scene.2



 ぼんやりと滲んだ視界が白い。


 徐々に焦点が合ってくると、そこには大きなマス目が描かれていた。

 視界の左端に蛍光灯があるのが僅かに見留められ、そこがどこか部屋の中なのだと気付いた。
(……?)
 見えるのは、白い天井と蛍光灯。
 そして、蛍光灯の端にカーテンレールが被って見えた。

  何もかもが白い。

 視界に映る何もかもが白かった。
 天井も、蛍光灯も、カーテンも。

 ふと、顔の上に影が落ちた。
  !?」
 驚いて、天井に合わせていた焦点を影の主に合わせる。
「……かわしまさん…?」
 一度だけ、会った事のある志月の旧友。
 忍は、今自分の置かれている状況が呑み込めなかった。
「目ぇ覚ましてくれて良かった…」
 川島宏幸は、安堵らしき息を大きく吐いた。
「あの…? ここ…は…?」
 問い掛けつつも、頭では知っているのだ。
 寝台を1台ずつ仕切るカーテン。
 白い天井に素っ気無い蛍光灯  何より、自分の寝かせられている、白いパイプの特徴的な寝台。
 どう見てもここは病院だ。
(何で、病院に  
 仕掛けが不発なら、病院にいる訳が無い。
 働いたのだとしたら、生きている訳が無い。
 生きていて、しかも病院にいるというのは、何がどうなったのだろう。
「ここか? 桜川の救命救急センターだよ」
 彼が、忍の質問の意図を知る訳も無く、普通に"ここが何処の病院か"を答えてくれた。
「いえ、あの…そうではなくて  どうして川島さんが? いや、何で俺はここに?」

  どうしよう。上手く言葉が出てこない。混乱している。何故、まだ自分は生きている?

 忍は、散らかった思考を片付けようと試みるが、上手く纏まらない。
「君ら、完全に眠ってたらしいからなぁ」
 川島氏は頭を掻いている。
「実はな、君の家、火事になってさ」
 忍が受けるショックを思ってか、彼らしくなく口の滑りが悪い様子である。
「まぁ、それでさ…偶々っちゃ偶々なんだけども。
 この間  君と初めて会った日だな  打ち合わせした時に洩れてた箇所があってな。  夜中に申し訳ない、と思いつつも大急ぎだったもんで飛んで来た訳よ。
 あいつが夜型なのも知ってたし。
 したらさぁ、やたら景気よく燃えてて、驚いたの何の…。大慌てで消防車呼んでさ、本当に寿命が十年は縮んだって!」
 彼はオーバーリアクション気味にお手上げのポーズを作った。
(そうか…発見が早くて、助かった…のか…)
 複雑な気分だった。
 一か零か  そういう覚悟だったから、まさか仕掛けが働いた後に助かるなどと言う予想はまるで立てていなかった。
  大した事無くて良かった」
 宏幸は目を細めて、忍の額を撫でた。
「軽い一酸化炭素中毒らしいぞ。念の為に経過を診るってお医者さんも言ってたけど、おそらく特に後遺症も出ないくらいって言ってたから、良かったな」
 妙に暢気に聞こえる彼の口調が、却って忍から現実感を奪った。
 それだけ、損害が軽微で終わったという事なのだろうが。
 けれども、それだとしたら、彼の態度は不自然だ、と忍は思った。
「志月、は…?」
 一緒にいたはずの志月の事に、川島が何故まるで触れないのか。
 助かったのなら、同じ様に病院へ搬送されたはずだ。  
「ああ…」
 彼は、少し戸惑った様に言葉を淀ませた。
 心臓が強く掴まれた様な気がした。
「あの、まさか」
 忍の頭に最悪の想像が取り付く。
 鼓動が早くなるのを感じていた。
(俺だけ、置いていかれた?)
 そう考えた途端、言い知れない焦燥感と虚無感が同時に忍を襲った。
 自分一人だけが生き残る事など、それこそ忍は全く考えていなかった。
 彼の心が自分に無かったとしても、せめて最後まで傍に居たいと思った。
 それだけが、忍自身の唯一の望みだった。
「落ち着いて。変に言葉を濁らせて悪かった。違うんだ、アイツは無事だよ」
 今にも立ち上がりそうになっていた忍の身体は、川島に止められた。
「志月は搬送後すぐに転院させられたんだ。あいつの実家、病院持ってるから、そっちの方に。だからここにはいないんだ」
「…それじゃあ、生きてるんですね?」
 『転院した』という事は、少なくとも命のある状態で運ばれたと言う事だ。
(生きてるんだ…)
 よくよく考えて見れば、友人に深刻な事態が起こっているのなら、川島がこんなところに居る訳がない。
 また、こんなに落ち着いている訳も無い。
(そうか…そうだよな)
 忍は自分の早合点に少し呆れた。
「良かった」
 忍の口から思わずその一言が洩れた。
(良かった…? 自分で仕掛けておいて、何を言ってるんだろう)
 自嘲の笑みが口の端に浮かぶ。
 今更だが、本当の死の淵に立って、初めて失う事の恐怖を感じたのだ。
 しかし、その一方で志月がずっと抱え続けてきて傷の一部に触れた様な気がしたのも事実だった。
(こんな恐怖を、あの人はずっと抱えたまま…生きていたんだな)
 愛しい人を、失う恐怖  
 ギリギリの選択で、確実な方法を選べなかったのは、忍自身の迷い、そして弱さだ。
 彼の望みと、忍自身の望みが拮抗して、あんな方法を選んだ。
 壊れてもいいから、生きていて欲しい。  忍は、そんなの気持ちを殺しきれなかった。
(生き残った…ん、だ)
 結局それはただの偶然と言われれば偶然でしかないが、彼の絶望より自分の希望が勝ったのだと、今は思いたかった。
 この選択をした事に、何らか償わねばならないとしても


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