九年前 ― 志月 ―

scene.1

 十二月二十三日  午後二時。

 その日は仕事の打ち合わせが入っていた為、志月は午前中から起きていた。
 『外で食事でもしながら』という申し入れが先方からあり、十一時には自宅を出た。
 その後、昼食を兼ねた打ち合わせを終えたのが、午後二時頃。
 打ち合わせの相手とは店の前で別れ、真っ直ぐ自宅へ戻った。
 早起きをした分、寝足りない感を憶えないではなかった。
 しかし、この際打ち合わせついでにその仕事を進めておこうと考え、志月はそのままデスクに向かった。
 正直な処、写真だけ撮っていても仕事が成り立たない部分は多い。
 だから、自分自身で記事を書くライティングや、場合によっては簡単な紙面の構成まで請け負っていた。
 もちろん、実家から任されている不動産管理の仕事もあったが、こちらは専門の社員を雇って、ある程度任せてしまっているので、それ程自分で何かをする必要は無かった。
 今日打ち合わせをしていたのは、先日のロケで撮影済みの写真に対する記事の内容についてだった。
 これから、とりあえず第一稿を書く予定だ。
 得意と言う程でもないが、文章を作るのは決して苦手ではなかった。
 記事の作成で仕事が滞った事はあまりない。
 こういう言い方はあまり良くないのだろうが、所詮本業ではないという気楽さがあるのだろう。
 変に気負わない分スムーズに書けるのだ。
 そうして、午後三時半を少し回った頃には、今日の予定のエンドマークが視界に入った。
 山頂を目前に、足を止め、大きく伸びをした。
 そんな感じだ。
 その時、書斎のドアを叩く硬く渇いた音が聞こえた。
「そう言えば下校時刻か」
 志月は、時計を見遣り呟いた。
 静かにドアが開く。
「ただいま」
 忍が、いつもの様に顔を覗かせて帰宅を報せた。
「お邪魔します!」
 続けて、聞き慣れない声が飛び込んできた。
 驚いて顔を上げると、つい先日S駅でばったり会った先輩とやらが、忍の後ろから顔を覗かせていた。
 この六年間で彼がこの家に人を呼んだのは初めてだ。
 話題に上った事は無いが、それ程に親しいのだろうか。
 最も、志月はあまり忍の普段の生活について、立ち入って物を訊ねたりはしていなかったのだが。
「ああ、どうぞ」
 面食らったまま、どうにか返事だけはした。
「一昨日、志月が一緒の時に言ってたでしょ? クリスマス会。それ今日なんだ。着替えたらそのまま出るからね」
「ああ」
 忍に言われて思い出した。
 そう言えばそんな話があったな、と。
 しかしまさか、忍が本当に出席するとは思っていなかった。
「それじゃ、行きましょう。俺の部屋三階ですから、もう一回階段上ってくださいね」
 そう言って忍はドア閉め、先輩とやらを連れて三階へ上がっていった。
 十分後、再び書斎を訪れた二人が、志月に声を掛け、慌しく出掛けていった。
 一時間後には記事も仕上がったので、仮眠を取る事にした。
 書斎用の小さな冷蔵庫から、水の入った瓶を取り出し、薬を服んだ。
 普段は就寝前に服んでいるものだ。
 今朝は早く起きなければならなかったので、昨夜は服まなかったのだ。
 その所為で、十分な睡眠が取れなかった。
 眠気はあるが、寝入ってもすぐに目が覚めてしまう。
 昨夜は何度もそれを繰り返した。
 志月は、来客用に置いてあるソファに寝転がった。
 さすがに、これだけ睡眠が足りないと薬が効くのを待たずとも十分に眠い。
 ブランケットを被り、目を閉じた。
 目を閉じると、まるで身体が深海へと吸い込まれていく様だ。
 落ちてゆく眠りの中で、志月は懐かしい幻を見た。

  ゆっくりと、窓の外から夢魔が降りてくる。

  よく知った顔の、夢の使いが北の窓から滑り込む。

 懐かしい顔の夢魔に導かれ、志月は、過去への扉を静かに開いた。


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