scene.2
喪われた時間を、夢の中で何度も繰り返していた。
志月の中に鮮明に残っている、最後の記憶。
未だに消えない傷。
恋人の死の記憶。
最後の悪夢は今も再生し続けている。
七年前。
南米での再会から僅か十日後、訃報は志月の許に届いた。
背尾篠舞の死亡通知だった。
彼女は、志月が帰国したその日、フィールドワーク中に消息を絶っていた。
それが、十日経って遺体となって発見されたらしい。
勿論、志月はその経緯を聞かされていなかった。
だから、篠舞の実家からその報せを受けた時は、満足に受け答えする事も出来なかった。
この事件は一切公表される事無く、七年経っても、未だ深く封印されたままになっている。
その理由は、これが普通の邦人誘拐ではなかったからだ。
犯行グループは反政府組織 つまりテロリストだった。
未だ日本とは国交が未だ不安定な国での事件だ。
両国政府が共に国際問題に発展するのを避けたいと判断した為、事件は伏せられた。
それとは別に、もう一つ違う理由もあった。
常軌逸する犯行の異常性だ。
一概にただのテロとは思えない、それは猟奇な犯罪だった。
まず、行方不明から三日後、日本大使館の前に一つの箱が放置された。
中身は若い女性の髪と指。
大使館では、それが誰のものなのか身元の特定を急いだ。
しかし、行方の知れない日本人があまりにも多く、調査は難航した。
三日後、何の手がかりも無いまま、また一つ、大使館の前に箱が置かれた。
次の中身は両手首から先だけが入ってきた。
それから二日おきに、同様の箱が大使館の前に置き去りにされた。
耳、手首、膝下… 被害者の死亡リスクは日毎に高まってゆく。
安置所に置かれたパーツは、日に日に人の形に近づいていった。
そして行方不明から十日後、大使館に頭部が届けられ、被害者の生存の絶望と共に、ようやく人物の特定が完了した。
篠舞の両親の許へ、連絡が届いたのは、この時だったらしい。
志月は、この話を彼女の葬儀の日にその父親から聞かされた。
そして、幾つかの遺品を手渡された。
その中に、出発する直前に手渡した指輪も入っていた。
彼女は、これを向こうへ持って行ってくれていたらしい。
寮に残された荷物の中に混じっていたのを見つけた、と彼女の父は言った。
志月は、何故送り主が自分だと彼女の父が分かったのか、不思議に思った。
すると、彼女の父は出発前に聞かされた、と言った。
彼女は、帰国したら結婚するかもしれない、という話を両親に告げていたらしい。
そんな話をしていたとは、思っていなかった。
あの頃はまだ、彼女の方にそのつもりは無いと思っていたから。
葬儀は、日本で執り行われた。
本来ならば、開かれているべき棺の蓋は固く閉ざされていた。
棺の中に埋め尽くすべき花は、空しく蓋の上に置かれた。
だから志月は、彼女に最期の別れさえ言えぬままになってしまった。
その所為なのか、彼女の死を認織しきれなかった。
運び去られたのは、四角いただの木の箱にしか思えなかった。
志月は、それが火葬場の大きな窯に吸い込まれていくのを、現実感も無いまま見送った。
外に出ると、煙突から煙が上るのが見える。
あれは本当に篠舞なのだろうか。
今頃、彼女はまだあの国の空の下で、古代の風を追っているのではないだろうか。
空に長く伸び上がる煙突から、白い煙が立ち昇る。
志月は、何処か空虚な気持ちでそれが空に溶けてゆくのを見送った。