scene.7

 宏幸の言う記者とやらに話を聞くにしても、手ぶらと言う訳にはいかない。
 情報交換が大原則だ。
 その材料を仕入れる為に、二人はまず城聖学園へ向かった。
 マスコミではなく、生徒の身内として情報を手に入れる。
 それを、交換材料にしようと、宏幸は言った。
「それにまあ、何も情報が無いなら、前日の行動を追ってみるのがセオリーだしな」
 そう言って、宏幸は首を回す。
(定石はどうかはともかく…)
 確かに、他には何も情報が無い。
「水野君と北尾君の話によれば、忍君は昨日、一限目すら出席しないまま早退している。授業が始まる直前、誰かに呼び出された為に」
 腕組みをした宏幸が、やや引き締めた声で言った。
 彼が言わんとしている言葉を、志月が引き継いだ。
「問題は、誰が何の為に忍を呼び出したか  

 一体、誰が、何の為に、彼を、呼び出した のか  ?

 心配して、わざわざ宏幸の自宅に訪ねて来た忍の友人達。
 水野千里  音楽科の、『意外に気の強い友人』。
 北尾智史  一年上の、『面倒見の良い先輩』。
 彼らも、訪ねて来た人物が誰だったのかは分からないと言っていた。
(そう言えば、もう一人…よく口にしていた名前があったな)
 隣の席の、『やたら強引で口の悪い転校生』、不動昌弘。
 彼は、現れなかった。
 先の二人ほど親しくないからか、交友範囲が異なるのか、それとも  
(そいつが、忍と一緒にいるのか)
 肉親の無い忍が頼れる人間の数こそ、限られているはずだ。

 それなら 頼れる相手は 誰か

 脳裏に、顔も知らない彼の級友の名が過ぎる。
(不動昌弘?)
 慌てて頭からその名前を追い払う。
 闇雲に可能性だけを論じても始まらないと言うのに、それでも、拉致も無い想像が浮かんでは消える。
  おい、返事くらいしろよ。大丈夫だよ。滅多な事する子じゃないし。な?」
 途方に暮れた様な声に顔を上げると、宏幸が志月の顔の前で手を振っていた。
「すまん、聞いていなかった」
 弾かれた様に顔を上げた志月を、宏幸が呆れた顔で見ている。
「あんまり考え込んでもしょうがないぞ」
「ああ、分かってる」
 志月は、目を閉じて、一度大きく深呼吸した。
 次の駅は、城聖学園のある桜川駅だ。
 そして、そこには、ほんの少し前まで志月が生活していたはずの家がある。
(もっとも、今は焼けて、建物はもう無いらしいが)
 元は亡き祖父の別邸だった場所だ。

 春には桜。
 秋には紅葉。
 重厚な青銅の門扉。
 古い煉瓦造りの洋館。

 一番古い記憶は、庭の桜の木の下に、兄と二人でこっそり埋めた小鳥の亡骸。
 泊まりに来ていて、偶然見つけたそれを弔った記憶。
 祖母の手伝いをするふりをして、水遊びに興じた夏の記憶。
 ツクツクホーシ、蝉時雨。
 桔梗、竜胆、百日紅。
 庭を覆う白い雪。
 祖父の死。 

 子供の頃から幾度と無く訪れ、そして、ついこの間まで住んでいた家。
 幾らでも回想は巡るけれど、どれ程思いを馳せてみた処で、記憶の戻り道は、同じ場所でいつも途切れる。

 その中に、忍の影は見出せなかった。
 その貌を、見つけられなかった。

 堅く鍵の掛かった記憶の匣。
 彼は、どんな表情でその庭に佇んでいるのだろうか。

「さあ、着いた。行こうか」
 プラットホームに滑り込んだ電車が、静かにドアを開いた。
 桜川駅を利用している高校は二校。
 一つは、忍が通っている城聖学園。
 もう一つは、志月自身が通っていた都立高校。
 一つしかない改札の出口は四ヵ所あった。
 都立高校へ向かうには4号出口を出る。
 城聖学園は、1号出口だ。
 二人は、1号出口へ向かって、改札を出ると左へ折れた。
 階段を一段上るごとに、真夏の暑気がじっとりと肌に纏わり付いてくる。
「夏だねぇ」
 出口を出るなり、宏幸が呟いた。
「ああ、暑いな」
 さわさわと鳴く蝉の声。
 深緑に覆われた街路樹。
 通学時間を大きく外れた時間帯。
 駅前に人気は無く、やたら静かだった。
 五分程歩くと、古めかしい建物が姿を現した。
 明治に建てられたと言う、城聖学園の校舎だ。
 志月の家と同じくらいの年代の建造物だ。
「お前んちとどっこいどっこいだな、この建物」
 宏幸が、志月の感じた感想をそのまま口にした。
「まあ、同じくらいの時期に建てられたものだろうな」
 そんな事を言っているうちに、正門の前に辿り着いた。
 重厚な黒い門の横に、恐ろしいほど不似合いなインターフォンが付いている。
 防犯カメラを搭載した、最新式のドアフォンだ。
 宏幸が、インターフォンを押した。
『どちら様でしょうか?』
 すぐさま女性の声が答えた。
「先ほどお電話させて頂きました、東条と申します」
 女性の声に応えたのは宏幸だが、学校への連絡は志月の名前で入れている。
『伺っております。どうぞお入りください』
 そう言ってインターフォンの通話が切れた。
 間を置かず、正門のロックが外れた。
「こりゃまた、このいでたちに不似合いなオートロックらしいぞ」
 宏幸が愉快そうに門を見上げた。
「いや、こんなもの手動でやってたら、大変だろう」
 呆れた声で志月は友人の言葉に応えたが、志月が沈み込んでしまわないように、彼が殊更どうでも良い話を繰り出し続けているのは、分かっていた。
 ただし、志月に気の利いた返答を考える余裕は無かったが。
 そして、重厚な門を潜り、二人は授業中らしく静けさに包まれた校舎の中へ吸い込まれていった。

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