scene.5

 昌弘が仮の住処に使っているマンションへ戻ったのは、正午を少し回った頃だった。
 気持ちの好い晴天だった午前中が嘘の様に一気に傾き、重く暗い空からは、とうとう堪え切れず降り始めた雨の粒が夏特有の風に煽られ、マンションの廊下に強く吹き込んでいる。
 数字錠と電子錠の二重ロックが掛かった扉を静かに開く。
 そこには当然、幼馴染が待っているはずだった。
 ところが  
「…ん?」
 忍の靴が無い。
「なんや、アイツ。どっか出掛けたんか…?」
 しかし、出掛けると言っても彼には訪ねる当てなど無いはずだ。
 何か必要なものを買いに出たのだとしても、そう長い時間ショッピングを楽しむ様な性格でもない。
 まして、この天気だ。
 いや、もしかしたら今出掛けた処なのかも知れない。
「それもちゃうな。俺、出掛ける前に午前中に用事済ませろゆうて出たんや」
 かの幼馴染は、妙に素直と言うか、過剰に律儀な処が有る。
 午前中に、と指定されていたならば、彼は自分の用事を午前中に済ませているはずだ。
 正午より三十分は前にこの部屋に戻っているはずだろう。
「それやったら、何で……?」
 この時間になっても、忍がこの部屋に戻ってきていないのか。
 では、やはり気が変わって件の保護者の下へ戻ったと言うのだろうか。
 もしくは、他の人間を頼って…?
(そうやったとしても、アイツのこっちゃ。何か書置きくらいしていくはずや)
 何も残さず、去る訳が無い。
 その時だ。
 昌弘の携帯が無機質名呼び出し音を鳴らせた。
 何の飾り気も無い、販売されている時に設定されているそのままの音だ。
(もしかして、幸也…!?)
 急いでポケットから携帯を取り出す。
 ディスプレイに表示された名前は、別の名前だった。
「何や、あのチビか」
 昨日の昼休み、念の為に交換してあった電話番号だ。
(面倒やな…無視するか…?)
 これ以上巻き込む人数は増やしたくないのが本音だ。
(いや、もしかしたら  
 水野千里が、決して友好的な関係とは言い難い昌弘に連絡を寄越してくる理由と言えば、一つしか思い当たらない。
 幸也の  忍の事しかなかった。
「何や、チビ!」
 昌弘が通話ボタンを押した直後、受話器から甲高い声が大音量で発せられた。
『おっそーい!! 何分待たせんの!? 信じられない!!!』
「キンキンやかましいなぁ! 何やねん、一体?!」
 昌弘が怒鳴りつけた瞬間、相手は一瞬黙りこくった。
 しかし、それはどうも恫喝に怯んだ訳ではない様だ。
  ??? 不動…だよね?』
 不思議そうな声で、名前を確認された。
「それ以外の誰にかけとるつもりや!?」
 呆れた口調で問い掛けに答える。
『えーっ!? だって、えーっ?? 何、ホントは関西の人なの!?』
 心底驚いた声が更に返ってきた。
 どうも相手は昌弘の関西訛に驚いていたようである。
(あ、しもた。ここんとこずっと素やったから標準語とんどるわ。……ま、ええか。関東のガッコ通うのに、あんまし目立たんように思て標準語にしてただけやし)
 どの道、今となってはどうでも良い事だ。
 それならば開き直れば良い。
 第一、標準語を使おうが訛っていようが、それとは係り無く浮いていた昌弘である。
「俺の出身地なんかこの際ええやろ。何の用やねん? ちょっと今取り込んでるんや」
『何だよ、いただけないタイドだなぁ。昨日、お互い情報が入ったら報告、って約束したから、わざわざ連絡入れたのに!』
 昌弘のぞんざいな言葉に、受話器の向こうで水野千里は不満な様子を露にした。
「ゆき…いや、東条の事か?」
『当たり前でしょ? それ以外、オレが君に何の用事があるって言うの』
「そりゃ、そやな。まお互いそれ意外に共通の話題は無いわな」
 にべも無い言葉ではあるが、それは昌弘も同じだ。
『そうだろうね。君、忍に普通じゃないくらい執着してるもの』
 受話器の向こうの人物は、普段学校で顔を合わせている時には無い、先の尖った声でそう言った。
 そして、更に言葉を繋ぐ。
『どうして? 差し支えなければ、訊かせて貰っていいかな。忍も、子供の頃関西方面に住んでたみたいだけど、それと関係あるの?』
「そんなもん、お前に何の関係もないやん」
 そんな風に答えながら、昌弘は水野千里がどの程度の情報を持っているのかが気になった。
 少なくとも、忍が自分の口からある程度以上の話を、この電話の相手にはしているのだ。
(意外…やったな。妙につるんでるとは思とったけど)
『関係ない? 本当にそうだと思う? そうかもしれないね。だから何? 心配してるのは君だけなの? 別に、話したくないことはそれで構わないけど、それなら話したくないって言えばいいでしょ?』
 お節介な人間にありがちな、善意を押し付けるような態度や、噂好きな人間が好奇心剥き出しで詰め寄ってくる様子と、千里の言葉は全く別の処にあった。
 その為だろうか。
「そやったな。お前も、心配してるんやったな」
 昌弘にしては珍しく押されていた。
 ただストレートに自分の気持ちを言葉に表してきた相手に対して、それ以上言い返す気にならなかった。
 前述したように、お節介や好奇心ならば交す術は幾らでもある。
 また、喧嘩を売りたいが為の因縁でも同様だ。
 こちらの方は、最初から交す事も出来るが、敢えて受けて立つ事も出来る。
 腕っ節の方は勿論の事、口喧嘩で言い負かされた事も滅多に無い。
 それは喧嘩相手の方にも何らかの計算があり、無意識のうちに落とし処を探しているから。
 やはり、交すのと同じで、算段  駆け引きがあるからだ。
 だから反対に、こうも直球で来られると、そう言った駆け引きに引き込む隙が無いのだ。
「ほんまやったら、電話でする様な話やあれへんのやけどな…まあ、一言でゆうたら…家族、みたいなもんや。今は、それだけでええか? また、ちゃんと面突き合わせとる時にさしてもらう」
 駆け引きが無い相手に、昌弘は自分も駆け引き無しで答えた。
 今、電話で答えられるのはここまだった。
『それでいいよ』
 果たしてこの程度の情報量で、この剣幕は収まるのだろうかと懸念したが、相手はあっさりと納得した。
「そんで、お前の方の用事は何やったんや?」
『あっ、そうそう!』
 どうやら本来の用事を忘れていたらしい。

