夏 空
scene.1
一夜明けて、忍はいつもの様に家を出た。
普通に登校し、決められた席に座る。
心の中がザラついて、その渇きを抑える事が出来ない。
それでも決められた日常を繰り返す。
現実から剥離した心を持て余しながら。
忍は大きく息を吐いて一時限目の教科書を机の上で揃えた。
「おす。 何だ、体調悪いのか?」
顔を見るなり不動が言った。
心なしか、いつもの彼よりやわらかい口調だった。
「いや、そんな事は…」
そんなに酷い顔色をしていたのだろうか。
この傍若無人な不動に、気を遣わせる程。
「そうかぁ? いつもより青白ぇぞ、お前」
忍の答えに納得できなかったらしく、彼は尚、怪訝な顔で睨めつけて来る。
(いや、多分不動としては睨んでるつもりは無いんだろうなぁ…)
「寝不足したからだよ、きっと」
力無く笑って、忍は納得してもらえそうな答えを探した。
「あんまガリ勉してもしょーがねーぞ、ホドホドにな」
何となく納得してもらえたらしく、ようやく不動は自分の席に腰掛けた。
(なんだよ、いいとこあるんじゃないか)
普段の態度が態度なので、こんな程度の言葉でさえ随分見直してしまう。
人の都合はお構いなしの、にこりともしない無愛想な転校生。
ちらりとその横顔を覗き見ると、普段は眼鏡のレンズに遮られている彼の目が、素の状態で見えた。
(どこかで見た事あるんだよな どこだろう?)
それは、彼に初めて会った時からずっと感じていた既視感。
(どこだっけ…)
忍は意識的に昨日の出来事を頭の隅に追いやる為に、不動の事に意識を集中させた。
(目付きが悪くて、ぶっきらぼうで、えーと…)
こんな良家のご令息が多く集まる様な学校には、全く縁の無さそうな人物。
「あ!! 分かった!!」
ある場面を思い出した時、忍は思わず声に出してしまった。
教室は、本鈴が鳴る少し前。
静まり返った室内に忍の声が響いた。
顔を上げると、予習に余念の無い級友達の注視が忍に集まっていた。
「 んだよ、そんな声に出して喜ぶほどムズカシイ問題解いてたのか?」
さすがにこれは恥ずかしい、と感じていた処に、不動が隣の席から飄々とした声で話し掛けてきた。
「あ、うん まあ…」
曖昧に返事を返しながら、不動のこの突っ込みは正直助かったと思った。
その遣り取りを見た級友達は、納得した様にまた参考書に目を戻していった。
彼の一言が無かったら、忍は彼らの注視に対して何一つ対応できなかった事だろう。
そして、改めて不動に目線を遣った。
彼と、何処で出会ったのか思い出したのだ。
退院して川島家に移った初日、F駅の駅ビルデパートでぶつかった少年 それが不動だったのだ。
(そうだ。あの時の奴だったんだ。 すごい偶然だな。もっとも、不動の方は全然憶えてないだろうな。
でも、あの時の不動はもっと年上に見えたけど…。
とても高校生には見えなかった )
改めてまじまじと不動の顔を見る。
(あの時は、もっと派手な格好で、髪の色も違っていたから気付かなかったんだ)
アッシュベージュの髪に、ピンクの花柄のシャツなど羽織っていた気がする。
(そりゃ、思い出せないよな)
今横の席に座っているのは、黒髪に近い焦げ茶の髪と、模範的に制服を着こなしている城聖の生徒。
ご丁寧に眼鏡まで掛けている。
(でも、そうか…。ずっと感じてた違和感、あの時の印象の所為だったんだ)
不動の顔で受けた第一印象が派手だったから それが意識の何処かに残っていたから、城聖の生徒らしからぬ雰囲気だと感じたのだ。
「なーんだよ、俺の顔に何かついてっか?」
視線に気付いて、不動が居心地悪そうにそれを払った。
「あ、ごめん」
その瞬間本鈴が鳴り、担任が教室に入ってきた。
「起立、礼!」
日直が号令を掛けた。
「朝の会の前に 東条、来客だぞ。すぐに来賓室に行きなさい」
担任が忍に声を掛けた。
「え?」
「来客だ」
ぽかんとしている忍に、担任はもう一度繰り返した。
「あ、はい。すぐ行きます!」
慌てて席を立ち、忍は校長室の隣にある来賓室に向かった。