scene.6

 その日の朝、志月は見慣れないカーテンの色に染まる部屋で、違和感に目を醒ました。
 ここは、宏幸の家だった。

 ついさっきまで、夢を見ていた。

 何処までも白い砂漠を、歩く夢。
 その中で志月は、点々と散らばる人形のパーツを拾い集めている。
 黙々と、ひたすら、人に似せて作られた無機物を、拾い集めている。


 その 光景  は   絶望に   よく 似ていた    。


(嫌な夢だな…)

 寝覚めの気分は最悪だった。
 交錯する記憶の断片が、そこら中に散らかっている。
 頭の中は煩雑としていて、未だ纏められないまま。
 異なる色彩で光彩を放つ心の破片が見せる、瞬きの残像。
 果たして、それは一枚の像を結ぶのだろうか。
 或いは、異なるパズルのピースが混ざり合ったものなのだろうか。
 それらを繋ぎ合わせた時、そこに忍の姿は在るのだろうか。
 何処か重い身体を、無理矢理起こす。
 時計に目を遣れば、まだ夜が明けたばかりの時刻だった。
 太陽の光がやけに空々しい。
「目の覚めるのが、少し早過ぎたな…」
 溜息が洩れた。
 起きている時間が長ければ長い程、考える時間も長くなる。
 必要以上に余分な事も考えてしまう。
 昨夜、とうとう忍は戻って来なかった。
 一刻も早く謝らなければならないと言うのに。
 このままでは、その機会を失ってしまう。
 暗澹たる気持ちで昨晩借りた部屋を出ると、眼前のダイニングテーブルに、志月より早く起きていたらしい友人が無言で座っていた。
 奥方の方は、まだ就寝中なのだろうか。
 宏幸は一人でインスタントコーヒーを飲んでいる。
 志月の気配に気付いた宏幸が、背後を振り返った。
「おう、早いな」
「…宏幸もな」
 まだ四時半を僅かに回ったばかりだ。
「俺は早いんじゃなくて、寝てないんだ。  仕事が立て込んでてな」
 親友はそう言って苦笑いした。
「そうか…働いているんだったな。未だにおかしな気分だ」
 志月の中では、まだ二人とも高校生のままだ。
 目の前の親友が仕事で草臥れている姿は、やはり順応し難いものであった。
 釦を掛け違ったまま服を着ている様な、奇妙な錯覚を憶える。
 宏幸が志月の分のコーヒーを、マグカップに入れ、テーブルに置いた。
 インスタントだが、と言って、小さく笑う。
 一言謝辞伝え、それを手に取った。
 たった今淹れて貰ったコーヒーを、静かに口に含む。
 妙に苦いのは、きっと疲れているからだろう。
 見る間に部屋の中が明るさを増してゆく。
 一日が始まるのだ。
 志月にとって、長い一日になりそうだった。
「ずっと訊きそびれていたんだが、志月はどうするつもりをしてるんだ?」
 突然、親友が真顔になった。
「どうする? とは?」
 漠然とし過ぎている設問に、どう答えて良いのか、志月は首を捻った。
「忍君だよ。会って、それで、どうするんだ。いや、そもそもどういう風に思っているんだ。覚えていないのは分かってる。しかし、それを抜きに考えても、病院で『初めて』顔を合わせてから数ヶ月だ。彼は彼なりに自分の立っている場所が何処なのか、知りたいと思ってるんじゃないだろうか」
 少し苛立たしげな口調で、宏幸は設問の内容を拡げた。
 その様子は、まるで彼が忍の父親の様だ。
「それは  
 具体的に、と問われると、言葉が出てこない。
 まず、謝って、それから  
「会って話がしたいのはそれで良いかも知れんが、中途半端な言葉を掛けるだけならやめとけよ。  そんなもの、向うだって望んじゃいないだろうし、それどころか、余計傷付けるんじゃないかな」
 畳み掛ける様に、宏幸は言った。
「俺は、中途半端か?」
 志月は、親友の問いに、逆の問いを返した。
「いや、そうは言ってない」
「それでは、どういう意味だ?」
「答えを出してやれって、言ってる。彼の方は、とっくに答えを出してるんだから。
 俺は、お前がすごく良い奴だって事は、充分知ってるつもりだ。
 人を思いやったり、気を遣ったり、優しく出来る人間なんだって、知ってる。
 その所為で、余計な苦労を背負い込むところも、解ってる。
  だけど、今は、耳障りの良い言葉じゃなくて、責任感でも、義務感でも無い、本音の答えを出してやって欲しい、と思うよ」
 いつに無く真摯に、祈る様な口調で、宏幸が一言一言を連ねた。
 これ以上、哀しい連鎖が拡がる様は、見たくないのだと言った。
「……」
 答える言葉が、無かった。
 自分が一体どうしたいのかと問われると、志月には答えが分からなかった。
 ただ、解答を間違えると、何もかもが壊れてしまうだろう。
 それだけは分かっていた。



