scene.2

 午前十一時頃、駅前の店が開店する時刻を見計らって、忍は昌弘のマンションを出た。
 繁華街の真ん中に建っているマンションだ。
 一歩出れば、そこはショッピングに繰り出してきた人間で溢れ返っている。
「そう言えば……」
 忍は、忙しなく行き交う人混みの中でピタリと足を止めた。
「今頃気付いたけど」
 奇抜なウォールアート。
 ファッションビル。
 洪水の如く垂れ流されるBGM。
「……自分で、服なんか買いに行った事無い……」
 何処で何を買えば良いのか、忍には見当も付かなかった。
(………………………)
 買い物をしたいのだが、その足を向ける先が分からない。
「……先に、ご飯…食べに行こうかな」
 何処で食事をしたら良いのか、それも到底見当が付かないのだが。
(それは、見掛けた店に適当に入れば良いか…)
 とりあえず駅へ向かう大通りを真っ直ぐ歩いてみる事にした。
 こうして改めて考えると、本当に外出をしない生活をしていた。
 千里などによく『箱に入ってる』と揶揄されたものだが、それがシャレになっていない事実を実感させられる。
 結局、その千里に何度か連れて行ってもらったファミレスの看板を見つけたので、そこへ入る事にした。
 窓際に通された。
 オーダーした料理が届くまでの間、暫くぼんやりと通りを眺めていた。
 通り過ぎてゆく人の群れは、一人一人それぞれが違った顔をしている。
 誰一人同じ顔をしている人間はいない。
 人間は、誰もがたった一人だ。
 同じ人間は、二人存在しないのだ。

  たった一人の『自分』という存在。

 それを手に入れる為に、忍はやっと足を出す事が出来た。
 昌弘が戻れば、また、もう一歩前へ進めるだろう。
(一番知りたくて…一番知らない方が良い事…)
 怖くないと言えば、嘘だ。
 でも、それは知らなければならない事でもある。
(あの…赤い夢にも繋がっているんだろうか  
 何処までも追いかけてくる、赤いイメージ。

 赤い、血の  イメージ。

 どちらにせよ、あまり良い内容は期待出来なさそうだ。
 大きな溜息を一つ溢した処へ、ウェイトレスが料理を運んできた。
 ランチタイムには少々早い。
 軽めの食事となった。

 食事を終えて、ファミレスを出たのは、入店から小一時間ばかり経った頃だ。
 エントランスを出た所で、突然声を掛けられた。
「東条君! どうしたの? こんな時間に、こんな所で」
 そう言う相手こそ、何故こんな時間にこんな所にいるのだろう。
 坂口慎介だった。
 これは、偶然だろうか。
 同じ日に、同じ様に学校を欠席して、同じ場所へ現れる。
 昌弘に忠告されていなかったとしても、明らかに不自然だ。
(まさか…、見張られてる…?)
 さすがに忍も少々薄気味悪く感じた。
「僕は夏風邪引いちゃって、病院の帰り。東条君は? それに、何だかあまり君らしくない服装だね」
 彼はそんな不自然さをものともしない様子で忍の横に並んだ。
「…ちょっと、今日は用事があって」
「ふうん? 僕も一緒に行こうかなぁ。風邪って言っても、大した事無いし。退屈だし」
 相変わらず人懐こい態度だった。
 しかし、ここまで来るとそれが逆に不気味に思えてくる。
「ごめん、急ぐから…」
 適当に当たり障りなく逃げようと思った。
「ああ…そうなんだ。残念。じゃあ、途中まで一緒に行こうよ」
 坂口は坂口で、食い下がってくる。
(どうしよう…)
 適当な場所まで一緒に歩いて、分かれれば良いだろうか。
 咄嗟に用事があると言ったものの、実際には取り立てて用事など無いのだ。
(とにかく、昌弘のマンションへ戻ろう…。何処まで付いてくる気か知らないけど、最悪はマンションの前で分かれれば良い)
 忍は、自分の足を昌弘のマンションの方角へ向けた。
 当たり前の様に坂口がその横に並んだ。
 当たり障り無い会話を交わしながら戻り道を歩く。
「でね、その時先生のポケットから実験用の薬品が割れちゃって  
「へえ…危ないな。と言うか、ポケットに薬品入れてたんだ」
「東条君知らなかったの? あの先生いつもだよ? モノグサなんだよね」
「いや…本当に初耳」
 学校での瑣末な出来事。
 塾の事。
 どれを取っても瑣末な話ばかりだった。
(このクラスメイトが、麻薬…?)
 昌弘の言葉を疑う訳では無いが、こうして当の本人と話していると、どうも現実感が無くなってくる。
 あまりにも非現実的だ。
 しかし、確かに一学期  特進クラスは多数の脱落者を出した。
 しかも、狙った様に上位者ばかり。
 彼らは、ただ脱落したのではなく、忽然と姿を消してしまった。
 あまりにも不自然だ。
(やっぱり、本当…なのかな)
 そんな事を考えながら、歩いていると坂口が突然忍の前に回って、立ち止まった。
「僕はね、何でも持ってる君が、本当は大嫌い」
 それはいつか、忍も千里に言った事のある言葉。
「坂口…?」
 次の瞬間、忍と坂口の隣に、一台の乗用車が停まった。
 何の変哲も無いシルバーの車から、ごく平凡な背広を身に纏った男が一人降りてきた。
 中には運転手、後部座席にもう一人乗っている。
「ご苦労だったな。お前はもうハケていいぞ。これは『サービス』だ」
 そう言うと、背広の男が坂口に、忍も見憶えのあるサプリメントの袋を手渡した。
(と、言う事は…こいつらが、ディーラー…?)
 袋を受け取るなり、坂口は脱兎の様に逃げ出した。
「おい! 坂口!?」
 その背中を追おうとした忍の腕を、背広の男が引き留めた。
「お前はこっちだ」
 否も応も無く、車の中に引きずり込まれる。
「放せ! 何なんだよ!?」
 背広の男が、淡々とした声で答えた。
「ウチの『解体屋』がお前を捜している」
「『解体屋』? 意味が分からない!」
「目的地に着いたら、分かる。お前は、煩いな。少し寝ていてもらった方が良さそうだ」
 そう言うと、男は背広からアトマイザーの小瓶を取り出し、忍の顔に吹き付けた。
「……!?」
 一瞬で、身体が弛緩し、崩れてしまった。
 見えているはずの目の前の景色が歪み、まるで抽象画の様に無軌道な世界へ変貌してゆく。
(…麻薬…いや、麻酔…?)
「後は、『解体屋』本人に訊いてくれ。俺はただのメッセンジャーだ」

(ふざ…ける、な…)

 声が出ない。

 意識が残っているのか、それとも既に無意識の原野に落とされたのか、不自然に歪み続ける視界の中、最後に現れたのはやはりあの赤い夢だった。

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