scene.3
始業式が終わり、今年度の教材が配られ、本日の予定は終了となった。
二人の教師が解散を告げ、教室を去った後、右隣の転校生は立ち上がりかけた忍をすかさず呼び止めた。
「おい、学校案内してくれんだろ?」
「え…!? 本気だったの!?」
不動は呆れるくらいマイペースで強引だった。
「さっき頼んだだろうが」
(え、でも俺引き受けてない…)
確かに断りもしなかったけれども。
「とりあえず、昼飯だな。学食から頼むわ」
腕時計を確認して、不動が言った。
「はあ!?」
「 たったかしろよ! 昼くらい礼代わりに奢ってやっから!」
にこりともしないぶっきらぼうな転校生は、忍の腕を引き上げ、出口へと導いた。
(何だ、こいつ!?)
呆気に取られて言葉も出ない。
忍は訳が分からないまま引き摺られて教室を出て行く。
(俺は、人の都合を全く聞かない強引な人間が集まってくるように出来てるのか!?)
不動は知りもしない校舎の階段をずんずん下りていく。
「え、と…不動! どこまで下りるんだよ!?」
もともと教室は三階だったのだが、不動は一気に一階まで下りようとしている。
「分かんねぇ。だから、たったか案内しろって!」
焦れて不動は声を荒げた。
(あ…れ? この感じ、憶え…ある )
忍の脳裏を既視感が掠める。
(何処だったかな…)
忍は首を捻った。
「早くしろって! とれぇな、お前」
「ああ、ごめん。 学食はこっちだよ。二階の中廊下から第一校舎に抜けて、体育館に出た方が近いんだ」
身振りを付けて方向を指し示し、歩き出す。
「おう」
転校生は、今度は大人しく忍の後ろを歩き始めた。
始業式の学食なんて、部活動でも無い限り誰も利用しない。
ガラガラでほぼ貸切状態の食堂の、一番端っこに二人は腰を下ろした。
さすがにこれだけ空いていると食券を渡したらすぐに料理と交換してもらえたので、もう眼前には料理が並んでいる。
それをものすごい速さで不動は掻き込んだ。
「よし、食った! さて、東条だっけ? 行くぞ」
空になった食器類を手に不動は立ち上がった。
はっきり言って、忍はまだ食事が七割くらいしか終っていない。
「え? ちょ、ちょっと待てよ。俺まだ食べてるよ」
「ん? ああ、そっか。 悪ィ、全然目に入ってなかった」
言われてやっと気付いたらしい。
その後は静かに忍が食事を終えるのを待ち、食器を返却棚に戻すまでは何も言ってこなかった。
忙しない昼食を終え、忍は不動に校内を案内すべく正門へ出た。
「とりあえず、正門から順に行こう。 まず、正門から見えてるこれが第一校舎。一階と三階が一年生の教室。正門前から二階に向かって伸びているスロープが、来客用出入り口。これはさっき通った中廊下に繋がっているんだ」
忍は正門の横の芝生に座り込み、木の枝を一本拾う。
そして、僅か見えている土の部分に校舎の見取り図を描き始めた。
この広い校内を足で案内するのは骨だと思い、正門を起点に図で説明しようと考えた。
「ここが正門として…一年生の教室がある第一校舎…二年生の教室がある第二校舎…三年生の教室がある第三校舎…その真ん中を縦に繋いでるのが、中廊下…つまり 俯瞰して見ると、横に長い『王』の字みたいになってるんだ。これが本館」
横長の長方形を3個と縦長の長方形1個を「王」の字に並べて描いた。
「お前、絵上手いな」
「そう?」
「ああ。 で?」
「教室は三階にA組からF組まで、そして一階にG組からL組まで。二階は教科室や、職員室、校長室なんかが入ってる。 それで…」
忍は、「王」の字の左横に大きな正方形を一つ、その上にその三分の二の大きさの正方形を描いた。
「第一校舎と繋がってるのが、さっき通った第一別館で 一階が学生食堂、二階が体育館、三階が体育倉庫と体育科室」
「なるほどな、こりゃ確かに一度下まで下りるより二階で中廊下から渡った方が早いわ」
不動が感心した様に頷いた。
「そして、第一別館の上にあるのが第二別館。一階が美術室、二階が書道室、三階が図書室になってるんだ」
そして今度は「王」の字の真上の中央に小さな正方形を描いた。
「これは?」
「これは生徒会室。それから…」
更に「王」の字の上右端に、縦長の長方形が描かれた。
「これが第三別館。地学実験室や、視聴覚室がある。で、反対の端っこがクラブハウス棟。そして本館の上の、第三別館とクラブハウス棟に囲まれた部分が中庭で、クラブハウス棟の左隣がグラウンド。ここにテニスコートとかの、各球技のコートもあるよ」
そして、中庭の上に大きな横長の長方形を描き足す。
「これが第四別館 通称、音楽棟。この学校が音楽や美術の学校としても有名なのは知ってる?」
「まぁ、一応一通りは聞いたな、今の今まで忘れてたけど」
「第四別館の一階は音楽堂を兼ねた講堂。パイプオルガンも入ってるから、一度見に行ってみると良いよ。ここは二階…三階は各楽器のレッスン室になってる。俺たち特進クラスとか普通科クラスの人間にはほとんど用の無い校舎かな これで大体終わり。後は敷地の左端の方に各武道の道場や、室内プールがあるくらい」
そう言って忍は、第二別館の左上に細かい四角形をいくつか描き足した。
「こうやって見取り図にすると広い学校だな、都内の割りに」
不動はまじまじと土の上に描かれた見取り図を見詰めている。
「そうかな。 とにかく一通り案内したから、もう帰って良い?」
忍は枝を芝生に戻し、すっと立ち上がった。
「何だ、足では案内してくんねぇの?」
不服そうに不動は忍の顔を見上げた。
「……。今日は、この後行く所があるから 明日の昼休みで良ければ案内するよ」
「ま、しゃーねぇなぁ。じゃあ、それでマケといてやる」
不動も立ち上がり、ニッと笑った。
態度の大きいのもここまで来れば結構笑えるなと、忍は思った。
「あ、ヤベ。目に睫毛入りやがった」
その時不意に、不動は眼鏡を外し左目に手を遣った。
左目を弄りながら二…三度瞬きした。
やはり、何処かで会った事がある。
眼鏡を外した顔を見て、改めてそう思った。
(何処だろう…。もうちょっとで思い出しそうなんだけど)
「お、取れた。 あん? 何してんだ、用事あんだろ? 早く帰れよ」
眼鏡を掛け直し、不動は素っ気無く忍を送った。
「あ、うん じゃあ…」
不動をその場に残し、何となく拍子抜けのした様な釈然としない様な気分で、忍は学校を後にした。