新学期

scene.1

 四月八日  いよいよ今日から二年生だ。
 新しい制服もどうにか間に合い、無事始業式を迎える事が出来た。
 今、忍の生活費や学費などは、志月の個人財産を佳月が専門家に委託して運用している、その利益から出ていた。
 忍はこれを機に、少なくともアルバイトくらいは始めようと考えていた。
 目星は付けているのだ。
 学校から徒歩三分、喫茶『アナベル=リー』。
 千里や北尾が気に入って入り浸っている店だ。
(ハッキリ時間の配分が把握できてきたら、一度訊ねてみよう)
 マスターとは忍自身も顔見知りになっていて、人を雇うかどうか迷い中だと聞いている。
「おっはよーっ!」
 校門の前に立った時、後ろから高いトーンの弾む様な声が聞こえた。
「おはよう、千里」
「携帯使ってる?」
 春休み中に、誕生日プレゼントの名目で千里に持たされた携帯の事だった。
「使ってるよ、ありがとう」
「そう、良かった!」
 そうは言っても忍は、もともとあまり自分から電話を掛ける性質ではないので、ほとんど受信用でしかない。
 しかし受信用としてはなかなかよく働いていた。
 何せ、千里からはしゅっちゅうメールが入るし、志月に至っては三日に一回は電話を掛けてくる。
(結構まめに病院行ってるつもりなのにな)
 あれ以来、病院までの道程も憶えたので、週に二日は志月の許へ通っていた。
 ただし、初回の経験を活かして泊まる事だけは避けている。
 不思議なもので、会いに行ったその日の夜程、彼は電話を掛けてきた。
(昼間会ってるのに、おかしいよなぁ…)
「よう!」
 背後から肩を叩かれ、びっくりして後ろを振り返ると、北尾智史が立っていた。
 千里も忍と鏡対照に全く同じリアクションをしているので、同じ様に反対の肩を叩かれたのだろう。
「おはよう、北尾さん!!」
「おはようございます」
「元気にしてたか? 春休み中全然遊べなかったなぁ」
 長身で大柄な彼は、それとは対照的にとても穏やかな性質で、ピレニーの様な大型犬を思わせる風貌だ。
「遊べなかった  って、北尾さんがとっとと旅行に行っちゃったんじゃん!!」
 そう、北尾は春休み中ずっと、雪の残る北海道に春スキーに行きっぱなしだったのだ。
「いやー、最初は一週間くらいで帰るつもりだったんだけど…ほら、親戚んちのペンションに泊まるっつったじゃん、そしたら来るはずのバイトが来なくてさ。それで帰るに帰れなくなっちゃって  
 つまり、その来なかったバイトの代わりに働かされていたらしい。
(相変わらずお人好しと言うか何と言うか  
「もー、遊びに行ってまでコキ使われてどーすんの!? 人が好いにも程があるよ!!」
 忍が心の中で呟いた内容に、更に一言付け加えて千里が言い放った。
「いーんだよっ! 遊びに行って小遣いまでもらったんだと思えば!!」
「…先輩、強引に『働かされた』と言う事実を端折りましたね…」
「東条までそういうこと言うか!?」
 北尾は冗談で作った拳を振り上げ、生意気な二人の後輩を追いかけた。
「待てコラ!!」
「あっははは! 冗談じゃん!!」
 千里が振り下ろされた拳骨をひょいと避ける。
「あ、俺のは冗談じゃないです。気を付けた方が良いですよ、その遣われ易い性格」
 二人の横でその遣り取りを見ていた忍が、さらりと言った。
「お前、相変わらず口悪いなぁ!」
 もう怒る気も起きない  そんな表情で北尾が溜息を吐いた。

 それは何処にでもある朝の登校風景で、ごく平凡な一場面だった。

 新学期  今日から忍は二年生になる。
 一見、昨年度と変わりない様な一日の始まりだが、今日から千里は本格的に音楽科の特別講習に参加する。北尾は三年生  受験生となり、進学の準備がますます忙しくなる。

  自分は?

 忍はまだ、何になりたいとか何をしたいとか、そんな事を考える余裕を持つ事が出来ていなかった。
 弓香の言う様に、忍はとても受動的な人間だ。
 確かにその意味では背尾篠舞とは正反対の性格なのかもしれない。
 自らの処遇を他人に委ねている事に疑問を感じない。
 自分自身が歩く道を決める事に躊躇いを感じる。
 思えば忍は、子供の頃から自分の事を自分で決めた事が無かった。
 ここに来て初めて  それも突然、何もかも自分で決めなければならなくなったのだ。

(どう…したいんだろう  

 不透明な未来に選択を迫られる。
 そんな、誰もが当たり前の様にしてきた事が、忍にはとても難しい。

 とりあえず今日、教室で手始めに進路希望票を書かされる事だけは、確定している。
 そこに書くべきすらも、未だ決まっていない。

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