
「でも、せっかく停泊してるんだから、観光とかしたいんじゃないか?」
「それはそうかもね。
 ま、そんな遠くのお金持ちのハナシより、今は忍だよ。
 不動ももうすぐ来ると思うし、さ、行こ行こ!」
 ついうっかり脱線してしまった。
 千里はモニターから視線を外し、身を翻した。
 しかし、駅ビルから外は港程ではないにしろ、やはりそれなりに大荒れである。
「こりゃ傘なんてなんの役にも立たないねぇ」
 溜息混じりに、しかし躊躇っている時間もないので出来るだけ風上に傘を向けつつ、千里と北尾は歩き始めた。

  と、そこに見憶えのある背中を見つけた。

 決して大柄ではないのに、それなりの嵩のある肩幅。
 服越しにも分かる筋肉質な体躯。
 何より、無駄な動きが少なく、妙に隙を感じさせない歩調。

「不ー動ーっ!」
 十メートルばかり先を歩くその背中を、千里は大きな声で呼び止めた。
 水飛沫を上げ、千里は彼に駆け寄る。
 その後ろを、北尾が追った。
「何や、お前らサボリか」
 二人の姿を一瞥し、抑揚の無い声が答えた。
 そこで、北尾が不思議そうに昌弘の顔をまじまじと見る。
「不動って…関西の人?」
 北尾のその問いに、昌弘はげんなりとした顔を見せた。
「ええ加減飽きたわ、そのやり取り」
 つい数時間前、千里も全く同じ質問をしているのだ。
 だからと言う訳でもないが、そうらしいよ、と千里は面倒臭そうにしている昌弘の代わりに自分が答えておいた。
「そんで、そっちはどうなん? あれから何か追加情報入ったんか?」
 やや早足で三人は雨の中を歩く。
 傘を持っていない昌弘を、北尾が自分の傘に入れている。
 結局の処、三人共ずぶ濡れになっているのに変わりはなかったが。
「残念ながら。とりあえず見る? 例の車が写った写真」
 千里は雨に濡れないよう気を付けつつ、画像を表示して昌弘に渡した。
 写っているのは一見何の変哲も無い乗用車である。
 拡大表示すれば、どうにかナンバーが読み取れる。
「やるやん、お前のツレ。大手柄かもしらへんで」
 珍しく本気で感心したらしく、昌弘はその画像に見入っていた。
「まあね」
 この写真を撮ってくれた城野の機転には千里もまた感謝のしきりである。
「この写真、俺の方に送ってくれ。転送したいとこがあるんや」
 ぽいっと千里の携帯を投げ返される。
「え? どこに転送すんの? 何か心当たりあるの?」
 思わず身を乗り出す。
「だーっ、顔近付けんなっちゅーねん!
 こっちの事はええから、いちいち構うなや!」
「うっわー! 何ソレ! 失礼な上にちょっと勝手じゃないのー!?」
「はいはい! そこまで!
 千里はいちいちムキにならない!
 不動も、そうつっけんどんになるもんじゃないよ。
 別に揉めたい訳じゃないんだろ?」
 二人の間に北尾が割って入った。
 こんな遣り取りも、すっかりパターン化してしまった。
「そうだね。揉めたい訳じゃないよね」
 溜息を一つ零し、千里は言われた通り画像を昌弘の携帯へ送信する。
「送ったよ」
 程なくして、昌弘の携帯が着信音を発した。
「届いたわ。ありがとうな」
 珍しく謝辞など述べながら、彼は先の言葉の通りそれを何処かへ転送し始める。
 一体、何処へ転送しているのだろう。
「ねえ、本当に何か心当たりがあるんだったら、教えて欲しいな」
 千里がそう言うと、彼は困った顔を見せた。
 それもまた、珍しい反応だった。
「お前ら…これ以上関わらん方がええよ」
 数瞬の沈黙の後、ようやく口を開いた昌弘が洩らしたのはそんな一言だった。
「どういう事!? 不動は、何を知ってるの」
 一瞬つかみかかりそうになった千里だが、またそこで揉めるのも、と寸での処で思い留まった。
 お互い妙に直情的になり易い処が、意外と似た者同士なのかもしれない。
「二人とも普通の家なんやろ? これまで通りの生活したかったら、これ以上は首突っ込まん方がええ」
 そう言われて、北尾がはっとした顔を見せた。
 何か思い当たる節があるらしい。
「何、分からないのオレだけ?」
 それはさすがに面白くない。
 千里が更に追求すべく口を開こうとした時、昌弘の携帯が再び着信音を発した。
 さっきとは音が違う。
 どうやらメールではなく通話の方のようだ。
「もしもし?」
 通話を始めるなり、昌弘は二人から数メートル程離れていった。
