scene.6

 何もかもが、あの夜と似ていた。
 身に着けたものは剥ぎ取られ、身体の全てが暴かれる。
 それはただの暴力ではなく、
 それは、無限に続く責苦だった。
 解体屋と呼ばれるこの男にとって、他者へ与えるものは全て苦痛でなければならないらしい。
 それこそが、彼の快楽なのだと謳っているかの様だ。
 皮膚の下に異物を押し込まれる様な圧迫感に、何度も気の遠くなりそうな感覚に襲われた。
 しかし、その度に、強い痛みによって引き戻される。
 最も痛覚の強い場所を、巧妙に探り出してくるのだ。

 いっそ 意識を手放す事が出来るなら その方が 楽なのだろう
 そんな事を、 ぼんやり 思った。

 彼は、何処がどのように痛みを感じるのかを熟知していた。
 尋常ならざる嗜癖と、それに纏わる経験の中で、彼はその知識を得たのだろう。
「おやおや、目の縁が赤くなっていますよ?
 ……あなたの痩せ我慢は、何処まで続くのでしょうかね…?」
 解体屋は、嗤いながら下半身を捻り上げる様に動いた。
「く…ぁ、っ」
 身体の中心を穿つ杭が、その場所を更に抉る激痛に、腰から下の骨が軋む。
 反動で、肩が跳ね上がった。
 喉許まで競り上がってくる悲鳴を、噛み殺すのが精一杯だった。
 しかし、耐えかねた身体は、無意識のままに後退さる。
 当然の様に彼はそれを許さず、逃げようと捩れた腰を掴まれ、引き戻された。
「………!」
 身が二つに裂けた様な痛みに貫かれた。
 その瞬間は、声すら出なかった。
 切れ切れのだけ息が、情けなく口から洩れている。
 咽喉の奥に大きな塊が詰め込またのかと錯覚する程、呼吸は乱れていた。
 寄る辺無い腕は、無意識のうちに相手の身体にしがみつきそうになる。
 それを堪え、手近な布  おそらく、シーツ  を、必死で握りしめた。
 しかし、その手にはほとんど力が入らない。
 ただ、冷たい指先が、小刻みに震えるのを感じた。
 身体が内側から滲み出る嫌な汗が、じっとりと服を湿らせていた。
 何度も限界を感じた。
 矜持も、何も、全てを手放してしまい衝動に何度も突き上げられた。
 けれど、忍には、どうしてもそれが出来なかった。
  成る程。痛覚に訴えるだけでは、今の君は啼いてくれそうもないですね」
 そう呟くと、解体屋は戒めを緩めた。
 思わず、安堵の息が零れる。

 とりあえず、終わるのだろうか。

 そんな考えが脳裏を掠めたのも束の間  

 甘い期待は、あっさりと覆された。

「では、方法を変えましょうか」
 そんな独り言と共に、再び伸ばされた腕。
 首筋から耳の裏側へと、殊更ゆっくりと、指の腹で撫で上げられる。
 残された方の腕は腰に回り、慎重に何かを探る様に蠢いていた。
「ぁ、あ…」
 声が洩れたのは、無意識だった。
 甘噛みされる様な何処かむず痒い感覚が、忍の中から何かを引き出そうとしている。
 痛覚にのみ固執していたそれまでの動きとはまるで違う、柔らかな触れられ方に頭は混乱していた。
「…やっ! 嫌だ…っ!」
 触れられる場所全てが一点に集約され、媚薬の様に身体の深部へ染み込んでゆく。
 望んでもいないのに、身体の方が先に反応してしまう。
 気付けば、忍の手は、より深くをねだる様に解体屋の腕にしがみついていた。
「あの後、誰かに身請けされた、と噂には聞きましたが…残念ながら、余り愉しみ方を知らない人物だったようだ」
 嘲笑う声が耳の奥で響く。
「宜しい。折角の再会です。
 愉しませてあげましょう。少々、主義には反しますが…ね」
 耳許で低く囁く声。
 その言葉に呼応する様に、甘さを含んだ痺れが、下肢に走った。
 それを自覚した時、忍の中の覚悟が、ある種の絶望に姿を変える。
「やめろ…、やめろ、やめろっ!!」
 残っている、全ての力で男の腕を振り払った。
  つもり、だった。
 けれど、その手は容易く捻られ、寝台の上に縫い留められてしまう。
 どうしようも無く、悔しい  
 そんな感情が身体の奥底から噴出してくる。
 恐怖でもなく、痛みでもなく、哀しさでもない涙が、目の縁に滲むのを感じた。
「……本当に君は面白い。
 痛みより快楽の方が苦痛とはね」
 解体屋の声が、初めて湿度を帯びるのを感じた。
「流されてしまった方が、楽でしょうに  随分強情になったものだ」
 解体屋が呟いた。
(…強情…?)
 それは不可思議な響きだった。
「昔の君は、ただ毛並みが良いだけの  その辺りの野良猫の様に、本能の侭に爪を立て、咬み付き、ただ目の前の現実から逃げ出しただけでした。
 今の君が、そうまでして守りたい矜持とは一体何です?」
 心底不思議そうに、解体屋は忍にそれを質した。
(何……だろう?)
 絶望感に苛まれながら、今も尚、忍は『それ』を諦められないでいる。
 この男に、何一つ渡さない。
 矜持だけは、手放さない。
 覚悟を決めたのは  
 果たして、この男に対する意地だけなのだろうか。

 帰る宛も無く  

 全てを置き去りにし  

 自分自身にさえ絶望して  

 まだ、何かを、守ろうとしている?  

 何を、守ろうとしている…の、だろう?  

 固く閉じた目蓋の裏に、その答えがぼんやりと映っている。

前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++


PAGE TOP▲