scene.3

 幾つかの季節が過ぎた。
 幸也が置屋に飛び込んできた夜から数年、昌弘は八歳、幸也が十歳になっていた。
 この頃には、昌弘はもう漠然とではなく明確に自分の家の稼業を理解していた。
 何故自分には  いや、自分だけではなくこの界隈の多くの子供に『父親』がいないのかと言う事も理解していた。
 そして、近しい歳の子供達が何故すぐに姿を消してしまうのかも理解していた。
 女将である母親は、昌弘と朱美の許にいる幸也とを、その腕一本で守っていた。
 そんな母親の事はもちろん嫌いではなかったが、それでも心の何処かにいつも湿った嫌悪感が付き纏っていた。
 置屋の女達に対しては、もっと露骨にそれを感じていた。

 それ程潔癖ではないはずなのに、子供心に次第に冷めていく  擦り切れていく自分がそこにいた。

 この町に生きる少女達は徐々に格子窓の中に並べられ、少年達はと言えば自力でこの町を出るか、或いはヤクザ者の使い走りになる者や、少女達と同じ様に格子窓の中に並べられる者、臓器として売られる者も珍しく無い。
 その中にいて、幸也は相変わらず空っぽの容れ物のままだった。
 その内側も透明なまま。
 頑なまま。
 中は空洞なのに、入り口の無い容れ物。
 けれど、それだからこそ綺麗なままだった。
 何者にも触れる事が出来ないから誰の手垢も付かない、そこだけが清浄なまま。
 彼の纏うその空気に、昌弘はいつも何処か安寧を憶えていた。
 それは幼かった昌弘にとってとても特別なものだった。
 置屋に新しく売られてくる少女達と幸也の年令が、もうそれ程変わらなくなってきた頃  
 昌弘は、自分が自力でこの町を出ると確信していた。
 自分の事に関しては、その自信があった。
 その為に、勉強は欠かさない。
 学校へは通う事が出来なかったが、平日の昼間は図書館へ通い、読み書きや勘定事をまず覚え、そこそこ漢字が読めるようになると新聞を読むのが日課になった。
 なるべく早くこの町を出ようと決めていた。
 幸也を連れて、出ようと決めていた。
 また、彼が誰かに売られてしまう前に、この町を出ようと決めていた。
 いつの頃からか、幸也は店先の提灯の下に座り、誰かを待つようになったのだ。
 それはきっと、あの夜以来帰ってこない架奈子を待っているのだろうと昌弘は思っていたが、その為に彼自身が売り物と間違われ、買われかけた事が何回もあった。
 しかも、最近になってその回数は頓に増えて来たように思う。
 大概の客は『男の子ですよ』と言うと苦笑して前言を翻すのだが、この処はそれでも引かない客もちらほら出て来ている。
 だから、この町を早く離れなければならない。
 この頃の昌弘は、その為の力を手に入れる為に懸命だった。

  まだ足りない。

 二人で外へ出るには、まだまだ年令も、知識も、力も足りなかった。
 せめて早く大人に見える年令になれれば  
 焦れる様な思いで毎日を過ごしていた。

 そんなある日、ある学生の団体が客として訪れた。
 一人はよく見知った顔で、この辺りで幅を利かせている土建屋の息子だ。
 一代で財を築き上げた、いわゆる成金と言う奴なのだが、金は十分にあるだろうに未だこんな場末の歓楽街へ女を買いに来る。
 五~六人の小団体だが、後の連中は初めて見る顔ばかりだった。
 その中でも一際身なりも見目も良い学生が、いきなりこんな所へ連れてこられた為か、中へ入るのを渋っている様が、昌弘のいる二階の窓から見て取れた。
(あほやなぁ、悪いトモダチにつかまったもんや)
 年令より遥かにマセてしまった置屋の息子は、階下で揉めている集団を酷く白けた気持ちで眺めていた。
 その時は思いもしなかった。
 まさかその一番渋っていた学生が幸也を身請けするなんて。
 当然、昌弘は母親に猛抗議したが、それは当たり前の様に却下された。
 聞くとその学生は相当良い家の息子で、引き取る理由も『身内に似ていて忍びない』と言う、この辺りではとても聞けない様な至極まともなもので、けちのつけようがなかったらしい。
 その上、その客には朱美が付いていたのだが、幸也の養育者である彼女自身が『任せても良い』と承諾してしまった為、更に反対する理由が無くなった。

 そして何よりも、幸也自身が興味を示したのだと  

 そうまで言われてしまっては、最早昌弘が何を言ってもそれは止まらない話だ。
 そこからは坂を転がる様に話は進み、ものの一ヶ月程で幸也は昌弘から遠く離れた所へ連れて行かれてしまった。

 何の力も無いちっぽけな子供でしか無い昌弘に出来たのは、去り際の学生に向かって凄むのが精々だった。
『泣かしたら、殺すぞ』
 後から思えば、何とガキ臭い威勢の張り方をしたのかと自嘲せざるを得ない科白だったが、その気持ちは長い間ずっと変わらずに昌弘の中に在り続けたのも事実だった。
 あれからどれ程の時間が流れたのか。
 濁流に呑まれるが如く、全てが押し流され、変わってしまった。

  全ては、遠い時間の中の出来事なのだ。

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