scene.5

「それはまぁええとして、  で? お前何で今日、こんな時間まで繁華街ウロついとったんや?」
 いきなり話題を自分の方へ向けられたので、忍は咄嗟に良い口実を作る事が出来なかった。
 そもそも、忍は嘘を吐く事自体が得意ではない。
「あ…まぁ、ちょっと…色々…」
「色々て  どぉ見ても家出やんけ。何か嫌な事でもあったんか?」
「嫌な事って言うか…」
 まだ、何が起こっているのか忍自身にも把握しきれていなかった。
 勢いで飛び出してきたものの、何から何までちぐはぐで、訳が分からない。
「まぁ、とりあえず言うてみたら? 人に話しとるうちに、アタマん中整理できるっちゅー事もあるで?」
 昌弘に軽い口調で促され、深刻にされるよりも、忍の口は滑り易くなった。
「帰れなく  なってしまって」
 ぽつんと、言った。
「何やて?」
 昌弘が怪訝な顔で問い返してくる。
「暇を、出された。…と言うか、出されかけて  飛び出してきた」
 使用人ではないのだから、『暇を出される』と言う言い回しはあまり適当ではないが、今日現れた弁護士の話を思い出してみると、お手付きになった女中を追い出そうとしてる様な場面が、何となく思い浮かぶのだ。
 あれから半日が過ぎたが、憤りは未だ冷めていなかった。
 身体の中心から抉られた様な痛み  そして、腹の底から込み上がってくる、灼ける様な何か。依然、そんなものが腹の中で煮えていた。
「今の話…、もっとちゃんと話せや」
 険を帯びた昌弘の声が、忍を真っ直ぐに刺した。
「え…あ…」
 気圧され、忍は言葉に詰まった。
「何でお前が追い出されなアカンねや。アイツが強引に連れてったんやないか!」
 自分の事でもないのに憤慨する昌弘を見て、忍は苦笑した。
「あの頃とは、状況が変わったんだ」
 忍のその言葉に、昌弘がものすごい勢いで立ち上がった。
「あ…んの、大嘘吐き野郎!!」
 そのまま忍すら顧みず、大股で派手に足を鳴らせながら玄関に向かっていく。
「ちょ、ちょっと! 何処行くんだよ!?」
 昌弘が示した予想外の反応に、忍は驚いた。
 慌てて、彼を止めるべく後を追い、その腕を掴む。
「離さんかい! 決まっとるやろ、あの男殺しに行くんや!!」
 そう言った昌弘の足が、既に靴に収まっている。
「待てよ! 待てって!!」
 忍は、掴んでいた昌弘の腕を強く引っ張った。
「離せや!」
 忍にとっては精一杯の力だったが、更に強い力で昌弘がそれを振り払った。
 力負けした忍は、体勢が崩れて尻餅をついてしまった。
 昌弘が、一瞬「しまった」という顔をしたが、その手はもう玄関の鍵に触れていた。
「俺の話を聞いてからにしろよ」
 立ち上がり、再度忍は昌弘を捕まえた。
 今度は掴むのではなく、相手の腕にしがみついて止めた。
 腕だけなら払われても、身体ごととなると容易には払えないだろう。
 今、このまま外へ出したら本当に人でも殺してきそうな、そんな剣幕だった。
 どす黒い殺気が、昌弘の身体を覆っている。
「とりあえず落ち着いて。ちゃんと、順番に話すから」
 なだめる様にゆっくりと、忍は言った。
「……」
 不承不承の態で、とりあえず昌弘は部屋の中へ戻った。
「しゃあないから、話だけは聞いたるわ」
 三本目の缶ビールを手に持って、昌弘はフローリングの床にどかっと腰を下ろした。
 忍もその向かい側に腰を下ろし、自分のグラスを手に取り、一口飲む。
 そして、呼吸を整え話し始めた。
「俺が引き取られた経緯は、もういいだろ?」
 女将なり朱実なりが説明しているだろうという事で、そこは省略。
「まぁ…大まかやけどな。誰かに似てるから、っちゅーくらいは、聞いとる」
「うん。
 それで  去年、志月は火事に遭って記憶の一部を失くしてしまったんだ。丁度十年分くらい。だから、俺の事はまるで憶えてないんだよ。…状況が変わったって言うのは、そういう事なんだ」
 忍は苦笑した。
「やからって  
「それに!」
 忍は、昌弘の言葉を切った。
「それに  俺なんだ。火を着けたのは。俺が、火をつけたんだよ」
 今の状況は、忍自身が作り出したものだった。
 その事にはさすがに昌弘も驚いたらしく、次なる反応が返ってくるまでに少々時間を要した。
「…お前が?」
 意外そうに問い返す昌弘に、忍は黙って頷いた。
「何でまた、そんなん…」
「悪い夢を、終わらせられると、思った」
 無限に捩れてゆく時間を、断ち切れると、思った。  あの時は。
 けれどそれは、新たな捩れを生んだ。
 そして、捻切れた時間と共に、忍は正常に流れ始めた時間軸からはみ出してしまった。
「ユメクイになり損なっちゃったかな…」
 志月の暗闇を払おうとして、反対に呑み込まれてしまった。
 業火に焼かれた悪夢は、その羽根を広げ、忍自身に覆い被さってきた。
 何もかもは、報いなのだ。
 だから、本来なら、誰をも責める資格など持ち合わせてはいない。
 自分で仕掛けた大きな賭けに負けただけなのだから。

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