  そうして、ようやく彼が話し始めたのは、昌弘が想定し得る中で最悪のシナリオだった。

 忍が、何者かに連れ去られた。
 それを、水野千里の級友が見ていた。
 訊かなくても、相手は分かっている。
  高仁会…池垣だ。
 昌弘自身と接触を持つ事で、彼に危険が及ぶ可能性は高かった。
 分かっていて、潜入先に城聖学園を選んだ。
 自分が傍に居たかったからだ。
 潜入捜査と言う、すぐに通り過ぎてしまう僅かの時間でも、彼の傍に居たかった。
(こうなるて、分かっとったのに  
 心のずっと奥の方で、幼い昌弘が、甘えたくて、叶わなくて、泣いている。
 少しだけ年上の幼馴染を、口では守ると言いながら、心はずっと支えられていた。
 遠く離れて、その後も。
 汚れた故郷の記憶を、その存在が切なく優しい色に変えてくれた。
 ただ懐かしい思い出に変えてくれた。

 それを  


『…う、ふーどーう! ねぇ、聞いてんの!?』


 途方に暮れそうな気分になりかけた瞬間、男にしては甲高い声が昌弘の耳を突き刺した。

「何やねん! 急に大きな声出すなや!!」
 思わず昌弘は携帯を遠ざけた。
『そっちが返事しないからだろ!?』
「だから何やねん!?」
『だーから、不動もこっちに合流する? って訊いたの!』
「はぁ!?」
『今から忍が居候してる人んちに行くんだけど、不動も来る?』
「何で俺がそんなとこ混じらなあかんの」
 昌弘としてはそんなところで仲良しこよしをするよりも、一刻も早く高仁会のどのヤサに忍が連れ去られたのかを探る方が重要だった。
『来たくなければいいけど、オレの友達、念のためって言ってそん時の車のナンバー写メってんだよねー』
 しれっとした口調で携帯の向うの相手が言った。
「何やて!?」
『そんで、学校出る時そいつに車の追跡頼んであるんだけど。まぁ、街中ふらふらしてる連中に見かけたら教えてもらうように頼んでるくらいのものだけどさ。  しないよりマシでしょ?』
 あんな学校に通っているくらいだから、世間知らずのボンボンだろうと高を括っていたら、水野千里は意外な行動力の持ち主の様だ。
「チビすけ、意外とやるやん…」
『チビじゃないって言ってるでしょ! で、どうすんの。来るの!? 来ないの!?』
「わぁったっちゅーねん! どこ行ったらええんか、さっさと説明せぇや!」
『人間、素直が一番だよねー』
「うっさい! 早よ言え!」
 かくして昌弘は、千里、北尾と合流するべく、幼馴染が居候していたという川島家へ向かう事になった。

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