scene.2

 階段を上り切ったそこは、他の階より少し廊下が広い。
 一階と違い、廊下には廃材や硝子片が散乱していた。
 床を踏む度、ざり、ざり、と嫌な音がする。
 木履の小気味良い音は、もう鳴らない。

 手前から三番目の扉から、薄ら明かりが洩れている。
 先を歩く男は、迷い無く明かりの方へ向かう。
 短く響く、ノックの音。
「どうぞ」
 中から、妙にひんやりとした声が応える。
「商品のお届けです」
 これまでと打って変わって礼儀正しい男の声。
「待ちかねましたよ」
 中から顔を覗かせたのは、小柄で細身の神経質そうな男。
 イントネーションから、この土地の者ではない事が分かる。
「モタモタせんと、早よ入れ!」
 幸也の身体が、『客』の前に押し出された。
「おや、乱暴はいけませんね。
 これは、わたしが買った商品なのですから」
 前のめりに倒れそうになった身体を、客と呼ばれた男が受け止めた。
「これは…どうも」
 慌てて男が頭を下げた。
 余程の上客なのか、それとも、恐れられている人物なのか。
「ほなら、ワシらは下に居りますんで何かあったら呼んで下さい」
 男はそう言って扉を閉めた。

 扉の正面に、和紙で作られた丸い笠の明かりが床に置かれている。
 光がゆらゆらと揺れているそれは、どうやら蠟燭が中に入っているようだ。
 室内の照明はそれ一つだけだった。
 畳敷きの床。
 清潔な褥。
 薫き染められた香の匂い。
 廊下の荒廃ぶりに比べて、部屋の中は意外な程整っている。
「これはまた…綺麗に包んでくれましたね。
 まるで、赤い蝶々の様だ」
 男が、口唇の端を引き上げて笑う。
 静かな物腰に似合わない、凄惨な笑み。
 背中に冷たいものが走る。
 幸也の身体は、凍り付いた様に動かなくなってしまった。
「初めまして、私の蝶々。
 私の名前は解体屋。当然、通り名ですがね。
   さあ、愉しみましょう。夜の闇は長くない」
 解体屋と名乗った男の手が、帯締めに掛かる。
 強張った身体が、褥の上に押し付けられた。
 身体の底から、冷気が這い上がる。

助けて

「う…あ…」
 声が、出ない。
 恐怖に引き攣る顔さえ愉しんでいるのか、解体屋の動作は必要以上に緩慢だ。
 震えの為に侭成らない身体で、それでも幸也は、少しずつ後退さる。

助けて

 どうして、こんな所へ連れてこられたのだろう。
 その答えを、解体屋が愉快そうに言い放つ。
「駄目ですよ。
 君は売られたのだから。
 私からは、逃げられない」

助けて…助けて…!

 一階には、父親もいるはずだ。
 けれど、此処には来ない。
 売られた。
 売られたのだ。
 自分を顧みた事の無い父親が、今日だけはこちらを向いてくれた。
 綺麗な着物を着せてくれた。
 手を繋いで歩いてくれた。
 けれどそれは  
 自分を、売る為だった。

…助けて…

 帯が取られ、晴れ着であろう着物が剥ぎ取られる。
 朱色の襦袢に、冷たい手が忍び入る。
 中から、白い肩が露になった。
「素晴らしい。
 傷一つ無い、綺麗な肌だ。
 さあ、もっと顔を見せて下さい」
 顎を掴まれ、上を向かされる。
 目を合わせる事が怖くて、反射的に目を閉じた。
「実に、良いですね…。
   恐怖に引き攣る、その顔  
 反対の手が、襦袢の裾をはだける。
 太股を擦る解体屋の手は妙に、かさかさと渇いていた。
 恐怖とは別の嫌悪感が身体を貫く。
「ゃ…、や…っ!」
 堪え切れず、必死に逃れようと足掻く姿に、解体屋の咽喉から愉悦の声が洩れた。
「この私が、一目惚れだ」
 覆い被さる男の目が、正気なのか狂気なのか、それさえ判別出来ない。

 ただそれは、血の様に赤い月と同じ光を放っていた。







  夢。

(これは、夢だ)
 ゆらゆらと、意識と無意識の中を揺れている。

  ここは赫い夢の底だ。

(これ以上、沈んじゃいけない…)
(早く、夢から醒めなければ…いけない)
 ゆらゆらと、現実と非現実の狭間を揺れている。

  夢の底に埋まっているそれは、決して掘り起こしてはいけないもの。

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