scene.4

 終点  療養所の前で二人はバスを降りた。
 ここまでバスに乗っていたのは、さすがに自分達だけだった。
 ホテルの様なエントランスにロビー、そしてフロントの様な受付。
 忍は開いた口が塞がらないと言った気持ちで、周囲を見渡した。
 これがまたベルボーイの様な看護師に案内され、二人はエレベーターに乗り込んだ。
 五階建ての建物の五階に、志月の病室はあった。
 今、五階に入院しているのは彼一人らしい。
 502号室が、彼の病室だった。
 ドアの前まで案内すると、看護師はそのままナースステーションへ戻っていった。
 宏幸がノックと共に勢いよくドアを開けた。
「よぅっ、元気か?」
 元気ではない人間が入るのが病院なのだが、そこは気にしてはいけないのだろうか。
 しかし、答える方もまるでその辺りはスルーして返してきた。
「まあまあ元気だけど、退屈だな」
 聞き憶えのある声だ。
 忍はドアの前から動けずにいた。
「今日、連れて来てるんだ」
 中で、宏幸が志月にそう言っているのが聞こえた。
 当然、忍の事だろう。
 一瞬、心臓が大きく跳ねた。
「何だ、外にいるのか?   入ってこいよ」
 弾む様な声が聞こえた。
 それは確かに志月の声だった。
 しかし、そのトーンは耳慣れない陽気さを含んでいる。
 躊躇いながら忍が病室に足を踏み入れると、志月が笑顔でそれを迎え入れた。
「遠いところを、ありがとう。  入院なんかしてると退屈で仕方ないんだ。人が来てくれるのは嬉しい」
 それは屈託の無い笑顔だった。
 同じ顔なのに、まるで別人を見ている様だ。
 忍は、一瞬で宏幸の言った意味を理解した。
「こん…にち、は」
 寝台の横まで足を進めて、戸惑ったまま挨拶をした。
「初めまして  あ、そうか。初めましてじゃないのか」
 志月は肩を竦め、自らの言葉を訂正した。
「忍だっけ?   久しぶり、かな。改めてよろしく」
 迷い無く差し出された右手を、忍は躊躇いながら握った。
 人より少し温度の高い掌。
 それだけは。以前のままだった。
「退院したら、俺の話を聞かせてくれよ。何せ、昨日まで春休みだったのに目が覚めたら十年も経ってて参ってるんだ」
 さほど困った様子でもなく、彼は言った。
「あ…はい」
 忍は困惑していた。
 あらゆる方向で想像が裏切られたからだ。
(これは…俺、どうしたら良いんだろう…)
 まさか、真正面から受け入れ態勢で来るとは思わなかったし、宏幸が言う「そもそもの東条志月」がこういう人物だとは想像出来なかった。
「そんな角張らないで…とりあえずそこに座るといい。  宏幸もな」
 そう言って、彼は来客用のソファを指し示した。
「じゃ、遠慮なく」
 宏幸は手近な来客用の椅子に、すっと腰を下ろした。
「お前が遠慮した事なんかないだろ」
 呆れ口調で志月が言った。
「そうだっけ? そりゃ知らなかった」
 悪びれず、宏幸が笑う。
「まあ良いか。忍も座ればいいよ」
 志月は、再度忍に腰を下ろす様に促した。
「あ、はい」
 そこでやっと忍は椅子に腰掛けた。
 今まで敬語で話した事など無かったが、思わず口から出てきたのは敬語だった。
「そう言えば、勝手に呼んでるけど…呼び方は『忍』で良いのか?」
 座った瞬間志月に声を掛けられ、忍は思わずもう一度立ち上がりそうになった。
「はっ? あ、はい。そう呼ばれてましたから  
 寝台を降りると、志月は冷蔵庫から飲み物の入った容器を取り出した。
「そうか  じゃあ忍、宏幸、飲み物コーヒーで良いか?」
 来客用のグラスを並べながら、志月が振り返る。
「俺はオッケー」
 答えて、宏幸は忍に目線を振った。
「俺も、大丈夫です」
 忍がそう答えた時、志月が何故か少し不満そうな顔をした。
「一緒に住んでたんだろう? 何でそんなカタい喋り方するんだ? 他人行儀じゃないか」
 そう言った表情が子供みたいで、忍は思わず吹き出してしまった。
 そして、一気に緊張の糸が解れた。
「く…ははっ! 駄目、可笑しすぎる」
 ここにいるのは、宏幸の言う通り忍の知っている志月では無かった。