 傘から外れた昌弘に北尾は傘を伸ばそうとしたが、彼の手がそれを止める。
 どうやら聞かれたくない話らしい。
「何か、深刻そうだね」
 北尾が呟いた。
 眉間にしわを寄せて喋る表情や、何度か足を踏み鳴らす様な仕草から、彼の苛立っている様子が伝わってくる。
「…北尾さん、何知ってるの?」
 千里は北尾の顔を見上げた。
「いや、知ってるって程の事でも…。
 新学期始まってすぐぐらいかな、ヤバそうな連中と一緒にいるところを偶然見かけたって言うか。一方的に見かけただけだから、不動の方は多分気付いてなかったと思うけど」
「それだけ?」
「それだけだよ」
 北尾がそんな事で嘘を吐く訳も無いので、どうやら本当にそれだけらしい。
「それじゃあさ、不動の言い分が納得出来るぐらい、見た目からヤバそうだったの?」
 一瞬見かけただけで、そう思わせるくらい。
「まあ、一目でその筋の方々だな、と分かる程度には。
 うちの親、刑事事件ばっか引き受けてくるから。
 俺も事務所出入りして色々話聞くし、何となくそういうにおいに敏感になったと言うか」
「あ、そっか」
 北尾の父親は弁護士だった。
 彼自身も弁護士を目指しているので、書類整理などの雑用も手伝えば、裁判所へ傍聴にも行く。
 普通の高校生に比べれば、その方面には敏い方だろう。
 そんな事を話していたら、通話を終えた昌弘が二人の方へ戻ってきた。
「待たして悪かったな。ほんで、もういっこ悪いんやけど、他に行くとこ出来てん。このまま別行動にさしてもらうわ」
 了承も何も無い、言い切り状態で昌弘は駅の方向へ踵を返した。
「えっ!? ちょ、ちょっと! 不動!?」
 慌てて千里は昌弘の腕を掴んだ。
「いくら何でもそれはないんじゃないか? 別行動は仕方無いにしても、少しくらい説明してくれてもいいだろ」
 さすがの北尾も、渋い顔で昌弘の方を見ていた。
「…さっきも言うたで。お前ら、これ以上関らん方がええ、ってな。
 悪いけど、ちょっと話すのんも危ないんや。
 特に、そっちのでっかい方は何となく分かってるんやろ? ヤバそうやなって。
 しっかりそのチビ抑えとき。この先は素人さん立ち入り禁止や」
 千里の腕を振り払った昌弘は、これまでに無い程鋭い眼光で二人を見据えた。
 北尾の方は、その言葉に何となく納得したらしくそれ以上何も言わなかった。
 けれど、千里はこのまま引く訳にいかない。
「待って!」
 再び背を向け、二人と反対方向へ走り始めた背中を、千里はもう一度呼び止める。
 しかし、彼はもう振り返らなかった。
「ゴメン! 北尾さんだけ、先に川島さんちに行ってて!」
 昌弘を追って、千里は駆け出した。
「千里!?」
 驚いた北尾が千里を呼び止める。
「どうしても不動に訊きたい事があるんだ。オレはすぐ戻るから、川島さんちに先行って、ちょっと遅れること、伝えてくれる? オレ達揃って遅れたら、多分心配すると思うから」
 生真面目なこの親友は、人に心配をかけるとか、迷惑をかけるとか、そういう言葉に弱い。
 その言葉で、千里は北尾の足を封じた。
 弱い処を突く様な方法を取ってしまって申し訳ないと思ったが、このまま昌弘と分かれてしまう訳にはいかなかった。

 訊いておきたい事があったから。
 そして、伝えておきたい事があったから。

 今来た道を逆戻りした千里は、切符売り場で昌弘を掴まえた。
「チビ、人の話理解出来へんのか、その頭は」
 呆れた顔で、昌弘が溜息を吐いた。
「理解してるよっ!」
 駆けて来た為、息が切れ切れだ。
 同じ距離を走ったはずなのに、昌弘の方は全く涼しい顔をしている処が憎らしい。
「だから、今の事は…訊かない。危ない事も、訊かない。忍の…事だけ、教えて。さっき、電話で約束したよね? 直接。会ったら…話して…くれるって」
 息を整えながらそれだけを言うと、千里は背筋を伸ばし、真っ直ぐ昌弘の目を見据えた。
  っ」
 呆れたのだか、根負けしたのだか、彼は一瞬言葉を詰まらせた。
 決断の早い彼にしては珍しく逡巡した後、諦めた様に息を吐くと、券売機を指差した。
「分かった。ただし、電車来るまでの間や。はよ切符買え」
 やっとの事了承を得た千里は、手早く見送り用の入場券を買うと、さっさと改札の向こうに消えてしまった背中を追いかけた。

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