始まりの、少し前

scene.1

 二月の上旬、いよいよ退院の日が訪れた。
 忍は入院中に何となく増えた身の回り品を袋に詰め、約一ヶ月過ごした病室を後にした。
(少なくとも、夜中に救急車のランプに起こされる事は無くなるな)
 お世話になった看護師に挨拶をする為、ナースステーションに立ち寄った。
「ついに退院なのねぇ、寂しくなるわー」
 プライマリーで担当してくれていた看護師が笑った。
「お、忍ちゃん、退院か」
 そこへ、小田切が現れた。
「ハイ、どうもお世話になりました」
 忍は、彼にも頭を下げた。
(あ、そう言えば夢の話の続き、聞きそびれたままだったっけ)
 ふとそれを思い出したものの、今更どうしようもない。
(まあ、いいか。またゆっくり図書館でも行って調べよう)
「またな」
 小田切が、茶化す様な笑顔で言った。
「小田切先生! "また"来ちゃいけないんですよ!」
 それを横から看護師が嗜めた。
「それじゃあ、失礼します」
 最後まで小田切はおかしな医者だった。
 看護師と小田切の遣り取りを背にして、忍はエレベーターに向かった。
 一階のエントランスに、宏幸が迎に来てくれているはずだ。
 忙しい仕事の中、わざわざ時間を空けてくれているのだから、あまり待たせてはいけない。
 エレベーターが一階に着くと、まさに真正面に宏幸が立っていた。
「退院おめでとう」
 今日も彼はにこにこ笑っている。
「あ、ありがとうごいざいます」
 未だに、本当にこのまま好意に甘えてしまって良いのか、戸惑いは消えていなかった。
「もう退院の手続きは全部済んでるから、とりあえず、行こうか」
 ごく普通にそう言われたので、戸惑いながらも、そのまま宏幸の後ろについて、病院を後にした。

前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++


PAGE TOP▲