scene.4

 忍が突如姿を消した翌日、千里は落ち着かない気持ちで登校した。
 空は妙に晴れ晴れとしていて、それが却って千里の気持ちを重くする。
 一時間目が終わってすぐ忍のクラスを訪ねてみたが、やはり彼は学校には来ていなかった。
 川島家を後にして、千里と北尾は忍と面識のある友人全てに、彼を見掛けたら報せてくれるようにメールを送った。
 今の処、返りは無い。
(そう言えば、不動もいなかったなぁ。アイツの方はどうだったのかな?)
 もしかしたら、彼の方が先に忍と連絡を取れているかもしれない。
(次の休み時間、電話してみよっかな)
 実は、昨日の昼休み、千里は昌弘とお互いの連絡先を交換していた。
 お互いに、何か新たな情報を掴んだら報せる  その為に。
 とりあえず一度連絡を取ってみようと考えた千里は、休憩時間を待って、携帯電話を取り出した。  そして、新しく登録されたばかりの名前を、電話帳から呼び出した瞬間、 堂々たる大遅刻で現れた級友の姿に、通話ボタンを押す指が止まった。
「おはよーさん」
 一年生の時から仲の良い友人の一人、城野光聖だ。
「おはよー。いい加減真面目に登校しないと、午前の授業の単位、足りなくなっても知らないよー」
 揶揄い口調で千里は級友と挨拶を交わす。
 彼はしょっちゅう午前中の授業をサボっている。
「大丈夫。ちゃんと計算してっから。  それよりさ、昨日なんかお前妙なメール送ってきたろ」
「あ、もしかして、忍見かけたら報せてねってヤツ?」
 城野光聖も、忍と何度か直接会っている友人の一人で、千里は昨日、真っ先に彼にメールを送った。
 彼は校外での交友範囲がとても広く、彼が情報収集を呼び掛ければ、大概の情報は得られる。
 千里にとって、とても頼もしい友人の一人だ。
「それそれ。昨日の話だし、今更かもしらないけど、さっき見かけたぜ?」
 その彼の口から、思い掛けない情報がもたらされた。
「えっ? ええええっ!? マジで!? てか、どこで!?」
 派手に椅子を鳴らせて、千里は慌てて立ち上がった。
「な、何だ何だ!? いや、S駅からちょっと歩いたとこだけど」
 いきなりすごい勢いで詰め寄られ、城野は目を白黒させている。
「それで!?」
「それで、って  ああ、そういや何かヘンな雰囲気だったな。俺が見たのは車に乗り込むとこだったんだけど、サラリーマンぽいオッサンが、こう…ガッとアイツの両肩掴まえてて  
 言いながら、城野が見たと言う場面をジェスチャーで再現した。
「それで!?」
 更に追求。
 僅かな手掛かりも逃すまい、と、千里は級友に喰らい付いた。
  で、そのまま車に乗ってどっか行っちまった。すぐメール入れようか迷ったけど、どうせ授業中じゃ見てないだろうし、ガッコに向かう途中だったからどうせなら直接言やいいかと思って。…何か、もしかしてオオゴトだったのか?」
 千里の真剣な顔に、城野が戸惑った顔をしている。
 城野は忍の抱えているさまざまな問題の事など知らないのだから当然だ。
「ああ、そんなじゃないよ。ありがと」
 慌てて千里は何でも無い顔を作った。
 今の段階では、何をどう説明したら良いのか、千里自身にも分かっていない。
 ただ、急速に嫌な方向へ事態が転がっている  そんな漠然とした不安だけは感じていた。
「それより城野。オレ、今から早退するからテキトーに誤魔化しといてくれる?」
 千里は机の中の教科書を手早く鞄に放り込んだ。
  ?? ああ、いいけど」
城野は怪訝そうに首を捻りつつも、千里の代返を引き受けた。
「サンキュ。じゃ、また明日ねっ」
 千里は教室を飛び出した。

 首尾よく北尾を捕まえた千里は、彼にも早退届を書かせて、急ぎ学校を後にした。
(とにかく、もう一度川島さんの家へ行って  それから…不動にも、連絡入れなきゃ)

 嫌な予感が胸の裡をじわりと広がる。
 水の中に落とした黒いインクの様に。

 川島家へ向かう電車の中、思うのは忍の希薄な存在感だった。
 彼は、いつも何処か危うい空気を身に纏っていた。
 どれだけ『また明日』と繰り返しても、いつかいなくなってしまう様な  
 いつか、雪が融ける様に消えてしまう様な。
(帰ってくるよね…? このまま、消えてしまったりしないよね?)
 確かに、これから先の事を、忍が色々真剣に考えているのは、千里も分かっていた。
 その葛藤が、容易に出口を見つけられるものではない事も。
「千里、何があっても、東条は黙って消えたりしないと思うよ」
 千里の心の中を見透かした様に、北尾が言葉を発した。
「え?」
「あいつ、妙に義理堅いって言うか、律儀だからな。本当にどこか遠くへ離れる時は、一言残していくと思うんだ」
 北尾がそう言ったのは、ただの気休めかもしれない。
 しかし、それは一定水準以上の説得力を持っていた。
「そう…だよね。忍、律儀だもんね」
 どれだけ興味の無い顔をしていても、呼ばれれば出て来る彼。
 千里が持たせた携帯電話を、通話を切らさないように気を付けている彼。
 出会ってからの短い期間、いつも彼は少し困った様な顔をしながら、千里の呼び掛けに応えてくれた。

 けれど、千里は知っている。
 確かに忍は律儀だけれど、律儀なだけなのだ。

 彼が自ら求めるのは、たった一人の人。

(忍は、東条志月と言う人に不要だと言われたら……きっと消えてしまう。そこに、オレや、川島さんや、不動も、きっと入る余地なんか無い)
 千里は、昨日初めて会った人物の顔を思い浮かべた。
 忍にとって、唯一の人。
 他の誰が忍を必要だと言っても、無意味なのだ。

 忍は  
 北尾とは違う。
 城野とも違う。
 永久に抜け出せない迷路に、突破口を開いてくれた  特別な友達。
 だからこそ、彼にも出口を見つけて欲しい。
 こんな風に消えてしまうのでは無く、真実に向き合った結果を見出して欲しい。
 千里は少しだけ首を傾け、窓の外に目を遣った。
 朝は気持ちの好い晴天だった空も、今や黒い雲に覆われ、泣き出しそうな色をしている。
 各駅停車の電車は、千里の胸中に反してのんびりと都心を離れてゆく。

 今はただ、祈る様な気持ちで待つ事しか出来なかった。

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