scene.3

(……?)
 目蓋を鋭い陽光に射されて、志月は目を開いた。
 そして、その時初めて気付く。
(何時の間にか、寝てたのか…)
 どうやら、考え事をしたまま転寝していたらしい。
 覚醒している状態と同じ景色を、夢の中でも見ていた。
 そして、途切れる事無く考え事も続けていた。
 志月はとても奇妙な感覚に冒される。
 夢と現実が入り混じった様な、錯覚。
(目が覚めても同じ景色と言うのは、おかしな感じだ)
 そして陽光を避けようと首を窓の反対側に向けた。
 すると、何時の間に来ていたのか、忍がそこに座っていた。
 彼は、もう五月も終わろうかと言うこの季節に、まだ冬服のブレザーを着込んでいる。 その上、ご丁寧にブラウスの釦を首まできっちり留めていた。
 志月が目覚めている事に気付かないまま、彼は俯いて本を読んでいた。
 余程読書に集中しているのか、彼は微動だにしない。
 最小限の小さな動きで薄い紙を捲り、また目だけが活字を追いかける。
 南向きの窓から射し込む柔らかな午後の陽射しが、俯き加減に本を読んでいる忍の姿を優しく浮かび上がらせていた。
 忍の纏う、極端に露出を嫌った制服が、聖職者の様だと思った。、
 その光景は、とてもストイックな印象を志月に与えた。
(まるで告解を待つ神父の様だ)
 志月は眩しげに目を細め、その姿を眺めていた。
 忍という存在は、非常に現実感が薄かった。
 それどころか存在感すら希薄で、ともすれば見落してしまいそうな程、いつもひっそりとしていた。
 まるで、わざと気配を殺している様にも感じる。
 その不可思議な空気感を、志月は、神秘的だと感じていた。
  眩しい?」
 志月の様子に気づいた忍が、言うと同時に立ち上がる。
「目が覚めていたのなら、声を掛けてくれれば良かったのに」
 忍が、呆れた様に笑った。
 そして、窓際の力ーテンを引く為に寝台の上に身を乗り出す。
「集中して本を読んでいたから、中断させたら悪いかと思って」
 本当は、そんな事を考えていた訳ではない。
 つい見惚れていただけだ。
 そんな事は告げず、もっともらしい理由を付けて誤魔化した。
「そうだったんだ。
 ごめん。つい、本を読むのに夢中になっちゃって…」
 一瞬申し訳無さそうにして、目を伏せた。
 その顔が、普段受けるどこか大人びた雰囲気とは違い、随分幼く感じる。
 こうして表情が生まれると、先刻まで感じていた様な神秘性は失われた。
 その代わりに、冷たい印象を抱かせる程整った彼の顔に隙が生じ、庇護すべき存在なのだという実感が湧いてくる。
 志月はそのギャップと、くすぐったい様な感覚が嫌いではなかった。
 その顔が見たくて、わざと動揺させるような事をしばしば言った。
 揶揄ったりもした。
 勿論、彼に対しては本心から好意を持っている。
 それは、中々素直に受け取って貰えないが。
「意外と、遠いな…」
 精一杯身体を伸ばして、忍が呟いた。
 それなりの背丈がある忍にも、窓は少し遠いらしい。
「ちょっと、ごめん」
 一言断って、忍が寝台に片膝を掛けた。
 志月の脇の横に手を衝いて、志月の上に被さる様に、更に身体を大きく伸ばした。
 カーテンを引くくらい、本当は自分ですれば良い。そんな事は分かっているのだ。
 ただ、忍の懸命な様子が可愛いと思った。
 だから、敢えて止めない。
 
 忍の身体が志月の上を覆っているうちは、動く訳にもいかない。
 志月は、目線だけを忍の顔の方へ動かす。
 不意に、僅かに露出した首筋が志月の目線に入った。
 日焼けしない性質なのか、それはとても白い。
 だから、口唇の朱さが余計際立った。
 そこへ、対照的に黒い髪が頬や首筋にぱらりと落ちる。
 くっきりと浮かぶコントラストに、胸を衝かれた。

 目の中で、何かがフラッシュバックした。
 ちらつく、断片的な映像。
 像を結ぶ事無く四散する記憶の欠片。

 志月の身体を、強い風が捲いた。

「あ、届いた」
 やっとの事で、忍の手がカーテンを掴んだ。
 その瞬間志月は、自分の脇の横に衝かれたままの、忍の左腕を強く引いた。
 支柱を倒され、彼の身体はあっさり崩れる。
 派手な音を立てて、カーテンがレールから外れた。
 二人の頭上から、静かにそれは落ちてくる。
 掴んだ腕を、更に強く引き上げた。
 カーテンに閉じられた小さな空間で、二人の身体がこれまでに無く接近する。
「志月?」
 驚いた顔で忍が志月の顔を見上げた。驚きが過ぎたのか、身動き出来ないでいる。
 その無防備な彼の頬を両手で押さえて、掠める様なキスをした。
 掌の中の肌は、いやに冷たかった。
 白いカーテンの中に、柔らかい日が差している。
 同じくらい白い忍の頬にも、午後の陽射しが色を添えた。
 そこは、白い密室だった。

  愛しい、と感じた。

 志月の顔を呆然と見ている忍。
 完全に思考停止状態だ。
 先日、何の他意も無く顔を近づけた時も、引き攣った顔で後ずさっていた。
 今日は、そんな余裕すら無かったらしい。
 真っ白になったその顔に、志月もさすがに我に返った。
「…悪い」
 戒めていた手を離し、謝った。
 怖がらせたと思ったからだ。
「……」
 忍の白い頬が紅潮し、耳まで朱に染まった。
 そのまま彼は、カーテンを引き摺ってずるずると寝台から滑り落ちていく。
「おい!?」
 慌ててその身体を引き留めようとしたが、間に合わなかった。
 白いカーテンに包まったまま、忍が床に蹲った。
 その布をそっと引っ張ってみる。
 中で、忍が固く掴んでいるらしく、それは容易に剥がれなかった。
「悪かった。…驚かせた」
 もう一度、声を掛けた。
 彼は、沈黙して応えない。
 白い貝の様に、丸くなって動かない。
「ごめん」
 もう一度、謝った。
 暫くして、忍が嗄れた声で小さく呟いた。
「…また  揶揄ってるの?」
 力の無い声だった。
「え…」
 揶揄ったつもりは、無い。
 しかし、深く考えて取った行動でもなかった。
 それは本当に衝動的なものだったのだ。
 志月にも分からない程。
 志月が忍に抱いている感情は、複数の感情が入り混じったものだ。
 庇護すべき存在へ向ける、保護欲。
 新雪に足跡を付けるがの如き、昏い衝動。
 喪失する事への、焦燥。
 そして、独占欲。
 様々な感情が志月の中で交錯していた。
 忍の声に、志月は答えられなかった。
 言葉を、失くしてしまった。
 気が遠くなる程の、長い沈黙。
「今日は、もう…帰るよ」
 そう言って、忍が立ち上った。カーテンが床に落ちる。
 驚かせ、怖がらせた。怒ったに違いない。
 そう思うと、何も言えなくなった。
 繕った笑顔を僅かに覗かせて、忍は静かに病室を出て行った。

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