scene.4

 火照った顔で、ぼんやりしていた忍が息苦しそうに大きく息を吐いた。
「いくら冬でも、暖房……強過ぎ…。目が回ります…暑い……」
 俯いたまま、小さな声で呟いている。
 そして、襟のボタンを覚束無い手つきで外した。
 その動作、言動のどちらとも、相当酒気が回っている事を表していた。
「言わんこっちゃない! 酔ってるんだよ、お前! ほら、水飲んで!!」
 北尾は水の入ったグラスを手渡してやった。
 そのまま北尾自身も壁に凭れて忍と肩を並べた。
「ん…」
 忍は、一口水を飲むと、少し眉を顰め、グラスを火照った頬にくっつけた。
 身体の平衡が保てなくなったらしく、北尾の肩に凭れかかってきた。
 今にも取り落としそうな水のグラスを取り上げ、テーブルに置いた。
「もう、お前寝とけ。そのままでいいから」
「はい…」
 彼は思いの外素直だ。
 その素直さも含めて、実に彼らしくない。
「なんていうか…らしくないような気がするよ。今日の、お前は」
「…らしくないって、何ですか?」
 北尾の言葉に、彼が返してきたのは北尾と彼の親密度の問題ではなかった。
 彼そのものをどう思っているのか、問い質してきた。
「そのまんまだよ。お前はもっと用心深い。
こんな無防備な様を見せるようなヤツじゃない。
  何か、嫌なことでもあったのか?」
「嫌な事…ですか。
 いいえ、何も…。ただ、現実が…あっただけ、です」
 自暴自棄な微笑が、忍の顔に張り付いた。
「現実?」
「俺らしさなんて…どこにも、存在しませんよ。
 ……俺自身なんて、もうどこにもいない…」
 北尾に返された言葉は、全く持って意味不明のものだった。
「存在しない? 何だよ、それは」
 続けて問いただした北尾に、もう言葉は返ってこなかった。
 本当に潰れてしまったのだ。
(意味不明だ、コイツ)
 北尾の肩を枕に、謎の言葉を残した忍が寝息を立てている。
(存在しない…? 目の前にいるじゃないか)
 あまりにも不可思議な言葉だったので、北尾はそれを、酔いが回った為に朦朧として出た言葉だろうと思った。
(まぁ、目を覚ましたらもう一度訊いてみるか。憶えていたら、だけどな)
 酒を呑むのは今日が初めてだとは言っていたが、呆れる程弱い。
(まぁ、あのお屋敷のお坊ちゃんだもんな…)
 まさに『いいとこの子』だわ、と呆れ気味に溜息を吐いた。
(でも、こうしてると可愛げもあるんだよなぁ)
 初めて教室で会ったときの冷め切った態度が嘘の様だ。
 いや、あれはもう冷めているなどというレベルではなかった。
  "凍りついた瞳"って、あんな感じなのだろうか)
 初対面の瞬間見せた、彼の表情を思い出す。
 目が合ったとき、その言葉が一瞬北尾の脳裏をよぎった。
 あらゆる感情を表す事の無い凝視。
 それを、心理学上"凍りついた瞳"と呼ぶ。
 それ程冷たい顔で北尾の顔を見上げていた  あれは、ただの人見知りだったのだろうか。
(今、こうしてるの見てたら、全然そんなことないんだけど  
 寝息を立てている様子は、普段見せている姿よりずっと幼い。
「あれぇ? 寝ちゃったのか」
 三度町田がお酌行脚から帰ってきた。
「カワイイもんだろ?」
「まーなー。この中にゃ、開始一時間以内に酔いつぶれるような素朴な奴は、もー存在しねーな」
 町田は、そのまま北尾の隣に腰を下ろした。
「なんかよ、お前が最初に言ってたのと随分印象違くねえ? 口と態度が悪い! とか言ってたじゃん」
「いや、悪かったんだよ。最初は本当に! 今、俺も驚いてるとこだ。   そうは言っても、もともと大して親しい訳じゃないから、どうとも言えないんだけど」
 そう、元々は千里と忍が、家の前で話しているのを見た  という証言を聞き、あの日、忍が千里とどんな話をしたのか、その後千里がどうしたのか、その事を訊きたいが為に彼の許へ日参していただけなのだ。
(まさか、一緒に酒呑むとは思わなかったな)
 初めて会ったのは、ほんの数日前。その時には、こんな状況は全く予想していなかった。
 本当なら、千里も来ているはずだったクリスマス会。
 千里がいない事も、忍がいる事も、どちらもイレギュラーだ。
 しかし、気が付けばそんな事はお構い無しに宴会は更に盛り上がり、二次会へなだれ込もうとしていた。
 いつもは楽しいはずの、年の暮れのバカ騒ぎ。
 今の北尾にとっては、何処か遠く、異世界の出来事の様であった。
 何もかもが空滑りしている様な、渇いた感情を持て余しながら座っていた。
 耳鳴りの様に響く楽し気な声は遠く、肩に凭れ掛かる忍の寝息だけが妙に大きく響いていた。

 千里は今頃どうしているのだろう。  


前頁ヘ戻ル before /  next 次頁へ進ム

+++ 目 次 +++

PAGE TOP▲