「何でそこで笑うんだよ…」
 彼はますます首を捻っている。
 宏幸がかつて友人の事を「一言で言うと天然」と表したが、今目の前にいる彼はまさにそのものだ。
 そして、ふと思い出した。
 忍が宏幸と初めて顔を合わせた日、彼と志月はやはりこんな感じで話していた。
(そうか…本当に"こういう人"なんだ  
 気さくで、砕けた人柄。
 何よりも、明るい  
 こういう人なら、初対面でも話す事が出来る。
 そう思う一方、もう、よく知ったその人がいない事を思い知らされた寂しさもまた、実感させられた。
「あ、そうだ。今春休みだろう? 今晩泊まっていけよ、二人とも」
 宏幸と忍の向かい側に座った志月が、突然そんな事を言い出した。
「え!?」
「はぁ!?」
 忍も宏幸も目を丸くして目の前の人物を見た。
「ゲストルームもあるし」
 しれっとした顔で、その人物は更に言葉を続ける。
「ゲストルームがあっても忍君が春休みでも、俺は明日も仕事だよ!」
 呆れた顔で宏幸は肩を竦めた。
「あ、そうか。忘れてた。
 やっぱり何か変だよなぁ  昨日まで一緒に高校に通っていた宏幸が、サラリーマンになってるなんて」
 志月は天井を仰いで溜息を吐いた。
 彼の認識の中で、宏幸は未だ高校生の様だ。
「で、忍は?」
 宏幸から忍に目線が移された。
「えっ?」
 忍は再度自分に水を向けられ、答えに詰まった。
「泊まって行かないか? ゆっくり話もしたいし、何より退屈で退屈で、もう死にそうなんだ」
 彼自身は何も躊躇するものは無いらしく、実に気軽に言っている。
(どうしよう…)
 正直、この東条志月は忍にとって初対面も同然だ。
 そんな長時間、気まずくならずにいられるだろうか。
 はっきり言って、自分自身のコミュニケーション能力が信用ならない。
 忍は助け舟を求める様に、宏幸の方を振り返った。
「…俺はどっちでもいいよ。忍君が泊まっていくなら、それはそれで。  弓香にも伝えておくし」
 宏幸はにっこり微笑んだ。
「じゃ、今夜は泊まりま…泊まる  よ」
 結局、宏幸の一言で覚悟を決め、ようやく忍は躊躇いがちながらも答えを返した。
「そうか、良かった。  じゃあ受付に食事とゲーストルームの準備を頼まないとな」
 暇を持て余していた病室の主は、晴れやかに笑った。
 しかし、忍の心中は複雑だ。
(泊まっちゃって大丈夫かな、本当に) 「お? もう面会時間が終わりそうだな…。それじゃあ俺はこれで帰るわ!   明日だけど忍君、藤ノ谷までバスで戻って来れるか? 戻って来れそうなら藤ノ谷駅まで迎えに来るから…」
 宏幸がまた、随分と過保護な事を言い出した。
 彼だけではないが、どうして皆こうも過保護なのだろうか。
「大丈夫ですよ。  明日からまた仕事、忙しいんでしょう? 自分一人で帰れますから」
 忍が宏幸の申し出を辞退するのに被さる様に、志月の台詞が入った。
「俺がタクシー呼ぶから大丈夫。ここ、バスの本数少ないしな」
 背後から、ごく自然に両肩を掴まれ、驚いて忍は一瞬固まってしまった。
 鼓動が跳ね上がる。
 しかし、宏幸も志月も、そんな事にはまるで気付いていない様子で、別れの挨拶を交わしている。
「じゃあ、それは志月に任せるよ。  忍君、また明日な」
 日の落ちかけた丘の上の病院を、宏幸は軽い足取りで立ち去った。
(そう言えば、もしかして二ヶ月ぶりくらいに夫婦水入らずで過ごせるんだ…)
 もちろん、そんな理由で宏幸の足が軽くなった訳でもあるまいが。
(でも、やっぱりいろいろ不都合…あるよな)
 改めて申し訳無さが頭をもたげて来た。
「…? 忍、どうしたんだ? ドア、閉めるぞ」
 宏幸が去ったドアの前でぼんやりしていると、志月が不思議そうな顔をして忍に声を掛けた。
「あ、ごめん」
 半身、病室からはみ出していた身体を、忍は室内へ引っ込める。
 それを確認して、部屋の主は静かにドアを閉めた。

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