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台風が近付いている所為だろうか、都心へ向かう上りのホームはほぼ無人だった。
制服の裾が風に煽られ、バタバタと音を立ててはためいている。
濡れるのも構わず昌弘は屋根の無いホームの端まで歩いて行く。
乗り換えの時、そこが階段のある位置だからである。
千里は折り畳みの傘を再び開こうとしたが、地上より更に風通しの良いホーム内では、傘が負けてしまいそうだと思い、諦めた。
「ほんで、わざわざ追っかけてきてまで何が訊きたいん?」
1号車の最前列の乗車位置まで移動し、昌弘がやっと千里の方を振り返った。
雨と風で張り付く前髪を払いながら、千里は質した。
「君って、何者なの?」
知りたい事は、その短い問いに全て詰め込まれている。
「一番難しい質問やな。答えられへん事が多すぎるわ」
昌弘が自嘲する様な笑みを口許に浮かばせた。
普通の高校生ではない。
それは千里にも分かる。
漠然とした問いには、答えられない事も多いのだろう。
そこで、千里は質問を切り替えた。
「電話でもちらっと聞いたけどさ、忍と君って、どういう係わりなの?」
その問いに対しては程なく返事が返ってきた。
「幼馴染み…いや、兄弟みたいなもんや。いっときは同じ家ン中住んどったし」
その答えに、千里は思い当たる人物がいた。
「もしかして、『置屋の息子』が君なの?」
千里言葉に昌弘が目を丸くする。
「あいつ、お前にそんな話までしとんのか」
そして、反応から察するにどうやら当たりらしい。
「え? うん、まあ…少しだけだけど」
千里の答えに、
「……へぇ」
と、彼はますます意外そうな表情を見せた。
まあ、意外だろうな。と千里も思う。
忍は自分の話をあまりする性質ではない。
そこで、更に千里は言葉を付け足した。
「そう、忍から聞いたんだ。子供が…売られたり、買われたり みたいな話」
今、目の前で起こってる出来事は全部そこに繋がっているんでしょう?
そんな言葉を、言外に含ませた。
その刹那、昌弘の顔が強張った。
それは、もしかしたら初めて彼が見せた素の表情 だったかもしれない。
(これもアタリ なんだ)
千里はそれをもう言葉で確かめる事はしなかった。
「その頃住んでた街は、もお無いんや。全部壊されて、再開発されて、キラッキラのショッピングモールに変わってしもてる。
幸也は…消された街の、そのまた暗部の、唯一の生き証人や。 俺でさえ、現場は知らん。目撃者は、アイツ一人や」
いつもの少し不機嫌そうな表情に戻った昌弘が、低い声で無音の問いに応えてくれた。
そして、大きく息を吐くと、ガラリと話題を変えた。
「そう言えば、お前らなんで仲良うなったん? あいつ、あんまし人寄せ付けへんかったんちゃうの? 逆に俺、それ訊いてみたかってん」
幼馴染みの彼にとっては、今、こうして千里や北尾と交流ある忍が心底意外なようだ。
「何て言うのかな、ちょっとしたトラブルがきっかけで知り合ったと言うか 」
逆に質問される事は考えてなかったので、千里にしては珍しく歯切れの悪い答えになってしまった。
「どんなトラブルなん?」
相手の方が興味津々になってしまい、質問者と応答者が逆転してしまった。
「えーと…早い話がケンカ? みたいな? オレ、もともとは忍にすっごい嫌われてたんだよね。それで一回盛大にトラブって、そこからだよ。仲良くなったの」
半年前の事件を『ケンカ』の一言で纏めるのはあまりにも強引だとは思ったが、詳しい話をするだけの時間は残されていないだろう。
一つ前の駅に電車が入った事を、電光表示が報せている。
だから、今は一番大事な事を伝えたい。
「オレは特別な友達として忍が好きだよ。だから、無事に戻ってきて欲しい。不動が忍に会えたらそう伝えてくれる?」
大事な人だから、無事を願う。
再会を望む。
「……お前、呆れるくらいストレートやなぁ」
昌弘が呆れた顔で千里の顔を凝視する。
勿論、千里はその目を逸らさない。
「そうだよ。オレは自分の思ったことはちゃんと口から出すの! これだからトラブルも多いんだけどさ、隠し事したりごまかしでやり過ごして後から後悔する方が嫌だからね。
もう一回言うけど、忍に会ったらちゃんと伝えてね。待ってるよって」
呆れ顔が緩み、昌弘の口許がふわりと笑みを浮かべる。
そう言えば、彼のまともな笑顔をみるのはこれが初めてではないだろうか。
「分かった。必ず見つける。 そんで、お前の台詞伝えたるわ。だから、ほんまにこれ以上首突っ込んだらアカンで。あいつはあいつでお前のこと大事に思ぉてるはずや。俺はあいつの大事なもん壊させる訳にいかへんねん。俺も、あいつが好きやから、泣くとこは見たない」
こんな素直な言葉を聞くのも、これが初めてだ。
転校してきてから彼はずっとピリピリしていて、まともに会話すら成り立たなかった。
(ああ、もう電車が来ちゃう )
もっと早くにこんな風に話せれば良かったのに。
電車がレールを滑る音が、徐々に近付いてくる。
千里は自分の中に取り残されている言葉が無いか、必死で頭を巡らせる。
とうとう水飛沫を上げながら車体がホームに滑り込んできてしまった。
程なくドアが開き、昌弘の身体が車両の中へ吸い込まれて行く。
「不動!」
千里が呼び止めると、彼はこちらを振り向いて片手を上げて振る。
車内に片腕を突っ込み、千里は彼の腕を掴んだ。
「不動、君も 君もちゃんと無事で帰ってこなきゃダメなんだからね! オレは君のことだって待ってるんだから! 二人で無事に帰ってこなきゃ、承知しないんだから!!」
千里の言葉に、昌弘の顔を小さい子供が泣き出す少し前の様に、一瞬歪んだ。
「ちょっとちょっと、お客さん! 危ないよ!」
ホーム側の駅員が慌てて飛んできて、千里を車両の外へ引っぱりだす。
「まかしとき! 二人揃って無事帰ってきたる! そん時は俺、正々堂々と幸也に告る予定やねんから、そん時は手貸せやぁ」
千里の身体は駅員に押さえ込まれてしまった。
ドアが閉まる直前、昌弘は千里にこんな言葉を残した。
「おい。水野千里! 俺はお前のことキャンキャンうるさいスピッツみたいなやっちゃなと思てたけど、今はお前も好きやで! あの大きい三年生もや!
だから、何もかも終わったら、みんなでパアーッとやろうや!!」
ドアの閉まる直前、昌弘がそんな言葉を残してくれた。
とても嬉しかった。
電車が無事滑りだすのを見送ると、途端に腰から下の力が抜けてしまった。
ふにゃりと崩れ落ちる千里を、数人の駅員が支えた。
「お客さん、大丈夫ですか!? おい、車椅子持ってきて!」
「あ、大丈夫です! すぐ立ち上がれますからお気遣い無く」
余りの事に、身体の力が抜けてしまった。
昌弘の口から、初めて名前を呼ばれた。
いつもはチビだったっのに、やっと名前を呼んでくれた。
「全くもう…約束破ったら、絶対赦さないんだからねっ…」
都心へ向かって滑り出した電車を、千里はいつまでも見送っていた。