「お、もうそれなりの時間だな」
 宏幸が時計に目を遣った。
 釣られて志月も視線を移す。
 気付けば、もう六時前だ。
「実は、面白い情報があってな」
 突然話を切り替えられ、志月は怪訝な顔で宏幸の顔を睨んだ。
「面白い…?」
「最近、若年者の間で流行しているドラッグがあるんだが」
「ドラッグ?」
 ますますよく分からない話になってきた。
「ドラッグと言えば、古い言い方かもしれないが、不良が手を出すものだった。ところが、だ。最近では、ごく普通の高校生  いや、中学生までもが、手にしている。社会部の記者でそういうのを追っかけてる奴がいてね。今、最も麻薬汚染の拡がりが激しいのは、むしろ進学校だそうだ」
 段々と、目の前の友人の言わんとしている内容が明確になってきた。
「それで?」
 志月はその話が早く忍に繋がるよう、先を促す。
「列挙された学校名の中に、忍君の通っている城聖学園の名前があった。それも、特進クラスが最も疑わしいらしい」
「どういう事だ?」
「実は、先月あの高校で、高い席次の生徒が立て続けに退学しているんだ。学校側も保護者も皆ひた隠しにしているが、その記者に言わせると、原因がどうもその…ドラッグ…らしい。上位の生徒ばかりがどういう理由か知らないが、狙い撃ちにされた様だ」
 その言葉に、ふと、志月の頭に忍と交わした会話が蘇った。

  何故か急に、首席、次席、三席の奴が揃って順位落ちしちゃって…急に席次が上がって、妙な感じなんだ。

 先月、期末試験が終わった直後、彼はそう言って非常に神妙な顔をしていた。
「まさか」
 志月は、派手に椅子を鳴らせて立ち上がった。
「忍君も、期末試験では首席だ」
 宏幸もまた、ゆっくりと腰を上げた。
「まさか…そんな事件に、巻き込まれて…いるのか?」
 普段の彼なら、そんな危険なものに自ら係ったりしないだろう。
 もし、本当に何事かそんなものに巻き込まれているとしたら、そんな動揺を与えた自分の所為  
「そう短絡も出来ないさ。条件に当てはまるだけでね、可能性の一つに過ぎない。  ただ、そいつに会って話を聴く価値くらいは、ありそうだろう? そんな訳で、その記者に会いに行ってみないか?」
 そう言って微笑んだ宏幸は、既に出かける準備に取り掛かろうとしている。
 志月の答えなど、最初から関係無いのか。
 それとも、解り切っているのか。
「ああ、それではすぐに、用意しよう」
 志月もまた、身支度をすべく一夜間借りした部屋へ戻った。
 それは、忍が、借りている部屋だ。
 彼の私物はいやに少なく、机の上にはきちんと揃えられた教科書が置かれているだけ。
 後は、微かな残り香だけが、彼の居た痕跡を示していた。
 彼は、この部屋で一体  
 何を考えていたろうか。
 何を想っていたろうか。

 一昨日、病室の白いカーテンに小さく包まっていた肩を思い出す。
 その華奢で壊れそうな肩を、守りたいと思った。
 今、志月に分かっているのは、それだけだった。

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