scene.6

 忍が全てを話し終えるまで、昌弘は黙って大人しく忍の話を聞いていた。
 そして、忍の言葉が途切れた時、ようやく口を開いた。
「事情は分かったけど  ほんなら、自分…どぉするん?」
 先刻の激高とは打って変わった、冷静な声だった。
「どうしようか、考えてるところ。
 しばらくは何とかなるけど、未成年が保証人無しで家借りたり、住所不定で仕事あるかな?」
「そら、住み込みやら寮有りやらどっかあるやろけど。よっぽどやなかったら住民票出せまでは言われへんやろし、住所くらいはごまかせるやろけど  
 そやなくて、ええんか? それで。
 何か、スッキリせんやないか」
 やっと振り向いた昌弘は、話の座りが悪いとでも言いたげに顔を顰めた。
「わからない」
 忍は、力無く首を横に振った。
 正直、たった一人でやっていける自信も無い。
「…まぁええわ。二、三日泊まってきぃや。ほんでゆっくり考え」
「ありがとう。…悪いな、突然」
「お前と俺の仲やしな。今更や。…そやけど、お前から飛び出してきたやんやなぁ。意外やわ」
「え? そうかな」
「幸也って、自分から行動起こさんやん? 常に受け身っちゅうか…俺は石橋が吊り橋でも渡るけど、お前は石橋があっても叩きすらせんやろ。誰かが手でも引っ張って連れてかんと動かへんし。せやけど、逆に強引に引っ張られたら落ちると分かっとる様な橋でも一緒に渡ってまうみたいなとこあるやん」
 随分と冷静な分析をされ、忍は少し驚いた。
「つまり、お前にとってはどうでも良くなかったんやなぁ、あの学生が」
 昌弘は志月を『学生』と表現した。
 二人の前に彼が現れた時、彼が大学生だったからだ。
「そうなのかな」
「そうなんやろ? だって、お前が受け身でおられんかってんし」
 自分自身の事にさえ無関心だったはずの忍が、彼が離れる事を受容出来なかったのだから、そこには執着があったのだ。
 昌弘はそう言った。
「お前、あの日  俺んちに転がり込んで来よった日から、ずっと受け身やったで。全部諦めたみたいやった」
 少し寂しそうに昌弘が呟いた。
「それやのに、あの学生の事は諦めきらんかったんやな…」
 そして、僅かに悔しさを滲ませた声が後を追う。
「諦め切れない? 俺が?」
 忍は、昌弘の言った意味が分からなかった。
「分からんか? お前、初めて誰かを一人占めしたなったんや。一緒に死んだろと思うくらい  
 真直ぐ忍の目を見据えて、幼馴染みは話を続けた。
「だから、アイツんとこから金だけ貰ても納得いかんねやろ? それくらいなら出て行ったると思たんやろ?」
 懐かしい言葉遣いが忍の耳にやたら優しく、心の中で縺れあっている無数の糸を、ゆっくり解きほぐす様に響いていた。
「正直、悔しいわ。お前がそんなんになるんが、俺の事ちゃうのが」
 昌弘の両手が柔らかく忍の頬を包んだ。
 普段は鋭く尖った眼光が、随分柔らかく穏やかな色になる。
「昌弘?」
 不思議な感覚だった。
 懐かしい様な。
 少し、切ない様な  
「まぁ、何やな。俺にとったら兄弟みたいなもんやったし、子供のヤキモチや」
 苦笑して、昌弘は忍の頬から手を離した。
「お互い唯一の友達やったし?」
 更にそう言葉を繋ぐ。
「あ…うん」
 それは本当だ。
 忍と昌弘は、お互い以外に同じ年代の子供をほとんど知らなかった。
 幼い頃の忍  幸也は、いつも昌弘に手を引かれ、二人はいつも一緒だった。
 近所の悪童達も昌弘には一目置いていたので、その庇護下にいた幸也も、自然と守られる形になっていた。
 くるくる廻る、輪郭のぼやけた想い出達。
「さぁ、もうぼちぼち寝る準備せないかんな」
 そう言うと、彼は唐突にソファの背凭れを手前に強く引いた。
 カチっという音がして、それは後ろへ倒れた。
「わっ!」
 まさに『長い座椅子』だったらしく、忍が背中を預けていた背凭れが後ろへ倒れ、忍自身もまた、それと一緒に後ろへ倒れた。
 それと同時に、記憶の灯篭も遠く流され、急速に現実に引き戻された。
「あっ、悪い。コケてもたな」
 言葉では謝りながら、昌弘の顔は面白そうに笑っている。
 わざと驚かせて揶揄ったようだ。
「まさか、これが寝る場所なのか!?」
 慌てて身体を起こし、昌弘に訊ねた。
「そやで。俺、この部屋越して来た時、これしか持ち込んでへんし」
 そう答えた昌弘は、もう普段の彼だった。
 幼馴染ではない、無愛想な級友の顔に戻っていた。
「あ…そう…」
 他に布団の様なものも無さそうな室内を、ぐるりと見回してみる。
 部屋は全てフローリング。
 寝具類は一切見当たらない。
(ここに二人寝たら狭いよな…)
 シングルベッドより少し幅が広い程度のソファベッド。
 高校生の男子が二人肩を並べて寝るには、かなり手狭な様に感じた。
(これは、やっぱり俺が床で寝た方が良いんだろうな…。でないと、あまりにも狭いよな)
 突然転がり込んで来た居候の為に、寝床まで狭くなるのはどうかと思う  忍はそう思った。
「そういやお前、風呂どーすんねん? 使うんやったら使いや、溜めたいんやったら湯溜めても構へんで」
「あ、じゃあ借りようかな。汗かいたし、埃っぽいし  
 正直有難いと思った。
 一日中うろうろしていて、自分でもこのまま寝るのは気持ち悪いと思っていたからだ。
「ほな、身体洗うタオルは中にあるのをテキトーに使こたらええわ。バスタオルはこれな  後、着替えは…俺は寝間着て持ってへんから、その辺のシャツでええか? それとも下の売店で買ぉてくるんやったらそんでもええし」
 忍に向かってバスタオルが投げ渡された。
「あ、ありがと。じゃあ今晩だけ借してもらうよ。もう外出るの面倒だし」
「ほな、これでも着とき」
 忍の言葉に応えて、昌弘は更にTシャツとハーフパンツを投げた。
「それじゃ、お先」
 一声掛けて、忍は浴室に向かった。
「おぅ」
 リビングを出る直前、忍はちらと後ろを振り返った。
 昌弘はうつ伏せに寝転び、その姿勢のままグラスを持っている。
 テレビの電源の入る音がした。
 忍の背後から、深夜の下らないお笑い番組の声が聴こえる。
(そう、か  もう…夜中なんだ)
 脱衣籠に制服を畳んで重ねた。

 リビングを離れ一人になった途端、急に周囲の静けさが身体に染み込んで来た。

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