scene.7

 何処までも続く闇。

 目蓋の裏で瞬く、赤い閃光。

 痛み  それと等量の、快楽。

 相反する二つの感覚に、神経が焼き切れてゆく。

 気が付けば、あの夜と同じ。
 無力な子供の様に、ただ叫んでいた。
 咽喉が裂ける程。
 声が嗄れ果てる程。

 何一つくれてやるか、と精一杯張った虚勢は  容易く砕かれた。

「おや、もう限界ですか?」
 愉しげな声が、頭上から降ってくる。

 それを、悔しいと感じる余裕すら  もう忍には残されていなかった。
 そんな事までも  
(あの夜と同じ)

 無様で。

 惨めで。

 伸ばした腕は、とうとう誰にも届かず。
 絶望しか残らない、赫い夜の記憶。

「…け、…、づ…き…」

( 助 け て 志 月 )

 切れ切れの息の隙間から、その名が零れ落ちた。
 もう戻れない。
 それなのに。
 それでも。

 忍は、他に呼ぶべき名を持たなかった。

 零れ落ちた声に、解体屋が右の眉を引き上げる。
 笑みとは遠く及ばない、冷めた目の光。
「何処まで、哀れなんでしょうね。あの街の者たちは、皆  
 しかし、そう呟いたその声音には、微かに憐憫の情の様なものが、混ざっていた。
 それは、ただ単に興を削がれた様にも、憐憫の情を抱いた様子でもあった。
「ど…いう、意味ーー」
 忍の問に対して、解体屋は微かに息を吐いた。
「分からない?
  それとも、認めたくないだけですか?」
 無味乾燥な呟きと共に、忍から身体を離し、男は寝台を下りた。
「組織の探索の手を掻い潜り、十年以上その所在を掴む事が出来なかった」
 寝台に背を向け、解体屋は船室に据付られたテーブルの上で、四角い鞄を開く。
 解体屋の無感動な声が、その手許で何かを弄る音に混ざる。
 何かーー無機質な音だ。
(嫌な…音だ)
 記憶の中にも同じ音がある。
「それが、今はここに  どういう事か、分かるでしょう。君は捨てられたんです」
「そんな事は、知ってる……」
「それなのに、まだ求めるのですか?」
「………っ」
 解体屋の放った一言が、忍の胸を抉った。
  その哀れさが、私には心地好い」
 そう言いながら振り返った解体屋の手には、小さなアンプル。
 それを、細い針が吸い上げる。
 蛍光灯に照らされ、それは鈍く光っていた。
 嫌な光だ。
 忍は、それがより悪しき事態を指し示すものである事を識っている。
 解体屋は、この上なく愉しげに目を細める。
 そして、忍の上にゆらりと彼の影が落ちた。
 指を動かす事さえ侭ならない忍の左肩を強く押さえ付け、その場所に針を刺す。
 ピリ、とした痛みが、指先まで響いた。
 後を追って、その場所から痺れがじわりと拡がる。
「薬は…使わない…主義じゃ、なかったのか…?」
 忍の精一杯の憎まれ口に、解体屋は更に口角を吊り上げた。
「動かれると切りにくいので。標本は美しく残したいではないですか」
「標…本……」
 解体屋が何を言ったのか、一瞬理解出来なかった。
「君は朽ちない身体になり、永久に私の手許に残るんです」
「な……っ」
「それに、今は術後の保存技術が格段に上がっていますから、四肢を切り離されても  いえ、ある程度の臓器を切り離した後も生存可能です。
 それなのに、たった一日で終わりなど、つまらないでしょう?」
 どうやら彼は、時間をかけてこの惨劇を愉しみたいらしい。
「相変わらず…悪趣味なんだな」
「局所麻酔ですから眠くもなりません。
 君は、日毎に切り離されてゆく自分の身体を見続ける事が出来るのです」
 少しずつ位置を変え、解体屋は忍の肩に丹念に針を刺していった。
 その度に、忍の左腕は独特な痺れ徐々に感覚を無くしていく。

そうか

殺されるんだ

今度こそ

そして

消える

跡形も無く

(それも、良いのかもしれない)
(あの人に要らなくなったら、跡形も無く消える)
 それこそ、望んでいた通りではないか。
 そんな思いが、どこかでふわりと浮かび上がってきた瞬間だった。
 まるで見透かした様に、解体屋が耳許で囁いた。
「君の絶望が狂気に変わったら、私から君を奪い去った人物の前に、毀れた君を引きずり出してあげましょう」
 それは、自らの苦痛より、死よりも怖い宣告。
「やめろ…手を、出すな……! あの人には、何も…!!」
「おや、まだそれだけの声が出せるのですね。
 そうです。そうでなくてはいけません。
 諦めなど赦しませんよ? 最後まで抗って、そして絶望しなさい。
 狂気と言う祝福が訪れるまで!」
 解体屋の声が、それまでに無く高揚していた。
「いいですか。自分さえ観念してしまえば、それで済むなど考えない事です」
 嗤う様な、歌う様な声を発しながら、解体屋は忍の前髪を掴み上げた。
 半ば無理矢理な形で、視線が重なる。
 そこに在るのは、本物の狂気だ。
(駄目だ…!)
 万一にもそんな事になったら  
(あの人の記憶の蓋が開いてしまうかもしれない)
 それも、最悪の形で。

   たす け て 。

   た  す  け  て  。

 その言葉の後ろに、続く名はもう残されていなかった。

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