scene.4

 TVの音が急に大きくなって、昌弘は驚いて我に返った。
「あかん、ぼーっとしてたわ」
 番組の隙間に流れるコマーシャルの音がやたら大きく耳を刺した。
 その音が、いつの間にやら記憶の海を漂っていた昌弘を現実に引き戻した。
 久しぶりに幼馴染みと長話をした所為だろうか、つい昔の事を思い出してしまった。
 今は無い、古い町の記憶だ。
 あの頃、あの時間を共に過ごした人間は、もう、忍以外には誰一人残っていない。
 一番嫌いで、一番懐かしい記憶。
「それにしても身内や言うて、婚約者やと? おかん、土壇場で誤魔化しよったな」
 あまり正直に言うと実力行使で以って抵抗しかねない息子の性格を考えた女将は、昌弘に向かって引き取られていった先の住所や、細かい事情をうやむやに誤魔化していた。
「そら身内には違い無いけど、十分危ない範囲やんけ」
 未だに入浴中らしい忍が戻ってこないので、昌弘はぶつぶつと独り言を話し続けた。
 一人暮らしなどしていると、独り言が増えていけない。
「…ん? そういや今何時や?」
 ふとTVが別の番組に移っている事に気付いた。
「うーわっ! もう一時間以上経っとるやんけ!! 何しとんねん、あいつ!!」
 忍が風呂場に向かった頃にちょうど始まった一時間番組は、とうに終わっている。
 その次の番組も、およそ半分くらい進んでいた。
 昌弘は慌てて浴室に向かった。
「おい、まさか溺れとるんちゃうやろなぁ!?」
 風呂場では忍がシャワーを出しっ放しにしたまま蹲っていた。
「何しとんねん、こら!」
 それを抱き起してやると、彼は力の入らない腕で昌弘の腕を掴んだ。
「…ごめん、ちょっと…たてない……」
 湯を被っているにも関わらず昌弘の腕に触れる忍の指先は冷たかった。
 顔色も、紙の様に真っ白になっている。
「アホやなぁ、お前、ただでさえ酒弱いとこに長風呂なんかしたら一気に回るに決まっとるやんか! 酒呑んどる時はささっと上がってくるもんや!」」
 渋っている相手に勧めた自分も悪いと言う気持ちはあったので、それ程強くは言わないが、それにしても一体一時間半も何をしていたのか。
 昌弘は大きく溜息を吐いた。
「…ごめん……」
 口には謝罪の言葉を上らせているが、この様子ではほとんど無意識だ。
 この様子では、何を言っても明日の朝には憶えていないだろう。
 とにかく早くここから引き摺り出さなければならない。
「よしよし、立てるか? 無理やな。とにかくこれ以上こんなんしてたら今度は風邪引くわ。上がんで?」
 シャワーの栓を止め、忍の身体にバスタオルを掛けた。
「駄目。…動くと、吐きそう…」
「そんなんゆうて自分、震えきとるやん。絶対酔い醒めやぞ、それ」
 頼りなく縋る腕を昌弘は引き上げる。
「……」
 とうとうその腕も力が抜けて、滑り落ちてしまった。
「おいこら!」
 仕方が無いので、バスタオルごと忍を担ぎ上げた。
「う…本当に…やめて…吐く」
 昌弘の肩の上に顎を載せたまま、忍の口からそんな台詞が洩れた。
「そぉなったら、諦めて吐き」
 風呂場に置きっ放しにする訳にはいかないのだから仕方ない。
「…ぃやだ」
「イヤ…て、子供か!」
 さすがにここまで弱いと思っていなかった。
 この状態を前に昌弘も、彼に飲酒を勧めた事をかなり後悔していた。
 バスタオルに巻いたまま、そうっとソファの上に忍を下ろす。
「俯せになんなや? 余計気持ち悪なんで」
 身体の右側を下にして丸くなって、彼は昌弘の言葉に小さく頷いた。
 酔っ払っている上に、湯で上せ、更にその両方が醒めかかってると言う、やや複雑で嫌な状態だ。
「…? 昌弘、何処行くの?」
 玄関に歩を向けた瞬間、不安そうな声が昌弘を呼び止めた。
(そこだけは気付くんかい)
 やれやれだ。
 これだけ朦朧としていても、人が部屋を出る気配だけは、しっかり感じ取っている。
「下のコンビニや。心配せんでもまだ殺しに行かんから安心せぇ」
 冗句に成りきらない一言を残し、昌弘は部屋を出た。

前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++


PAGE TOP▲